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『古事記ディサイファード』第一巻028【Level 4】北海道(6)

七月五日、金曜日 午前八時一五分

 電話の着信音で起こされた。
 杉田克子だ。
 慌てて応答する。
「おはようございます!」
「ラジオ聴いてた?」
「いえ……もしかして……!」
「たった今、生放送で……報道局の田崎さんに場所を確認した。
 帯広市内の麦畑!」
 背中を旋律が駆け抜けて跳ね起きた。
 克子が住所を読み上げ時空が復唱しながらメモを取る。
「了解。また緊急の仕事が入っちゃってて夕方までに片づけてそれから出ることになると思いますが……」
「それでも朝三時までには現場に着けるでしょう。滝川の時と同じね。発生後二十四時間」
 仁志の予言通り、帯広にきっかり一週間後、ほぼ同じ時刻だ。滝川でも午前三時頃だった。付近の人が上空から機械の回転音の様なものが聞こえたと証言していたらしい。
 帯広も発見されたのは午前四時半。前夜には無かったというから、きっと大体同じ時刻に作っていると思われる。
 時空は昨夜、半ば眠りかけているときに現れた回転する白い靄のイメージを思い出していた。あれは三時頃だった……。
「じゃ、行ってきます!」
「お願い。気をつけてね!」

 なんということだろう。まだ少し寝ぼけた眼を見開いて数分間唖然としていたが、ハッとして電撃に射たれたように着替えるとピラミッドに飛び込んだ。ピッチを上げて午後三時までには翻訳の仕事を片づける。帯広までは電車で行くことにした。札幌駅発が七時十分。帯広駅着は夜中の二時頃。六時にここを出ればちょうど良い。

1991年の滝川と帯広のミステリー・サークル

帯広

七月六日 土曜日 午前二時

 気がつくと列車は閑散とした深夜の帯広駅のホームへ滑り込む。駅から飛び出した時空は客待ちしていたタクシーにすぐさま乗り込んだ。
 座席に収まるや否や運転手に目的地の住所を書いたメモ用紙を手渡す。
「すみません、ここへ行きたいんですけど……」
「わかりました」
 運転手はメモを見て頷き、車を発進させた。ハンドルを切りながら「何か、目印になるようなものはありますかねえ?」と訊く。
「いえ、初めて行くんですよ。麦畑があるということしかわからない……」
「えっ、麦畑?」
「ええ」
「麦畑と言われてもねえ……あ、ひょっとして、あれですか……昨日出たミステリー・サークルへ行くんですか!」
「ええ、そうなんです」
「なるほど……わかりました」
 運転手はミステリー・サークルが目的地と聞いて俄然張り切り出した。しきりに無線交信で情報を集めている。
「こちら三○五号。本部どうぞ……」
 市街地を抜けるあたりで急に霧が出てきた。瞬く間に車は濃霧に包まれ、数メートル先も見えない。まるで飛行機が雲の中へ突っ込んでいくようだった。対向車のライトすらもぼやけて見える。危険だ。
「うわあ、すごい霧だ」
 運転手は急にスピードを弛めた。エンジン音がぐっと静かになる。
「こんな霧の中で見つかるかな……」
 時空が心配になって独り言ちた。
「大丈夫、もうすぐ夜が明けますから、霧も晴れると思いますよ」
 運転手が言った。
 闇の中をどれほど走っただろうか。周囲には建物がまばらで明かり一つ見えない。
「そろそろ、この住所に近付いてるんですがね。このあたりは確かに麦畑があるんですよ。ただ、麦畑と言っても広いですからねえ……どのあたりかっていうのを今、仲間に調べてもらってます」
「すみませんねえ」
 時空が礼を言う。
「いえいえ、おやすいご用です」
 車は用心深く霧の中を滑っていく。
「それにしても凄い濃霧ですねえ」
「帯広じゃあ、しょっちゅうです。そろそろ、麦畑に近付いてます。この辺りのはずなんですがねえ。何か目印でもあればわかり易いんですが……」
 目印……。
 時空は仁志の言葉を思い出していた。
 キーワード……。
 先週のサークルは滝川北高校のグランド横だった。もし、キーワードがあるとすれば……例えば<北高校>かも知れない。でも、まさか、そんな単純な……。
「あの……ひょっとしてこの辺にオビヒロキタコウ……」
 時空の言葉を遮り、耳をつんざくような雑音混じりの無線交信が飛び込んできた。
「ミステリー・サークルの場所がわかりました。帯広北高校の近くの交差点角です!」
 時空の背筋を冷たいものが駆け抜けた。
 なんて簡単でわかりやすいキーワードだろう。拍子抜けしてしまう。しかし、この共通項に気づいている人間はそう多くはないはずだ。自分達だけかも知れない。単純なことではあるが、一週間後に帯広に出現するのを待ちかまえていて、両方の現場に来た人間でなければ気づかないだろう。
 それとも、単なる偶然なのだろうか。
 運転手が不思議そうに時空をちらりと見た。
「どうして……わかったんですか?」
「え? あ、いえ……いろいろありまして……」
 時空は笑ってごまかした。
「ようし、北高か。大体見当はつきましたね、こっちの方です」
 運転手はますます張り切ってハンドルを右へ切った。車は両側を畑に挟まれた細い道路へと滑り込んでいく。
「もう現場に近いはずですよ」
 運転手はサークルを見逃すまいとハンドルに顔をくっつけ、道路周囲の畑をしきりに見回しながらゆっくりと車を進めていく。左手にうっすらと大きな建物の影が浮かんできた。
「あれが、帯広北高校です」
「なるほど……いよいよ近いですね」
 時空は目をこらして窓ガラスに額を押しつけた。
 高校を通り過ぎたあたりで、運転手がメーターを上げた。
「あれ? 運転手さん……」
「ここまでの分で結構です。一緒に探しましょう。私も是非見てみ
たい」
 交差点の近くで、運転手はそろそろと車を停めた。
「ここら辺りのはずなんですが……。降りて探してみませんか?」
 運転手は車を降りて畑の方へ歩いていく。時空も習って車を降り畑の中を覗き込んだ。せいぜい十メートルぐらい先までしか見えない。手探り状態である。振り返ると霧の中に停まったタクシーはまるで雲の上を漂っているように見える。ヘッドライトがくっきりと二本の光の円錐を空中に浮き上がらせ、その中をふわふわと白い霧が流れている。
 ほどなく濃霧の向こうから運転手の声が響いてきた。
「あっ! ありました、こっち、こっち」
 時空が声のする方向へと駆け寄る。
 数十メートル走ると運転手のシルエットと麦畑の中の二つの丸い影がうっすらと浮かび上がってきた。
 近付いてよく見れば二つの円のうち、一方は二重の円だ。直径は滝川の時と同じぐらいだろうか。その外側に縁取りをするようにもう一つの輪がかけられている。内側の輪と外側の輪の間は十センチほどだろうか。まるで麦畑の上に図形を正確に作る技術をデモンストレーションしているかのようだ。麦の生育状態は滝川とは違ってあまり良くない。地面は乾燥してひび割れている。茎も葉も全体的に黄色っぽい。しかし、そんな事はお構いなしに、まるで垂直にスタンプを押したように二つの円がくっきりと描かれている。
 見る間に霧が晴れていく。あたりもすっかり明るくなっていた。運転手も一緒にサークルの中へ入ってみた。時空がしゃがんで念入りに麦の根元を確認し「本物ですね」といいながらカメラのシャッターを切った。運転手もしゃがみ込んで麦の状態をしげしげと眺めている。
 直径を測るとどちらも六メートルである。
 ハッとして時空は上空を見上げた。心の中で「また来たよ」と挨拶する。
 まだ霧が漂っていて空さえも見えない。
「先週、滝川北高校のすぐ近くに出たんです。そっちも現場に行きました。そしてこれは帯広北高校」と運転手に説明した。
「北高校という言葉の一致……偶然でしょうか?」
「ああ、それでさっき帯広北高校ってわかったんだね?」
 運転手が腕組みをしながら頷いた。
 時空は周囲の景色を見回した。今は校舎がすぐそこに見えた。
「ちょっと疑念が湧いちゃったんですが……帯広北高校の生徒と滝川北高校の生徒が申し合わせて悪戯をしただけなんじゃないかって……。
 でも、滝川のも、この繊細な二重円も、悪戯で作れるような代物じゃないですよね」と足下の曲がった麦の茎を指さす。
「両方の現場にわざわざ足を運ぶなんて多分あなたぐらいなものでしょう。悪戯だとしたらあまり意味のあることじゃないな。
 それに、この正確さは到底人間ワザじゃない……」
 霧のベールが薄れて視界がみるみる広がっていく。
「あのね……」と運転手が厳かな声で話し始めた。
「俺ね、一度でっかいUFOを見たことがあるんだよ。
 あれは、去年の今頃だったねえ。真夜中だった。ずっと北の方を走っていたら山の上にものすごい明るい光が連なってるんだよね。
 最初は工事か何かやってるんだろうと思ったんだけど、それにしちゃあやけに明るいもんでね、あんな所に道路もないしね、おかしいなあ、と思って車を脇に停めてずっと見てたのさ。そしたら……」
 運転手の目が大きく見開かれた。まざまざとその時の光景を思い出しているのだろう。
「その光がね、すうっとね、空に浮いた! そしてそのまま飛んでいっちゃったんだ!
 私だけじゃない。この辺じゃUFO目撃なんてしょっちゅうだからね」
 霧は嘘のように消え失せ、抜けるような青空が広がり始めている。視界が開け、やっと自分達がいかにも北海道らしい広い田園風景の直中にいることがわかった。小鳥の囀りが遠くから、近くから、響きわたり、どこまでも広い空間の奥行きを感じさせる。
「それじゃあ、私はこれで……」
 運転手は我に返って日焼けした顔にちょっとはにかんだ笑いを見せると、きびすを返して車へ戻っていった。時空は車の側までついていき、何度も礼を言いながら頭を下げ、見送った。のどかに広がる麦畑にタクシーのエンジン音が吸い込まれ、やがて消えた。

直径

(つづく)


※ 最初から順を追って読まないと内容が理解できないと思います。途中から入られた方は『古事記デイサイファード』第一巻001からお読みいただくことをお薦めいたします。

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