小さな引っかかりを掘りさげること@松柏美術館

白鷺のすらりとした姿や赤い牡丹ではなく、眼だった。
上村松篁の「花」を何度もみるうちに白鷺の眼にどんどん惹き込まれていった。

奈良市の閑静な住宅街に建つ、松伯美術館を訪れた。近代美人画で有名な日本画家の上村松園(しょうえん)を中心に、その息子で花鳥画で有名な松篁(しょうこう)、孫の淳之(あつし)の三代にわたる作品を展示している美術館である。

これまで日本画については全然知らなかった。
だが、上村松篁の「金魚」を紹介してもらい、その美しさと余白から感じる静寂さに心を動かされ、実物をみたくなったのだ。
残念ながら「金魚」は展示されていなかったが、その他の30点ほどの作品を見ることができた。


一番印象に残っているのは「花」である。「雪月花」という3作品のうちの1枚で、水の流れの中に佇む白鷺と、水面をたゆたう真っ赤な牡丹が描かれている。


初めてみたときは、白と赤のコントラストが綺麗だなと思っただけで、すぐに通り過ぎてしまった。

だが、しばらく他の作品をみていると、なぜだか「花」を思い出し、気になってくる。

もう一度戻って見てみる。

白鷺の羽や足の書き込みが細かいからだろうか。
いや違う。

牡丹の花びらの配置が余白を上手く強調させているからだろうか。
これも決定打にかける。

よくわからずに他の作品をみては、また戻ってきてと何度か繰り返してようやくわかった。

眼だったのだ。


一見、何の変哲もない眼だ。
円の中央にちょんと筆の先をあてたように描かれている。

だが、じっと見ていると何かを深く考えているような理性を感じさせる。表情こそないが、その眼から緊張感と孤高さが醸し出されている。
そこに無意識のうちに引っかかりを感じ、吸い寄せられていったのである。

日本画は、目に映るもの全てを描ききらずに、自分の中に浮かび上がってきたものだけを描くそうだ。

印象深い記憶もそれに似ている。
色々な出来事を記憶の海に沈めて浮かび上がってきた、ちょっとした違和感や引っかかりのようなものが大事な記憶になる。

フェルメール展でみた「真珠の首飾りの女」では、首飾りや女性よりも、美しい金色で描かれている上着の袖に魅せられた。

大学受験では合格発表よりも、受験中に何度も書き直し、答案用にうっすら残る文字の跡が記憶に残っている。

結婚式では指輪交換や親への手紙よりも、結婚証明書に署名しているときに、緊張のあまり額から落ちた一筋の汗が思い出される。

上村松篁も白鷺を見て引っかかりを感じ、「花」を描いたのかもしれない。

記憶の海に何度沈めても浮かび上がってくる引っかかりを、日常の中から上手く見つけ出す力が、芸術家にとって大切なのではないかと「花」をみて思った。

帰宅後、妻に「ねえ、変じゃないかな?」と突然言われた。
美容室に行ってきたのかなと思い「あー、髪いいと思うで」と返すと、「親知らずを抜いてきたから、顔が腫れてないか聞いてんねん」と怒られた。
芸術家への道は遠い。

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