見出し画像

子どもが自分自身と向かい合い、そして立ち向かいその先へ進むこと

私たちの園でしている保育は、当たり前の生活の中にこそ、大切な要素が入っている。だから、その当たり前を突き詰めつつ”生活”を大切にしています。

その当たり前の生活を大切にするためには、その子らしさや自我の拡大も大切にしています。

自我の拡大はともすれば、問題行動(大人の言うことを聞かない)に繋がることも大いにあり、うちの園に入ることで問題行動が増えましたって保護者よりお叱りを受けることも何度かあります。

しかし、自我の拡大をして問題行動を起こすぐらいがある意味”こどもらしさ”ではないでしょうか?
”子どもらしさ”って表現ではなければ、”自分らしさ”ではないでしょうか?

子どもは発展途上です。

問題を起こさない方が問題で、言われたことをするということは、考えておらず従っているだけ。

子どもに考える経験を奪っているとも思えます。

長く子どもを見ていると、変化にも気づきますが。今の子どもは変化や失敗に弱いように感じます。

障害的にではなく、経験的にです。

失敗はしたらいけないものと思われているのでしょうか、怪我をするのはいけないことなのでしょうか?

失敗とは自分の行動に対しての結果じゃないですか、私は人権的にも自分でした行動の結果は自分で責任を負うべきだと思います。(勿論年齢相応ですよ)
怪我も自分の身体と自分の身体の限界や能力を自分の身体をもって知ることは、まさしく自分の権利だと私は思います。
こけて怪我をするのが大切なのではなく、こけて転倒して擦り傷ぐらいを作りながら、自分の身体の限界を知り得るから大きな怪我をしないのです。

そして、小さな怪我をしてでもやりたい事や思いがあるから、自分の気持ちをコントロールして前に前に進む力が育ちます。

自我を拡大して、自分勝手な行動をして周りとのズレや葛藤を覚え自分の思いと他の人の思い、集団生活でとのズレを自分自身が感じるからこそ、そこに考えが生まれ、自己コントロールが生まれる。

以前の記事にも書きかましたが、ズレと葛藤なくして発達はあり得ません。

自分自身が未来のなりたい大きな自分を思い描くことができるから、成長(発達)することが出来るのです。

発達するのは、子ども本人であって私たち保育者がさせるものではないのです。

この辺を勘違いすると、〇〇を子どもにしないととか、やらせないととなってします。

大事なことなので、もう一度言いますが発達するのは子ども本人なのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?