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毒親と親ガチャとアダルトチルドレン

『毒親』という言葉を知ったのは子育てに悩んでいるときだった。
子育ての正解を探しているときで、毒親は不正解であると私の中で定義づけられた。


同じ頃、『親ガチャ』という言葉もよく聞くようになっていた。
これも否定的な言葉で、子どもの側から親を評価する言葉として使われていた。


『アダルトチルドレン』は、他の2つの言葉よりずっと前から使われていた言葉だ。
元々は、親がアルコール依存症の家庭で育ち、成人した人のことを指す言葉で、今では広く虐待を受けて育った人などのことも含めて使われている。


これらは親子問題でよく使われる言葉たち。
なぜ私がこれらの言葉が気になったかというと、私も該当するのではと思ったからだ。


まず、『毒親』。
これは、『毒になる親』という著書からきている言葉で、子どもの人生をコントロールし、子どもが成人してからもなお、大きな負の影響を与え続ける親のことを指す言葉である。


まさに私の親のことだと思った。
子育てに悩む前までは、毒親育ちなどと微塵も思うことはなかったが、私の親を指すのにこんなにぴったりくるものは他にあるのかと感じた。


私の家は一見普通の家庭である。
過度な暴力があったわけではないし、食べるものがなかったわけでもない。


ただ、その内情は支配的だったと思う。
子どもの性格によっては、例えば、親に歯向かえるような度胸のある子どもだったなら、こうはなっていなかったかもしれないが、少なくとも、そのような子どもはうちにはいなかった。


だからこそ、親も子も気が付かなかった。
支配する側と支配される側になっているということを。


ちなみに実家では、今なお支配は続いている。
歳を取ってきている親は、そろそろ一緒に住んでもらいたいらしいが、子どもは誰も一緒に住もうとは言わない。


支配されていた私たちはすでに気が付き始めている。
見捨てているわけでは無いが、距離感は選べると言うことを。
追いかけてまで支配する余力が、すでに親にはないということを。


さて、毒親持ちの私であるが、『アダルトチルドレン』は関係のない言葉だと思っていた。
しかし、最近、私も『アダルトチルドレン』だったと知るきっかけがあった。


そのきっかけは、とある精神科医の言葉から。
子どもの頃、子どもの振る舞いができず、親の機嫌を伺いながら生きてきた子どもも『アダルトチルドレン』と定義できるといったような内容だった。


まさに私のことだと思った。
私の生きにくさの根底には、これがあるのかもしれないと思った。


なぜなら私は、未だに私の意志を一番にするのが苦手だ。
夫や友達、子どもにまで忖度してしまうことがある。
いつだって私を一番に考えない。



そういう選択の仕方が癖になり、染み付いている。
それでは生きにくくなるのは当然だ。
頭ではわかっていても、心の奥底に恐怖があって、改善するのはなかなか難しい。


毒親持ちの私は、『親ガチャ』はハズレということになるのだろう。
ただ、それをいつまでも嘆いているほど子どもでもない。


私はもう、歩き出そうと思えば自分の足で歩いていける。
だからこそ、今後の目標は自分を大切にすることなんだと思う。



私は好きなように生きていい。
もう誰もそれを咎めない。
いつまでもやりたいことを我慢しなくてもいい。


まずは一歩から。
些細なことから始めようと思う。
誰に忖度することもなく、私の心が弾む方を選択し続けることを、ここで宣誓しておこうと思う。






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