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全部やる、って決めた日。
なんだ、みんなも、そしてわたしも
自分が本当にやりたいことを、やってないんだ。
気になりながら、やってみたいと思いながら
時間がない、お金がない、いつか機会があればと
諦めたり、先延ばししたりしている。
あれがないとか、いつかやろう
そういうものを一切なくして
それ全部やってやろうと、心の底から思った今日。
明後日からは、先週末に体験した組紐教室に
早速申し込んで、通い始めることにした。
な
女神はどーん、ぴかーっ、と在ればいい
"どーん、とそこにいて、美しく圧倒的にぴかーっと光っていればいいの。愛っていうのは、甘い言葉でもなくって、理想でもなくって、そういう野生のありかたをいうの。"
"人間が自分や他人にしてやれることの話よ。それが愛、でしょ?どこまで信じ切れるか、でしょ?でもそれをやろうとすることのほうが、考えたり話し合うよりどれだけ大変か。どれだけエネルギーを使い、不安か。"
"あんたたちを見てると、何となく集中
どうせ、なにかに出会ってしまうから
9/1には、自殺者が多いと聞いて
ぴんと来なかったわたしは、道産子だ。
北海道の夏休みは、お盆明けに終わるから。
死のうとしたことは、不思議なほど、ない。
どんなにきつくても、鬱にもならず(なれず)
死なない(死ねない)のがわたしだ、と
昔から諦めのような気持ちがあった。
でも、死んでしまおうと思うほどに
視野が狭まり、選択肢が断たれる気持ちは
本当に、よくわかる。
死ぬ、という
幽霊の正体見たり……夏の終わりに
スマフォに詰めこまれている
2014年からの写真を見返していると
この数年、いろんなことがあったなかで
よくぞここまで生きてきたなあと
なんだかしみじみとしてしまう。
喉元過ぎてしまえば、ただの記憶。
もうすでに、終わったこと。
でも、どうして生きているんだろう
この世のどこにも身の置き処がないと
絶望的になったことは
一度や二度じゃなかった気がする。
それは、現実的に家も仕事も無
凪のような静かな心で
北海道の実家からのメロンと
高知からの河内晩柑
梅ジャムを添えたヨーグルト
メロンの種とわたのジュースで
遅めのブランチな今日。
5月から走りっぱなしで
鼓動も呼吸も荒かったけれど
やっと落ち着いてきた。
波立ち続けていた心身が
少しづつ凪になり
水中のような静けさが広がり始める。
朝夕の瞑想や坐禅ができるようになり
晩柑の粒のひとつひとつまで味わいながら
穏やかな心地よさに満たされる
ペルソナと影との境界が崩壊する日
昨日今日と、セラピーを生業としている方と
話しながら改めて、心づいたこと。
最近のわたしはひとと会うときに
自分をひらいておくことと
自分のなかで何が起こっているかに
気づき続けるということに
いちばん力を使っているみたいだ。
・・・
セラピストにとっての浄化とは?
というテーマについて
いろんな方の意見を伺っていた、ここ数日。
それは、自分の心に何があるのかを
クリアに把握し続けるこ
あなたの声を聞き受けます
『解脱師』
なんていう名前が、飛び出した。
取材で伺ったお話があまりにも凄みがあり、
これはどうしても、現在と後世に向けて
書き残しておかなくちゃならない。
その方の中にある、これまでに積み重なった
悔しさや悲しさや、恨みの気持ち。
その方はそれを、ポジティブに昇華させて
仕事をしているけれども
その気持ち自体は、そこにとどまっている。
それを、残らず語ってもらって
その方の背
孤独を抱きしめ、内面に潜る
学びの場としてのグループは作っても
その目的がはっきりとしていて
個人崇拝やもたれ合いの場にならないこと。
人と人とが勝手につながることを喜び
相手が依存する/させることをよしとせず
人が自立することを後押しできること。
それができるようになると
人生は、断然楽になる。
そのコミュニティに居合わせないと
自分の居場所が失われるかもしれない。
誰かと誰かがつながることで
自分の価値
「集客」なんてしなくても
「自分の心を解放したら
お客さんが来るようになりました。
だからあなたも自分を解放して
集客をしましょう!」
例えばセラピストが、そう言ったとする。
たしかに自分が変わることによって
お客さんが来るようになる、可能性はある。
実際にそういう話も、見聞きする。
でも集客を目的とした時に、その人の意識は
「セラピーで何を提供するか」ではなくて
「人がたくさん来る」という結果に
集中してしま
人生をそうめんに例えたら
ある見方をすれば、人生ってそうめんの束のようなものだと思うのだ。
真ん中の結束されている部分が現在の一瞬。自分はそのそうめんのどれか一本を選んで生きている。
そしてどの一瞬にも、多様な別のそうめん(現実)を生きることだってできる。
心からそう思えば、いつだって。
この、心からそう思うというのは、正確にいうと、その現実が実際に存在していることを知る、ということだ。
信じる、じゃなく、知る
同じでないけれど、わたしたちは対等
団体の創始者を、特別な人として恐れ敬ってしまうひとが多い、という話を聞いた。どこにでも誰にでも、敬意は払いつつも突っ込んでしまうわたしには、わかるけどわからない心境。
「意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切」
【嫌われる勇気/岸見一郎・古賀史健】
誰かを特別にしちゃうと、そこから全部に順番がつくでしょう。
ボス猿、二番猿、三番猿。その中で自分の順番をつけ
セッションのやりあいっこな、贅沢
受けていただいた「触施」との
交換セッションのお誘いを受けて
公美子さんの自宅サロン「在り香」へ。
プライベートでフルセッションを受けるのは
久しぶりの経験で、朝からうきうき♪
まずは、量子力学ヒーリング。
「意図のずれの調整」というわたしのお題を
問いかけながら丁寧に掘り下げていく。
最近は意識していなかったコアビリーフ
思考の癖や思い込みが
次第にあらわになっていく。
深いところにつ
オセロの石を返すように
本日は『カフェともみん』セッションな夕方。
久しぶり!から始まるトークから
色の話を皮切りにして
ゆるゆるとセッションに。
話すうちに浮上したテーマを
角度を変えながら、掘り下げていく。
取り組むのが辛い出来事に対しては
フラクタル(相似形)な出来事の中に
取り組むきっかけを探したり
苦手な人のなかに、抑えていた自分を見て
そんな人に「なって」話してみたり
出来事を語る言葉を見直すことで
熊神さまがやってきた日
「ご近所からクマの肉をもらった。
食べるなら冷凍して送るよ」
そんなラインがきたのは、数日前のこと。
シカは料理したことがあるけれど
クマはまだ、経験がない。
料理研究家の相方のお母さんに尋ねても
イノシシならあるけれど……という返事。
1キロという量にひるんだけれど
ともみさんが料理してくれるなら
食べてみたいという言葉に背中を押され
送ってもらうことに。
「肉塊」というラベルの