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2月26日を歩く

 1936年2月26日は大雪で、早暁から陸軍兵員が東京の中心部を占拠し、戒厳令が布かれていた。発生から4日目の2月29日に鎮圧されたこの事件は、現在「二・二六事件」と呼ばれて日本史上にもまれにみる大規模な軍事クーデター未遂事件として知られている。

 それから86年経った2月26日の東京は、雪どころかとてもあたたかい春の陽気だった。
 ワクチン接種の3回目を受けていたが、2日経過して副反応がほぼなくなったこともあり、陽気が散歩に連れ出してくれた。街には戒厳令はおろか緊急事態宣言も出ておらず、人々はのんびりとあたたかな陽射しの中を散歩していた。春を迎えるにあたって明るい色の新しい衣服に身を包みたいような気もするが、向かう先はいつも通りの神保町である。毎回立ち寄る三省堂書店は4月から解体されて建て替えに入るとのこと。3月で営業を終了するので、その先しばらくは利用できない。ホームページを見ると、3~4年後に完成予定の新しい建物は神保町本店を「検討する」という含みを持たせる表現が使われている。これは「本店」に位置付けるかにつき、様々検討の余地があるという意味だろうか。さすがに書店以外の何かになることはないのかもしれないが、様々な事情を想像してしまう。営業終了までにもう一度くらい足を運べるといいのだけれど。

 それにしても、いい歳をして書生のように古書店にちまちまと通い続けているとは思いもしなかった。20年前と生活形態がほぼ変わっていないことに人生としての危機感すら覚える。かつて一度、研究も書くこともやめてしまい、読書もほとんどしなくなり、したがって古本はもうそれほど購入しないだろうと考えた。そして引っ越しを契機に、新刊で購入したものと古書で購入したものを問わず書物の類はほとんど処分し、本当に大切なものだけ残したはずである。それがどうだ、いくら神保町が近いといっても再び以前の数に近いほど増えているのだから世話がない。

 古書店では三島由紀夫『絹と明察』の初版本が、特に注釈もなく700円で売られており、しばし悩んだがそれほど初版本にこだわってコレクションしているわけではないので見送った。後にネットで調査してみると、この本は初版でも比較的安値で取引されているようだ。以前も古書市で、三島『文章読本』の初版が2,000円くらいで売られていたが、それは購入しておいてもよかったかなと今になって思う。
 三島といえば青年の熱情に対する過剰なまでの思い入れを隠さなかった人であり、二・二六事件を以下のように評している。

 政党政治は腐敗し、選挙干渉は常態であり、農村は疲弊し、貧富の差は甚だしく、一人として、一死以て国を救おうとする大勇の政治家はいなかった。戦争に負けるまで、そういう政治家が一人もあらわれなかったことこそ、二・二六事件の正しさを裏書きしている。青年が正義感を爆発させなかったらどうかしている。

三島由紀夫『生きる意味を問う』
(堀真清『二・二六事件を読み直す』より再引用)

 また、民間人でありながら青年将校を扇動したとみなされ、事件の首謀者の一人として処刑されることになる北一輝(本名:輝次郎)は警視庁聴取書において以下のように述べている。

 軍部本来の建前として軍部の本体を為す処の下士兵卒は云ふ迄もなく国民大衆から徴集するものであります。
 従つて国民大衆が窮乏のどん底にある農民であり労働者であり、又中産者と雖も生活の不安は充分に持つて居るものでありますから、夫れ等が軍本体を為す下士兵卒として青年将校等の保護指揮の許に参ります時は、即ち国民大衆の改造的要求として意識的にも無意識的にも軍隊内に一種の風潮となつて漲り渡つたのであります。
 勿論冷血な利己的な将校等は之れを痛感する程度は左程でもありますまいが、情愛の深い軍務に熱心な将校等は其の風潮を敏感に感じて一日も速かに国家を合理的に改造しなければならぬと云ふ様な情熱が軍部独自の現象として起つて来たのであります。

『北一輝著作集』「二・二六事件調書」より

 あちこち歩いた挙句、購入したのは大西巨人『縮図・インコ道理教』と白川静『文字逍遥』だった。白川氏の『文字遊心』は所有していたが対になるべき『文字逍遥』を持っていなかったので補完した。
 大西巨人の未所有本は見かけると購入するようにしている。『インコ道理教』はもちろん鳥の名前から連想される某宗教団体のもじりであるが、かなり思い切ったタイトルを付すものである。内容は例の宗教団体と皇国時代の日本とを類比させ、人を死の恐怖に脅かす力について批評したものだが、小説と批評とノンフィクションを混濁させたような不思議な体裁で書かれている。この本の「献題」において大西巨人は述べている。

「宣戦布告」のある政治的殺人は、「戦争」と呼ばれ、「宣戦布告」のない政治的殺人は、「人殺しテロリズム」と呼ばれる。…
 「宣戦布告」の有無にかかわらず、どちらも、それが政治的殺人であることにおいて、一様に「人殺しテロリズム」であり、したがって、「人殺しテロリズム反対」は、すなわち、「戦争反対」でなければならない。
 「戦争」ないし「国民国家」に関する通俗概念の徹底的な打破克服の道を確立すること。ここに、二十一世紀初頭の中心的課題(当為)が、実存する。

大西巨人『縮図・インコ道理教』献題より

 二・二六事件がテロリズムか否かという問題は議論があるかもしれないが、時の蔵相(高橋是清)・内大臣(斎藤実)・教育総監(渡辺錠太郎)が犠牲になったことは間違いなく、大西巨人の論法に従うならば、いかなる理由があれ殺人を犯したというのはテロリズムに該当する。渡辺錠太郎の娘で、当時まだ9歳の少女だった渡辺和子氏は凄惨な父の死の現場に居合わせた。和子氏が証言する当時の回想とその後の気持ちの動揺は、読んでいるだけで息が詰まり、言葉を失う。

 今まで「お父様を殺した人たちを恨んでいますか」と聞かれて、本当にきれいな言葉で「いいえ、あの方たちにはあの方たちの信念がおありになったんでしょう。命令でお動きになった方たちを、お恨みしておりません。憎んでおりません」と言いながら、コーヒー1杯、そういう方を前にして飲めなかった自分。修養が足りないとも思いましたし、同時に、私の中には父の血が流れているんだと感じました。私がどれほど頭でお赦ししていると言っても、私の血が騒ぐ。

上記記事より

 歴史教科書においては二・二六事件の鎮圧をもって軍部の力が頂点に達し、太平洋戦争に進んでいくとされている。しかしこれは一面的・形式的なとらえ方であって、事実は人間と人間の情念が複雑に綾なして悲劇が紡がれていくのであり、その正確な形など描き得ない。だから歴史家は、物事の全てを知る神になれない無力を理解しつつ、一つの視点を設定して歴史を描くのである。
 折しも世界情勢が均衡を失い始めている。テロリズムとは殺人を犯すことであり、戦争もまた殺人を犯すことであり、人にそうさせることを強いる原理としては同じである。そして「戦争反対」があちこちで言われている。「戦争反対」とは、「私は人を殺さない」の言い換えでなければならない。真にその努力を行っている人間が、果たしてどれだけいるのだろうか。

 少なくとも近代以降、見方によっては世界は常に危機にあるといっていいかもしれない。戦争が終われば次の戦争があり、戦争がなければどこかで人殺しが起こる。危機の真っ只中にありながら、春めいた陽気にうつらうつらしつつ、呑気に古本を買い漁っている自分の、このぼんやりとした間抜け面はいったいどうしたことか。

 



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