「でなければならない。」精神がなぜ大事か?
あなたは「アイビー」やりましたか?
「IVY」
アイビー。
え?
「ト、トラッド?」ですって💦(←つば)
「プレッピー?」😂
「コンポラ?」🤣
それじゃあ「敵」ですな😁
懐かしいですねえ。
いい時代でしたねえ。
若い方、なんのこっちゃですね。
隠語ではないですよ。
おじさんたち、爺様たちが若いころに流行ったFASHIONのお話。
「VAN」に始まる青春
アイビーとは、アメリカのいわゆる「アイビーリーグ」の学生たちが好んでしていた服飾スタイル。
今となっては鼻持ちならない「米国東部エスタブリッシュメントのコンサバティブなファッション」なわけです。
それの完璧な”模倣”なわけ。
火付け役は、あの「VAN.Jac」(ヴァンジャケット)の創設者・石津謙介さん(故人)。
いやー、当時はVANの兄貴分の「Kent」に始まり、「HARVARD」や「Mac Beth(マクベス)」など和製アイビーブランドが乱立しておりました。
さらに、本家本元の「J・PRESS(ジェイプレス)」や「Brooks Brothers(ブルックスブラザース)」らが上陸するや、日本中の若者を巻き込んだ一大トレンドとなったわけです。
メタル釦のついた紺ブレやジャケットにチャコールグレーの細身のパンツ、ボタンダウンシャツにレジメンタルストライプのネクタイ、足元はBASSかリーガルのコインローファー。
小脇にはVANか何かの紙袋を抱え、銀座のみゆき通りを闊歩する。
いわゆる「風俗」にまでなった「みゆき族」ですねえ。
ブーム草創期(私よりずっと年配世代ですよ💦)は、そんなんが粋がってました。
すっかりそんなブームが去ったあとですが、私は服飾関係の月刊誌の編集(←いろんな事やってるわけで💦)をしておりましたので、一応その辺の事情は割合詳しいです。黙ってしゃべらせてたら切りがありません。
ファッションではなく「伝統」に惹かれた
しかし、そんなことはどーでもいい人が多いご時世。
というより、私はそもそも、それ(ファッション)を云々するためにペンを執った(指を打った)わけではありません。
今となっては苦々しいアメリカさんの”ハイソ”スタイルなわけですが、物事には「良い半面」もあるわけです。
何だとお思いですか?
それは「伝統」です。
トラディションです。
アメリカのエリートがどーのこーのではないんですね。
その「伝統」にみんなこぞって惹かれたわけです。
米国東部といえば、源流は英国ですね。
背広の語源にもなった「サビルロウ」を抱える街・ロンドン。
そこから受け継がれたクラフツマンシップをいかに見れるか。
そんなところでしょうか?
「審美眼」ならぬ「審技眼」のようなものの大衆バージョンといったらよいか。
そこには、
「でなければならない」というセオリー(定石)
が、厳然と横たわっているのです。
「本物は○○でなければならない」というわけです。
これを言い換えると、
でないものは偽物か価値の劣るものである
という、まことに厳しい価値基準がそこにあるわけです。
これは、ファッションではないですね。
先ほど言ったようにクラフツマンシップ(物作りの精神)にかかわることです。
妥協を許さない精神
です。
まずは決めること
そのためには、まずは「決めちゃうこと」です。
自分のなかでのセオリーを決めることです。
「ぼくのスピリチュアル…」でも書いたように、決めることから「創造」「造化作用」がスタートします。
間違っていても構いません。
たとえば、朝起きて洗面をした後に、どこそこを30分間散歩すると決めたら、そうすべきだし、15分でも40分でもダメなわけです。30分です。
「そうでなければならない」
のです。
それと、誇りを持てるものを何か一つでもいいので探しましょう。
既にあるならそれを生かし、無いなら探しましょう。
みなさん、プライド云々しますね。
プライドが低くてはそれは卑屈です。
プライドは思いっきり高く持ってください。
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
(その辺の燕ごときひよっこに、俺さまの志などわかるもんか)、くらいの気概でいいです。
ここにこそプライドを持たなくてはなりませんよ。
いいものを作っている職人さん、大工さん、
機械化、ロボット化、デジタル化の波で、その尊厳を奪われてしまったかに見える
クラフツマンよ、
あなたこそ、堂々と胸を張って
「私の作品は世界一です!」
と言ってください。
大声で自慢してください!
あなたが日本人であれば、
このように日本の技術は世界最高峰なんです!
と主張してください。
私たち消費者は
あなた方のものづくりを応援しています。
日本の技術は世界一だと心底思っています。
昭和初期くらいまではあったプライド。
特に日本人としてのプライド、尊厳、誇りというものは、戦後漸次はく奪されてきた。
多少ともそれに物を申そうとしても、「軍国主義の残影」だとか「右」だとか訳のわからぬ屁理屈を並べられ、しまいには
日本人としての支柱・アイデンティティーまでも失くしてしまった。
日本の外交からしても、頭を下げることばかりではないか!
もういい、二度と謝るな!
これ以上国民に恥ずかしい思いをさせるな!
神国日本の国威を愚弄するな!
ビョードーだのジンケンだの歯の浮くようなことを並べるなら、地球での最貧国の民衆と、まずはお前の生活レベルを「ビョードー」にせよ!
彼ら彼女らのジンケンとお前のジンケンを「ビョードー」にしろ!
アレ?
やらかして、いや、ない。
ちょっと、最近しょっぱいものを食べ過ぎていたような。
上の言葉は、私に憑依した「荒魂」の宣ったことゆえ、
神妙に受け止めてくれたまえ💦
私、言ってないよ、みんな荒魂のせいよ。
(「神国」って聞くとあなたどーですか? まさか連中と同じことをいいませんよね。答えは、「だって、神国なんだからその通り言ったまでです」です。)
本物はこうだ、精神
本物を求める求道精神。
これは、クルマ好きにも、陶芸好きにも、鉄道オタクにも、マンホールオタクにも、あらゆる”もの好き”に対して言えることですね。
彼らに、あらぬ質問をしても、
「ホント―はね、こうなんだよ」
「行きつくところ(極めつけ)はこーなんだよ」
と、得々とその蘊蓄を語ってくれるかもしれない。
私なども、好きなパイプ喫煙についてもし問われれば、
とか、鼻持ちならないとゆーか、無関係な方にはもはや異世界のお話しになる次第。
ライフスタイルの「教本」
話をアイビーに戻そう。
アイビーには、
「こうあらねばならない」
という鉄則があった。
今の若い方々のファッションには疎い私だが、
おそらくこれほど徹底的に教本化したトレンドも少ないだろう。
もちろん、石津さんやその取り巻きの戦略やブランディングによるもので、本家本元のハーバードやブラウンやイェール大などの学生さんにはそんな「意識」などなかっただろうに🤪
その「鉄則」の一部を”公開”すると、
もう止めましょう。
そうした「鉄則」「定石」を頭の上から足の先まで徹底することに快感を感じてたんですねえ。
通りすがりの彼が完璧ですと、「うぬ、こやつ出来るな」とかなんとか。
出来てどーする?
の世界ですが、
人は「拠り所」を求める
思えば、戦後生まれの私たちとしては、何かしら「支柱」になるもの、拠り所を求めていたのだと思う。
クールな見方をすれば、敗戦国の我々が、わざわざよりによって戦勝国のそれに求めること自体忸怩たるものがあります。
今になって、そんなもんよりも例えば自国青森の伝統工芸である「刺し子」の着衣や、半纏やチャンチャンコ、はたまた法被などを現代に生かした方がよほど価値がある、とも思う。
もちろん、現代式のマシンメイドではなく、一点一点手作りによる「本物」がもてはやされることだろう。
粋ではないか?
都心の高層ビルのエレベーター内には、火消法被や、お祭り法被、アイヌ法被などの装束でいっぱいになり、
「○○君、今日はどこか火事なのかな?」
「いや、部長こそいまから三社ですか?」
なんて挨拶も交わされることだろう。
裏を返すと、メーカーとしては、自社の製品の統一されたディテールの一部始終を訴求、あるいは規定することで、それこそが「本物」とする戦略。
それをマニュアル通り踏襲する購買者は、もはや「信者」ですね。
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。