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「きょうだい児」の仲間たちへ~一人で悩まないで、キミの気持ち、私には少しわかると思うよ~

【“きょうだい児”のはなし】

~ダレカニキイテホシイ心の吐露~


正月に、祖母の家に行って以来

ずっと考えていることがある。


「親父が死んだらどうしよう」 

ということだ。 


年末、ずっと入院していた親父が

家(祖母宅)に帰ってきた。


ゾンビのような顔色で

今にも死ぬんじゃないか?というくらい

ボッキボキに細かった。


祖母も親父の看病でやつれていて

腰が65°ぐらい曲がっていた。


正月早々、不謹慎だとは思いながらも


「ばあちゃん、親父と婆ちゃんが死んだ後の事、ちゃんと話しとこう」と


まぁ、ここまで直接的でなくとも

これに近いニュアンスを口走っていた。


ここで重要なのは

親父が死んだら悲しいとかそういうことではない


親父や婆ちゃんは時が来たらいつかは死ぬのだ。


私が心配しているのはそうじゃない


親父と婆ちゃんが死んだら


“弟の面倒は誰がみるんだ?”ということだ。


「きょうだい児」


という言葉を

聞いたことがある人がどのくらいいるだろう。


これは

兄や姉、弟や妹などに

“障害を持つ”きょうだいがいる人たちのことである。


「児」がつく通り

こどものことを指すことも多いが


今、この言葉が作られた時の「きょうだい児」たちが大人になって

一人で悩み、苦しんでいる。


私も当事者であり「きょうだい児」だ。


私の生涯のテーマが

「きょうだい児」の救済であり

「きょうだい児」たちとの共生である。


考えてみたら、私が紙芝居を始めた理由も

他の「きょうだい児」の為に

何かできないか?(自分自身も含めて)ということがきっかけだ。


「オヤジや、婆ちゃんが死んだら

障害者の弟を誰がみるんだよ?」


それを、私は二十歳ぐらいから

各親に問うてきた。

(各親というのは、うちの両親には、それぞれ別々に家庭があるので、各家庭に行ってその話題をするという意味)


母は決まって


「そんなの、お前が心配しなくていい!

幸ちゃん(弟)の面倒はお母さんが死ぬまでみる!」


母は、そういったが


新しい家庭を持ってしまった。

それはいいが


相手の男は、短気でDV気質なので絶対に無理だ。母にも精神的DVをしているぐらいだから弟のことは、家族として受け入れてくれないだろう。


父は病弱だから、とても長生きする気配はない。


じゃあ、やっぱり姉の私がみるしかないじゃないか。妹は子どももいるし…。  


……


そんな話をSNSで書いたら


「お姉ちゃん、冷たいね。

きょうだいなんだから面倒みてあげて当然でしょう」という人が


一定数いる。


そういう人たちは


きっと


障害者とは縁のない生活を送ってきたんだろう。


きょうだい児の気持ちは

きょうだい児にしかわからない。


こればっかりは「親」にもわからない。


親は、一生懸命、我が子達を平等に愛し

障害を持つ子どもが「幸せに」最期まで生きれるようにということを一心に考える。


「こどものことは、私が責任持って!」


でも、きょうだい児達は思うのだ。


「違うよ。お母さん、お父さん、

弟(妹・兄・姉)のことは、“みんなでみるんだよ!お母さんだけが、背負わないで!”」


きょうだい児達は、いつもそう考えているのだ。


だって生まれてからずっと(物心がついてからずっと)隣に「普通と違う」きょうだいがいて


お母さんやお父さんが

知らないところで

深い傷を受けているんだ。


「なんで、他の友達のきょうだいは、「普通」なのに自分のきょうだいは違うんだろう」


小学校で、中学校で


「お前の弟(妹)、しんしょう!キモ!(笑)」


とからかわれ


でも、そんなことは、親にも先生にも言えず


弟を庇ってやりたい気持ちと


そんなことしたら同級生からからかわれ

恥ずかしいという気持ち


葛藤の板挟み。


気を抜いたら、自分もいじめられるかもしれない


じゃあ、友達といっしょに笑ってやる!


「(ヘラヘラ)うちの弟、バカなんだよねー(ヘラヘラ)

オイ、バカのスケ!なんでお前はそんなにバカなんだよ!(心の中→大号泣)」


家で、親に気づかれないように

いつもと変わらない態度をとる。


きょうだい児にポーカーフェイスや演技がうまい子が多い理由はこれだ。


いつも、他人の顔色を伺っているから。

自分が、「イジリの対象」にならないように

そして、誰が「敵」で誰が「味方」かを考えているから。


布団に入って一人になって

いつも涙でぐしゃぐしゃになる。


「弟よ!!!!

ごめん!ごめん!ごめん!

僕なんて、消えてしまえばいいんだ!!!

最低だ!最低だ!!最低だ!!!!」


親に見られないように

声を押し殺して、泣く。泣く。泣く。


自己否定に、陥ったまま

大人になる。


ファミレスや、行楽施設に行ったとき

他の家族を見ると心が痛む。


どうしても、自分のところの家族として比べてしまう。


友達がきょうだいの話題をふってくる。

ドキドキする。


自分のきょうだいの話しにならないように

話題を替えるテクニックを身に付ける。


(私は30過ぎるまで弟がいることを隠し通してきた)


恋人ができた時

相手に、きょうだいの話しはできない。


「自分のきょうだいに障害があるってばれたらどうしよう!」


「それが理由で結婚を断られるのではないか」


「自分のこどもが障害をもって生まれたらどうしよう!」


これについて

悩まない きょうだい児はいない。


もっともっと知って貰いたいきょうだい児の悩み。


きょうだい児という存在。


「大丈夫だよ、福祉が何とかするよ」


という声に、深く気落ちする。


「なにも、大丈夫ではない。結局その、福祉に頼るとき、動くのは誰だ?俺なんだよ。

きょうだいの呪縛に、俺たちは、永遠に逃れられんのだ。気休めはよしてくれ」


“きょうだい児” 


私の今後の課題は


彼らと共に


また、彼らの“きょうだい”と共に

どういきていくかを考えること。


『障害者基本法』の

「差別解消法」が成立したのはわずか11年前。


この十年で

少し、障害者に対しての理解は深まり

福祉も整っては来たが


「きょうだい児」のための施設や

福祉は、まだまだ、だ。


今、YouTubeで私と同年代の

「きょうだい児」が少しずつ声を上げている。


“親の介護”が目の前になってきて

声を上げ始めている。


さて、なにからするか。


こうしている今も


弟からラインが届く。


どうやったら、NHKの歌のお兄さんになれるかという、お悩み相談だ。


「バカヤロー、おまえもう39だろう。現実をみろ!」とは、姉は言わない。


「そうだねぇ、まずは歌とダンス、それから筋トレかな?」と返す。


私は、正月以来


毎晩


弟と一緒に暮らす未来を


イメージトレーニングしているのだ

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