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映画感想 アナベル 死霊博物館

 前回も書いたのだけど、『アナベル』シリーズの時系列を示しておこう。

『アナベル 死霊人形誕生』(2014)……アナベル人形が作られた経緯が描かれる。
『アナベル 死霊人形』(2017)……アナベル人形を買った夫婦がどんな被害を被ったかが描かれる。
『アナベル 死霊博物館』(2019)……アナベル人形をウォーレン夫妻が引き取った翌日の夜に起きたできごとが描かれる。
『死霊館』(2013)……死霊館シリーズの一作目。

 ややこしいのは、制作された順番と物語の順番がバラバラだから。上に書いたような順番にお話が進んでいる。制作された順番に見ても問題はないが、物語の時系列は上の通り。
 今回取り上げるのは『アナベル 死霊博物館』。『アナベル 死霊人形』のラストにアナベル人形を買った一家が、ウォーレン夫妻に相談し、「我々が引き取ろう」と提案をするところから始まる。

 映画の感想文の前に、一つ、前回の感想文の訂正。
 『アナベル 死霊人形』の前半で、カルト教団が人形を抱いて何かしらの儀式をしたのだが、私はあの場面で悪魔が召喚されたと思っていた。それでラストシーンで悪魔を退けたと思ったのだけど……悪魔、まだいたわ。
 ということは『アナベル 死霊人形』の冒頭の儀式がなんだったのかというと、あの人形を抱いていた女の霊魂を人形に移すシーンだった。そしてラストシーンで、人形に憑依していた女の霊魂を退けられた……ということだった。間違えてました。
 ブログ記事掲載まで時間があるから直せばいいのだけど、なんか面倒くさくて……(忙しかったんだ)。

さて、本作『アナベル死霊博物館』の冒頭シーン。こんな台詞が出てくる。
「じゃあ人形の憑依は?」
「ないわ。人形は媒体。動き回って憑依に見せかける。悪魔は物に取り憑かない。狙いは人間よ。人間に巣喰うこと」
 映画であれ漫画であれ小説であれ、冒頭の場面でこういうふうに出てくる台詞というのは、「宣言文」である。その物語がどういったものであるか……命題や注釈に当たる部分だ。SF映画の冒頭には必ず何かしらの文字説明が出てくるけど、ああいったものと同じ。
 説明の中に、アナベル人形には悪魔は憑依していない。あくまでも媒体に過ぎない。アナベル人形の中に悪魔の魂が宿っているわけではない。そういうわけで、アナベル人形が動き出して人間に対して何かをする……例えば『チャイルドプレイ』のチャッキーのように動き回って人を襲ったりはしない(『チャイルドプレイ』も元々はアナベル人形をヒントに制作された作品)。悪魔の目標は人間を脅かし、精神的に弱らせ、その魂を乗っ取ること。……これが改めて説明される。

 そんな冒頭。アナベル人形のアップシーンからお話が始まる。これまでの『アナベル』映画では、最初は綺麗に見せて、少しずつ肌の色をくすませて不気味に見せていくのだが、本作では最初から髪もボサボサ、肌が黒ずんでいる。最初から「曰く付き人形」ということを隠していない。
 ウォーレン夫妻はこの人形を破壊しては事態を悪化させるだけ。だから引き取り、保管することにする。
 それで車の後部座席に人形を乗せて運転するわけだが……ずーっと人形に照明が当たっている。役者に照明がほとんど当たっていない場合でも、人形にはばっちり照明が当たっている。うーん、さすがスター俳優(人形)だ。
 ただ、常に車天井から緑の照明がくっきり当たりすぎているのが不自然だったが。
 車を運転して家に帰ろうとするウォーレン夫妻だが、ちょうど墓地の前……というところでエンジントラブルを起こし、停まってしまう。どうにか修理しようとボンネットを開けるのだが、そうしている間に、亡霊がうようよと集まってしまう。アナベル人形がいかにやべーものか、(前作の知識がなくても)この場面だけでも伝わってくる。

 なんとかアナベル人形を乗せて自宅に帰宅。ウォーレン夫妻の出番はここまで。本作の主人公は実はその娘。9歳のジュディ・ウォーレンだ。とっても可愛い!
 ウォーレン夫妻は何かしらの仕事で家を留守にし、自宅には9歳のジュディと、そのベビーシッターであるメアリー、その友人のダニエラの3人だけになる。メアリーの年齢設定はよくわからないが、“ベビーシッター”とはいえ、ジュディと同じ学校に通っている。さらに車の運転ができる年齢だ。ということはまだ成人はしていないが、車の運転ができるくらいのティーエンジャーということだろう。
 それでメアリーもダニエラも、体にぴったりのセーターを着ている。まだ体が小さい年齢感だけど、でも膨らみ始めたバストが主張し始める体に、あのセーターだ。いやいや、実にいい眺めですなぁ……。監督はわかっておられる。
 さて、特に用事もないのにくっついてきたダニエラは、何かしら子細があるようだ。ウォーレン邸に入ると、こっそり地下の保管庫に忍び込む。そこで、あのアナベル人形を封印しているガラスケースの鍵を開けてしまう……。
 ここまでが前半30分だ。

 次の30分に何が起きるのかというと、実は決定的な事件は何も起きない。じゃあ何のための30分かというと、“登場人物説明”のための30分。“登場人物”といっても、これから登場するモンスターの紹介が始まる。
 アナベル人形を保管しているガラスケースを開けたことによってありとあらゆる怪奇現象が起きてしまうのだが、具体的にどんなモンスターが登場するのか……。それがこの30分の間で説明される。逆に言うと、この30分の間に紹介されなかったモンスターは登場しない。ついでに、この30分にその後の展開に関わる全伏線が敷き詰められている。確かに事件は何も起きない30分だが、脚本の構成上、一番大切なパートがここに込められている。

 ではホラー映画紹介恒例の、舞台を詳しく見ていこう。
 今回の舞台はウォーレン夫妻の家。玄関から入ると、開放的なリビングとキッチンに繋がっている。ここがお客さんを迎え入れる、パブリックなスペースになっている。
 ウォーレン邸は「スキップフロア構造」になっており、階段を半分上がるとプライベートエリアになっている。家族の寝室が並ぶエリアとなっている。
 階段を半分下がると、夫婦の仕事部屋となっている。書斎と、あの曰く付き呪具が一杯に置かれた保管庫がここにある。
 ごくシンプルな構造で、映画を見てもすぐに了解できる造りになっており、それでいてちょっとお洒落。例えば階段前にはシンプルな幾何学模様の入った柱が入っていて、これが見た目的にもいいし、印象的な影を落としてくれる。特徴的なデザインになっているから、あそこを上に登ったら寝室、下に降りたら仕事場……ということを見た目的にもわかるヒントになってくれている。
 前作『アナベル 死霊人形』の弱点は、舞台がアパートだったのでごく狭く、あまり登場人物の移動感を作れなかったこと。シチュエーションの変化を見せられなかったこと。それに、見た目的にもあまり面白くなかった。一方の本作『アナベル 死霊博物館』では様々な部屋があり、その中を移動して展開していく過程を見せることができるようになった。

 登場するモンスターについて触れておこう。
 登場モンスターについては、すでに書いたように前半30分~60分の間にすべて説明されている。
 まず大ボス・アナベル人形。ホラー世界の新しいヴィラン。でも相変わらず、アナベル人形自身は特に何もしない。何もしないのに、常に存在感を示し続ける。画面を見ていると、なかなかの貫禄を感じる。
 謎の花嫁衣装。私はこれ、『ラ・ヨローナ』だと思っていたのだが、調べてみると特に関連はないらしい。
 ウルフマン。なんか知らんが狼男。
 目にコインを乗せた男。コインを乗せるのは、あの世に行った時の船賃。ギリシャやローマで行われていた風習。あの世とこの世を隔てる川を渡るための必要な船賃なんだそうだ。この目にコインの男は、単純にライトを当てれば消えるので、最弱。
 その他、様々なガジェットもこの30分~60分の間に全て登場してくるので、注意深く見てみよう。

 映画の後半戦に入り、いよいよモンスター達が少女達を襲う展開となる。悪魔払いのベテラン、ウォーレン夫妻ではなく、女の子3人が怪物相手に大絶叫を上げながら対処していく。……なんかゾクゾクしない? 属性がSの人はわかると思うんだけど。実際、そういう狙いなんでしょう……。理屈の話をすると、腕力のない女の子だからこそ、いかいにして怪物と戦うか……という展開で面白さを引き出していくことができる。
 でも実は、怪物達は別に戦わなくても、女の子達だけでも対処できるように作られている。
 まずいって、出てくるモンスター達が全部“幻覚”であること。実際に存在しているわけではない(目にコインの幽霊は、ライトを当てただけで消滅するし)。見た目が恐ろしく、猛然と襲いかかってくるように見えるけど、実は全部“フリ”。悪魔が見せる幻影でしかない……というのが映画の裏に描かれているオチ。実際、ナイフを持って飛びかかってくる幽霊とかもいるのだけど、それで実際手傷を負った女の子は一人もいない。
 物を操って動かす、ひっかき傷を付けるなどはできるけれど、人間にはダメージを与えることができない。一度、男の子が狼男をギターで殴りつけるシーンがあるが、その瞬間姿が消えてしまう。幽霊であって、幻でしかないからだ。
 悪魔はあくまでも人間の精神を追い詰め、弱ったところを襲って乗っ取ることが目的。そのために、ウォーレン邸に保管されていた他の幽霊を動員して幻覚を見せているだけに過ぎない。
 ……というこれは、そこに気付くかどうかの話だけど。

 ホラー映画を見る上での楽しみは、アナログ的なトリック撮影を追いかけていくこと。
 前にも書いたけれども、ホラー映画は舞台裏を想像しながら観ると、俄然楽しくなる。例えばカメラを少し動かしたところで、さっきはフレームの中にいなかった幽霊が現れる。カメラの裏では、幽霊役の俳優がスタンバイしていて、カメラが振り向くタイミングでさっとフレームに入ったり出たりしているのだ。画面上では、幽霊はじーっと動かず、泰然としているのだが、カメラが外れた瞬間、俊敏にフレーム外で移動しているのだ。俳優、カメラ、スタッフがせーので動きを合わせて「さっきは誰もいなかったはずなのに、椅子に人が……」という瞬間を作り出す……そこに面白さが現れる。
 こういったトリック撮影で面白くしている作品の究極系が、このシリーズの中では『エンフィールド事件』。『エンフィールド事件』の面白さは1カット長回し撮影が多く、カメラが動いている中で点々と、フックとなる何かしらを配置し、そこで怖さを出していくことにある。これが非常に良かった。
 私の考えだが、ホラー映画はデジタルに頼り出すと途端に面白味がなくなる。アナログで作れる範囲でいかに脅かすか、意表を突くかで面白さの質が変わる。
 本作『アナベル 死霊博物館』ではウルフマンの出現シーンでCGが使われていたが、ここが一番つまらないシーンだった。CGを使えば演出の自由度が高くなるはずなのに? 不思議なことに、アナログ撮影でできないことをやっても、違和感が出るだけで、地に足に付いた演出にならないんだ。ホラーはアナログ撮影にこだわるべきなのである。

 一方の本作『アナベル 死霊博物館』では、そういった1カット内で不思議現象が起きる……という見せ方はほとんどしていない。そのかわりに本作のスター、アナベル人形をいかに登場させるか。ここにいくつも工夫が凝らされた作品だった。
 ベッドが不自然に盛り上がっていて、何だろう……とめくってみたらアナベル人形。リモコンが落ちてソファ下に入った。覗き込んで見ると、そこにアナベル人形……。まあ、やってることはギャグだよね。どれも一歩間違えればギャグみたいなことを、いかに工夫して、特に何かをするわけではないアナベル人形出現を恐いと思わせるか。アナベル人形は本作一番のスターなので、扱い方が実に丁寧だった。

 前作『アナベル 死霊館の人形』で、貞子っぽい幽霊が登場するシーンがあるが、ああいった場面は面白くならない。恐くもならない。なぜなら既視感があるからだ。ホラーは常に意表を突かねばならないが、過去作と同じことをやってはならない。常に独創であらねばならない。そういった創意を生み出せるかがホラーの面白さであり、難しさでもある。

 さて、本作『アナベル 死霊博物館』のお話。女の子達はアナベル人形を封印しているガラスケースを開けてしまったことにより、悪夢のような一夜を過ごすことになる。その間にありとあらゆる悪霊達に追いかけ回され、安全地帯などないウォーレン邸の中を駆け回って、打開策を見つけ出そうとする。外に逃げだそうにもウルフマンがいるし、内部も悪霊だらけ……という状態だ。その中だけで解決策を見いださなくてはならない……という構図になっている。
 いってしばえばそれだけの、ワンシチュエーションのアクションアドベンチャーみたいな内容になっている。
 それで、やはり前半1時間の段階で丁寧に伏線を折りたたんで収められているから、後半1時間が綺麗に収まる。後半30分で、前半1時間で散らしていたギミックが次々に登場してきて、「ああここでアレを使うのか」と驚きがくる。それで最後まできちんと収まっていく心地よさのある作品だった。ちょっとオーバーにやりすぎて笑えるところもあるし、それはさすがにご都合主義だな……と思うところもあるが(地下倉庫に閉じ込められたダニエラが、特に何もなく出てきちゃうところとか……)、基本的には収まりのいいホラーとしてきちんと作られている。
 欠点といえば、やや小さく収まりすぎているかな……と感じるところ。なにしろ、女の子達が悪霊に追い回される一晩を描いただけのお話だから。

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