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映画感想 透明人間(2020)

 まずは前日譚のお話から。

ザ・マミー 750x422

 2014年、ユニバーサル・ピクチャーズは古典モンスターホラーを現代に復活させ、さらにホラーキャラクター達が一つの映画に集結する「ダーク・ユニバース構想」を公開にする。この当時、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)が記録的な大ヒットを飛ばし、「我が社でもMCUみたいなやつを!」と立てられた構想であった。
 が、その第1作であった2017年『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』が大コケ。制作費1億ドルをかけて、スター俳優トム・クルーズを起用し、さらに世界中に向けてプロモーションを展開にしたのにかかわらず、この1作目の興行収入は米国で8000万ドル。世界興行収入では4億ドル稼ぎだし、どうにかトントンくらいになった(映画会社に入るお金は、興行収入の4分の1)が、興業不振の上に批評家からの大バッシングを受け、ダーク・ユニバース構想自体がこの1作で立ち消えとなった。
 実はダーク・ユニバース構想としてジョニー・デップ主演の『透明人間(The Invisible Man)』も計画されていたが、こちらも立ち消え。「MCUに倣え!」と安易に企画され、湯水のごとくお金を注いだ構想は完全に消失した。

 それから数年後の2019年、リー・ワネル監督・脚本による本作『透明人間』の企画が立ち上がる。この『透明人間』はあのダーク・ユニバース構想になんの関係があるかというと……な~んもなし。
 映画会社的には、ダーク・ユニバースはもう終わったものと考えていたし、リー・ワネルが企画した『透明人間』はお金のかかるスター俳優も登場しなければ、大がかりな特撮もなし。たった700万ドルの低予算で制作できる「お安い企画」だったので、特に考えも無しにGOサインを出した。
 すると『透明人間』は大当たりして、アメリカのみの興行収入だけで制作費の10倍7000万ドルを稼ぎ出す。
 実は『ザ・マミー』のほうが興行収入が8000万ドルだったので、こっちのほうが大きいのだけど、制作費700万ドルが7000万ドルに化けた意義の方が大きい。さらに批評家からも大きな評価を勝ち得た。
 映画会社が社運と大予算をかけた映画が大コケして、一人のクリエイターが立てた小さな企画が大ヒット。映画の世界は何が成功するかわからない……。
 そもそもMCUが大成功してダーク・ユニバース(ついでにDCユニバースも)うまくいかなかったのは「プロデューサー力」が圧倒的に違うからで……それはいつかマーベル映画の話をする時にしよう。

 ここから『透明人間(2020)』本編の話。

透明人間 2020-1024x576

 冒頭、女の寝姿から始まる。
 女が真夜中に起きる。布団をまくると、お腹に絡んでいる男の手。女は男の手をはねのけて、ベッドから起き上がる。
 ベッド裏から出てきたのは睡眠薬。男の側に置かれたグラスを振ると、残っている水から白い粉末がふわっと広がる。すでに薬を盛った後だ。
 この冒頭のシーンに台詞は一切ない。BGMもない。真夜中に何か始めようとする女の行動を、ただ見守るだけとなる。
 でもなんとなくわかる作りになっている。女が男の手をはねのける時の、疎ましい顔。ベッド下から睡眠薬を取り出し、次にグラスを見せている……この二つが関連付けられているので、すでに薬を持った後だとわかる。クローゼットにこっそり隠していた旅行鞄。監視カメラの向きを変えて、男を監視できるようにする。
 女はこの男からの逃亡を図ろうとしているのだ。しかも相当に注意を払わなくてはならない状況だ。
 男の家には犬(ゼウス)が1匹飼われているのだが、首には電気ショック付き首輪。飼い犬に電気ショック付き首輪を付けている……それまでの状況で男がそこそこ「ヤバい奴」というのがわかるが、電気ショック付き首輪でいよいよ「本当にヤバい男」ということがわかってくる。

 冒頭のシーンからわかるように、説明的な台詞が一切ない。全体を通してBGMも少ない。カット数も少ない。一つの状況を長回しで伝えようとする。長回しで一つ一つの状況を追いかけていくような映画の作りだから、何気ない所作や、どこかか聞こえるほんの些細な音にゾクゾクさせられる。こうした演出は、見る側に「集中」させ「注目」させる効果があり、その効果をよく活かしている。モンスターホラー映画ということだが、仰々しい演出は最小に抑え(ビックリ演出もほぼなし)、静かにじわじわと追い詰められていくような恐怖を中心に描いている。
 設定についてだが、こちらもほとんど語らない。台詞での説明は少なく抑え、画での描写だけで語っている。台詞で説明しなくても、わかるように作られている。最初のいくつかのシーンだけでも、「映像で語ろうとしている」きちんとした映画だということがわかる。

 さて、どうにか「ヤバい男=エイドリアン」からの逃亡に成功する主人公セシリアは、その後、友人である警察官のジェームズの家に居候することになる。だがセシリアはエイドリアンとの同居生活で精神的に病んでおり、外に出るのも怯えるようになってしまっていた。
 セシリアが精神的な病と闘うシーンを経て、15分ほどのところで、「エイドリアンが自殺した」という知らせが入ってくる。
 エイドリアンが自殺し、その兄のトムがセシリアに遺産の相続権があることを伝えるが……セシリアは違和感を覚える。エイドリアンが自殺なんてするわけがない。何かウラがあるんじゃないか……と警戒する。

 映画が始まって25分ほどのところで、異変が始まる。
 ある夜、セシリアは家の中に何かしらの違和感を感じる。
 誰もいないはす。何も起きないはず。しかし耳を澄ませると……「ギシィ」何者かの足音がする。
 この時の緊張感がいい。何気ない物音、かすかな役者の表情の動きをうまく捉えて、緊張感を高めている。BGMはなし。女優の動きをひたすら追いかけていく長回しの演出。結局、何も起きないのだが、緊張感はじわじわと高まっていき、異変の予兆を伝えるシーンになっている。
 別の夜、いよいよ異変が本格化する。夜中に寝ていると、突如布団が剥ぎ取られてしまう。その布団を引き戻そうとするが……何者かに踏まれている! 布団にくっきりと足跡が浮かぶのだった。

 という前半の描き方を見てわかるように、「透明人間」というよりは、「幽霊」のような描き方をしている。誰もいないはずの家の中に気配がする、その気配が怖い……という緊張感。描写も「ポルターガイスト」っぽく見せている。前半の見せ方が「幽霊映画」的な作りになっている。
 ただし、『透明人間』は「幽霊」ではなく、意思を持った人間。幽霊は気まぐれに出現したり消滅したりするが、透明人間は必ず痕跡を残していく。幽霊は目的がいまいち不明な場合が多い。しかし透明人間は意思を持って、主人公セシリアを追い込もうとする。幽霊映画っぽく見せつつ、実は別のもの……という作り方が面白い。

 この映画のシナリオで面白いポイントその1は、その「見えざる何者か」に対して、主人公ははっきりと戦おうという意思を見せること。セシリアはかなり早い段階から、「透明化した人間」が周辺にいるのでは、と勘づき、それに対処しようと奮闘し始める(そして「エイドリアンに違いない」とすぐに気付く)。幽霊相手だったらどうしようもないけれど、透明人間なら人間なので対処のしようがある。主人公が戦おうと立ち回り始めるところがいい。
 一方の透明人間の側も面白い攻め方をする。というのも、透明人間の目論見はセシリアを殺すことではなく、孤立させること。孤立させ、自分以外に救いの手がない状況に追い込むことにある。幽霊や悪魔は主人公を「呪い殺す」ことを目的とするが、『透明人間』ではそれが目的ではない……というところでユニークさが出ている。
 どうしてこんなちょっと捻ったシナリオの作り方をしているのか、というと「殺そうと思ったら簡単に殺せるから」だ。だって姿が見えないんだったら、後ろからナイフでグサッとやればいい。それだと面白くないから、透明人間に「殺す」意外の目的を持たせている。これが面白くなっているポイントだ。
 この映画のシナリオ面白ポイント2は、映画の半ば辺りで、「これどうなるんだ?」と見ている側を混乱させること。予定調和もなし、先が予想できない局面に入っていく。

 私はもう何年も前から、「エンタメの本質は“脱出”」と語っている。面白いエンタメは、ある状況に追い込まれた主人公が、いかにして「脱出」を図るか……その状況の作り方、脱出描写の面白さによって面白さの質が変わる……と語ってきている。だから、例えば主人公はオシッコがしたい、しかしトイレを探してもどこも「清掃中」で塞がっている……というミッションを設定して、そこから誰もが思いつかなかったような脱出(解決)方法を提示できたら、その作品はエンタメとして良いということになる。
 まあ、実際そんなオシッコだのトイレだのといった展開を作っても、そこまで惹きつけられるシーンにはならないのだけど(ギャグにはなる)。


 『透明人間』の面白さは、罠に嵌めようとする透明人間側が相当に奸智に優れているということ。前半1時間で主人公セシリアを家族と友人から突き放させ、さらには殺人容疑を被せられてしまう。セシリアは精神病院に収監されてしまい、孤立するだけではなく身動き取れない状況に追い込まれてしまう。
 ここが一番面白いポイント。
 さて、主人公セシリアは、この絶体絶命の危機からいかにして脱出するか? いかに機転を利かせて、奸智に長けた透明人間を出し抜くのか……!?
 ここからが面白くなっていくポイントなので、ぜひ映画を観てもらおう。

 ここから、ネタバレ話。
 結末に関する話をするぞ。

 従来の『透明人間』をモチーフにした映画には透明人間となった人間はやがてモラルが崩壊し、文字通りの「モンスター」となる姿が描かれていく。ポール・バーホーベン監督『インビジブル』はまさにその通りで透明人間になってしまった科学者は、最終的にはモラルも理性も失ったモンスターになり果てて、それで主人公に殺される……という結末となっている。
 でも、正直なところ、「なぜ?」が抜け落ちている。透明人間になったらちょっと悪さをしよう……と思うのはわかるが、『インビジブル』のようにモラルが完全崩壊してしまう理由に説得力のある説明が示せていない。
 ところが『透明人間』では逆転の描写が描かれる。透明人間となる科学者エイドリアンは最初から精神を病んだヤバい奴。それと対峙し、勝利するために、主人公であるセシリア自身がモンスターとなってしまう。エイドリアンというヤバい奴を出し抜いて勝利するためには、自身がより危ないモンスターにならねばならない……という結論に行き着いてしまう。おまけに、透明人間スーツを持ち逃げしてしまう。最終的に「モンスターとしての透明人間」を主人公セシリアが体現してしまう……というオチ。
 ここがこの作品の面白ポイントその3。透明人間というモンスターと戦うお話……かと思いきや、自分がモンスターとしての透明人間になってしまう、というお話だった。
 ここからお話が続くかどうかわからないが、「透明人間誕生話」としてお話が成立しちゃっているところも面白い。

 余談。
 従来の透明人間で気になっていたのが、「フルチン」だってこと。服は透明にならないわけだから、姿を隠そうと思ったら真っ裸にならなくてはならない。
 まあだから、ポール・バーホーベン監督の『インビジブル』なんか見てても、「こんなに暴れ回ってるけど、こいつフルチンなんだよなぁ」って思っちゃうわけだ。フルチンであちこち歩き回っているから、理性とモラル感が崩壊するのかなぁ……とかも思うのだけど。
 足も素足のはずで、よくあんな足であちこち出歩けるなぁとかも思う。足裏、痛いだろうに。足の裏は弱いところだから、小石を踏んだだけでも「いったっ!」ってなる。
 ところが今作『透明人間』はフルチンではなく透明人間スーツ。透明人間が素っ裸ではなく、「スーツ」という解釈を示したのは、たぶんこの映画が初。しかも、スーツの全面にカメラが付いていて、風景と同じ色に擬態する……という光学迷彩方式。ここだけSFになっている。映画の全体が古典的なホラーの作りだけど、透明人間の原理だけがSF。このちょっとした飛躍も、作品の良きスパイスになっている。
 ただ、前半の、布団を踏みつけるシーンに透明人間の足跡が映っていない。これを最初のシーンで示しちゃうと、「SF的透明人間スーツ」ってバレちゃうからだけど。

 最後にもう一個余談。
 「透明人間」とAmazonで打ち込んで検索すると、エッチなコンテンツばかり一杯出てくる。やっぱりみんな「透明人間になってエッチなことしたい」って考えるよね(わかるわー)。これが「透明人間」を物語として作る時のテーマになる。だいたいの人が透明人間になりたい動機が「性欲」というのがわかる。ポール・バーホーベン監督監督の『インビジブル』はそこをすくいとって映像化した作品だった。本作『透明人間(2020)』は誰もが考えつく「性欲」からテーマを一つずらした作品。エイドリアンは透明人間になったのに、女の子のお風呂を覗こうともしない。「透明人間になって何をするか?」ここをどう考えるかで、既視感のない作品が生まれた。
 簡単に思いつくようなアイデアとは、だいたい誰もが思いつくことである。人は怠け者の性分があるから、簡単に思いついたもので解決したいと思うものである。でも簡単に思いつくアイデアに逃げることなく、この作品ならでは、のテーマを探り当てている。そういうところでも『透明人間(2020)』は面白い作品だ。


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