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映画感想 Xエックス

 若い時間は今だけ。

 エグいスラッシャーホラーです。
 『Xエックス』は2022年に公開されたアメリカのホラー映画。舞台はテキサス州の田舎……ということになっているが、撮影されたのはニュージーランド。そういうわけでニュージーランド俳優が脇を固めている。
 監督はタイ・ウェスト。2005年ホラー映画監督としてデビューして、2013年には雑誌『Complex』において「25人の注目すべき35歳以下の映画監督」の1人として選ばれる。マイナーな監督なので、作品の半分くらいは日本では紹介されていない。『サクラメント 死の楽園』がヴェネツィア国際映画祭で上映されているので、にわかに注目され始めている監督だった……というべきだろう。
 構成要素の少ない映画なので制作費はわずか100万ドル。それに対して興行収入は1500万ドル。なんと制作費の15倍。評価はもっとすごく、映画批評集積サイトRotten tomatoでは批評家評が94%。オーディエンススコアが少し下がって75%。圧倒的に高い評価を得ている。
 お話しはとあるポルノ映画の撮影のために田舎にやってきた撮影隊が……という内容なのでR15指定となっている。オッパイでますぞ!!

 では前半のあらすじを見ていきましょう。


 テキサス州のとある農場。そこにいくつもの死体が転がっていた。現場にやって来た警察官はひたすらに凄惨なその様子を見て、こう呟くのだった。
「……なんだこれは」

 24時間前。とあるポルノ映画の撮影隊が車で移動していた。制作しようとしている映画のタイトルは『農場の娘達』。1979年。ビデオが世に出てきて、ハリウッドだけが「アメリカンドリーム」の唯一の道ではなくなった。ポルノビデオで一攫千金を夢見る人々も現れるようになっていった。
 撮影隊がやってきたのは田舎の農場――その脇にぽつんと立てられた小さな家。農場主の老人によると、そこはかつて、南北戦争時代の時に建てられたものらしい。
「お前は虫が好かん。というより、お前ら全員気に食わん。うちには家内もいるから、くれぐれも行儀良くな」
 老人は撮影隊に嫌悪の目を向けて、家に戻っていくのだった。
 撮影隊のリーダー、ウェインは老人に「ポルノ映画の撮影」ということは話していない。家主の承諾を得ず、こっそり撮影をはじめるのだった。


 だいたいこれくらいで前半20分。この後、ポルノ映画の撮影が始まる。オッパイが見られるのはこの後! オッパイ! オッパイ!

 冒頭シーンを見ていきましょう。

 映画の始まりはこんな場面から。ポルノ映画の撮影隊が泊まる家の入り口から、向かい側の老人の家を見ている。一見すると穏やかな農場の場面に見える。3:4構図で色も滲んでいるので、時代がかった雰囲気が出ている。

 カメラが手前へトラックアップすると、画面がビスタサイズになっていき、構図の両脇に隠れていたパトカーが現れてくる。
 実は「穏やかな農場の風景」ではなく、すでに惨劇が起きた後だった。
 この最初の場面を見て、「お、この映画いいな」と感じさせた。めちゃくちゃ良い……というわけではないが、「この映画は見られるな」と1カット目から思わせてくれる。

 テレビではずっと宗教家のおじさんがお説教をしている。この辺りではどこへ行っても、この番組を見ている。ほとんど「田舎のNHK」状態。
 これは田舎の人々がどんな意識でいるか……を現している。田舎の人々はこういうふうに物事を考えていますよ……と。「頭の中」を見せている。
 「カルチベーション」という言葉があって、メディアから発せられる情報を受け続けると、次第にそのメディアで言われたとおりのものの考え方をするようになっていく。例えばテレビが中心だった時代は、テレビが言うことはすべて正しくて、そのテレビが「善だ」といったら正しいもので、テレビが「悪だ」と言ったら悪いものと誰もが信じていた。テレビが善悪の基準を決めていたし、それぞれの時にどうするべきかという思考・行動基準も示していた。ネットの時代になると、今度はネットで言われたことを盲目的に信じる人が出てきた。人間は独力で物事を考えて決める……ということはほとんどできないものなんだ。
 こういったテレビ映像を見せることで、この田舎の人々はこういう意識でいますよ……という示唆している。敬遠なクリスチャンの思想が根付いている一方、「悪いよそ者に対しては攻撃しても良い。それは正義である」という考え方を持っている。

 さあ主人公登場です。ミア・ゴス演じるマキシーンが本編の主人公。
 マキシーンは登場からコカインを吸って、鏡に向かって「私はセックスシンボル」と呟きます。
 ということはマキシーンという女性は、自分に自信がないのだとわかる。客観的にいって、肌は綺麗じゃないし、貧乳だし……これで「セックスシンボル」と言われてもねぇ……という女優をあえて主演にしている。なんだったら録音助手をやっている女の子のほうがだんぜん可愛い。マキシーン自身もそれを薄々とわかっている。だからコカイン吸って「私はセックスシンボル」と自己暗示をかけなくちゃいけない。

 ポルノ映画の撮影隊が出発します。
 ここに描かれている絵、改めて見るとめっちゃ伏線だった。これから起きる惨劇を予告しちゃってますね。

 明らかにこっちの方が可愛いよね……という録音助手のこの子。演じているのはジェナ・オルテガ。Netflixドラマ『ウェンズデー』で主演を演じた子だ。大きな役が次々と舞い込んでいるようで、嬉しい限り。
 車の中で、撮影隊は「俺たちはスターになるんだ!」と夢を語り合う。これまで、映画監督として女優としてスターになるためにはハリウッドを目指さなければならなかった。映画会社に入って、気難しい監督の下で何年も下積みをして……。
 でもビデオの時代がやってきた。自分たちで映画を撮って、ビデオで売ることができる。それで成功をつかみ取れるかも知れない。新しい「成功のサクセスストーリー」が生まれようとしていた時代だ。
 そうした時代の作品なので、冒頭のシーンは「ビデオ時代」を意識して3:4の構図。画面もビデオっぽい処理が入っている。この時代観に寄り添っている感じがうまく描かれている。
 だが、そんな新しいアメリカンドリームもうまく行くわけがなく……。

 農場の様子……。一件穏やかな様子でもあるのだけど、草がむやみに茂っていて、あまり管理されているように見えない。撮影隊が宿泊し、撮影するのは画面左の小さな家。ここで家主に「ポルノ映画の撮影」だと告げずに撮影を始めてしまう。

 ポルノ映画の撮影が始まった横で、マキシーンがパールお婆ちゃんに家の中へと招かれる。
 実はパールお婆ちゃんが演じているのもミア・ゴス。10時間におよぶゴリゴリのメイクでお婆ちゃんに変身して、一人二役を演じている。確かに後半、目を見開いた時の顔が妙に似ているな……という気はしていた。はじめは「こんなお婆ちゃんによくこんなエグい芝居やらせるな……」と思ったけど、実は特殊メイクで中の人はかなり若い。
 マキシーンとパールお婆ちゃんが実は一人二役……ということは、この二人が“対象”となっていることがわかる。マキシーンが老婆になった姿がパールだし、思想や宗教観も同じところから出発している。そういうことがわかった上で改めて映画を観ると、ずっとマキシーンとパールお婆ちゃんを対比させようとしているのがわかってくる。
 この場面についてちょっと掘り下げよう。
 お婆ちゃんの後ろに見えている家具は「キッチンストーブ」というもの。昔はキッチンとストーブを兼ねていた。テーブルに使われている捻れ足はバーリーシュガーツイストと呼ばれる様式で、17世紀頃イギリスで考案された。どれも今どきの風景ではまず見ないようなもの。100年以上前にタイムスリップしたかのようだ。この農場が時代から置いて行かれた世界だということがよくわかる。

 お婆ちゃんが結婚した当時の写真を見ながら……
「私も昔は若かった。第1次世界大戦の直前の写真よ。夫は両方の大戦で従軍したの。オマハビーチでも生き残った。昔は私のために何でもしてくれたわ。美の力ね。私、若い頃はダンサーだったの。でも戦争があって……思ってたような人生にならなかった……」
 第1次世界大戦前夜に結婚した……その時が18歳だったと仮定すると、1979年は83歳くらいということになる。
 結婚して、さあ楽しい夫婦生活だ……と思ったら戦争が始まり、夫は戦場へ、妻は待つだけの日々が4年も続いた。終戦時は22歳くらい。
 それに戦争へ行くと、精神面でも少なからず影響を受ける。戦前と人格がまるっきり変わった……そういうこともあり得る。お爺ちゃんは撮影隊の若者達を見て「お前達は戦争にいかんのか」と尋ねている。戦争に行くことがお爺ちゃんの意識で男性的な価値観の一つとなっている。戦争が起きて、夫が別人になって戻ってきて……この時点で、パールお婆ちゃんの青春は1回終わることになる。
 1939年、またしても戦争が始まる。今度の戦争は6年続き、1945年に終わる。この戦争が終わる頃にはお婆ちゃんは49歳。なんにもいいことも楽しいこともないまま、更年期を迎えるようになる。

 あの頃得られなかった「美」と「性」……。83歳になってもまだ諦められない。もう一度若さを取り戻したい……。
 なんで「性」なのか……というと、それこそ人間の証だから。そこに若さも想いも詰まっている。セックスをすることで人は「肉体としての自分」の有り様に気付く。しかしお婆ちゃんは若い時に、夫からそれを得られなかったし、与えてもらえなかった。それが後残りとしてずっと引っ掛かったままだった。
 そこに、若い人たちがやってきた。しかもポルノ映画の撮影を始める。若い人じゃないと絶対に勤まらないような仕事。お婆ちゃんの意識の中に、猛烈な焦燥感と嫉妬が沸き上がってくる。

 この映画のちょっと興味深いところとして、セックスを前にして性的に喚起されるのはむしろ女性のほう……ということ。男性は「竿役」でしかない。

 映画の始まりのほう、録音助手の女の子はポルノ映画の撮影に驚いたり怯えたりしていたが、次第に触発されて、「自分も撮られたい」と言うようになる。この時、録音助手の女の子の目線は明らかに女性のほうに向いている。女性のほうに目が向いているのは「憧れ」がそこにあるからだけど、やはり性的に喚起させるのは女性目線でも女性のほう。エロスは女性に宿るのだ。
 お婆ちゃんもある場面でマキシーンの裸に触ってきたりするし、やっぱり女性同士で性的欲求が喚起されている。
 それで、なんで最終的に男優とセックスするのか……というとオティンティンがあるから。男は美形であるか醜男であるかはもうどうでもよくて、竿役としていればいい……という感じ。
 実は男には性的魅力なんてものはない……。そういうことを暗に言っているかのように感じられる。
 ちなみに、セックスシーンに入る前、首に提げているロザリオを外す(ここをわざわざクローズアップで描写している)。宗教的道徳観から外れる行為をするからだ。ロザリオを外す……ということは間もなく殺されるという意味でもあるのだけど。
 最終的に助かる女性は、構図の中にちらっとロザリオが入っていたりする。宗教的道徳観を持っている人だけが助かる……スラッシャー映画のお約束を踏んでいる。

 こんな感じで、いつになったら惨劇が始まるの? ……と思うけど、それは映画が始まってから50分を過ぎてから。前半は農場を風景にゆったりと進展する。すぐには惨劇は始まらないけど、不穏な感じがずーっと続いている。ホラー映画ではありがちなところなんだけど、その不穏さの見せ方がなかなかうまい。惨劇が始まるまで、緊張感がずーっと続くように作られている。
 ポルノ映画の撮影にやってきた若者達が……というわけでズバリなセックスシーン一杯なのだけど(もっと体位がはっきりわかる構図で見たかったけど……それをやるとX指定になるのか)、女優さんのオッパイを見せて「アッヒャー!」と気分が舞い上がるところに、パッとお婆ちゃんの姿を挿入する。「アッヒャー」となった気分が、一瞬にして「オエー」に変わる……という演出をあえてやっている。こんな若い子も、あと数十年でこうなるんだぜ……という感じだ。

 殺戮シーンは後半戦に凝縮されているが、とにかくも生理的にエグい。ただナイフを刺すのではなく、千切れた血管が見えたり、骨が見えたり……。殺戮シーン一つ一つがやたらと工夫されていて、生理的に嫌な感じになっていく。
 しかもそんな殺戮の後で踊り始めるお婆ちゃん……。オーガズムとは「小さな死」を意味するように、セックスはどこか死を連想させる。なので自ら死をもたらして、恍惚とした気分になっている。
 殺戮シーン自体がエグい……というのもあるけど、それをお婆ちゃんがやる……ということでさらにエグくなっていく。『エスター』でもそうだけど、生理的なタブーを犯している感じがする。とにかくも気持ち悪い。
 私は映画を観ている途中から気分が悪くなって……。吐きそうだった。それはスラッシャー映画としては大正解。スラッシャー映画としては上出来の作品だけど、何度も見たいとは思わんね(女優さんのオッパイは見たいけど)。なかなかどぎつい作品だった。


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