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思想を語ること、愛を語ること。

はじめに

先日ご縁があり、1時間の講演を行いました。これまで私がnoteに書いた思想や哲学をテーマにしました。具体的内容はこちら(https://note.com/toriikunn/n/n0b3faaa2b693)です。登壇した結果、臆することなく堂々と振舞うことができる自分を発見しました。その態度は、愛を語る態度と極めて近いものでした。

構想3年、実質準備期間1ヵ月と万全の状態で講演会に臨みました。発表早々に噛んでしまい、さらにはその直後に発表内容を飛ばしてしまいました。その段階で、格好よくプレゼンをすることはもう無理だと諦めました。誰か1人になんとなく伝わればそれで構わないと開き直りました。すると、それまでの緊張が解けてスッと肩の力が抜けて腹から声を出せるようになりました。

発表にあたってアドバイスをお願いしたコンサルさんから言われた通り、自信のない―ように見える―人間の発言は説得力に欠けます。妙な気負いを捨てたことで、結果として堂々と発言できる面白いゾーンに入りました。

私の目的は格好いいプレゼンを行うことではなく、私の思想や哲学?によって誰かの心に爪痕を残すことでした。内容を飛ばしたときに、目的に必要なことは炎の講演家のような格好のいいプレゼンをすることでも、流暢に抑揚をつけて巧みな話術—そんなものは持ち合わせていませんが―を披露することでもないと気が付きました。不器用な等身大の私の体重を乗せて、意味内容を誠実に伝えようとすることが当初の目的だったと思い出しました。そしてそれは、私が愛を語るときの様子に似ているなと発見しました。

愛を語るとき、多弁にならざるを得ない

愛を語るとき、言葉は常に不十分です。どんなに豊富な語彙を用いても、その無限の組み合わせを以てしてもです。そのため、愛を語ろうとするとき私は多弁にならざるを得ません。

今回の発表は、私と同じように精神疾患/障害を持つ聴講者に対して行いました。自分を愛する技術を知って欲しいという気持ちがあり、登壇を決意しました。聴講者、そして私は自分の価値を過少評価してしまう傾向があり、自尊心が低くなりやすい特性を持っています。極端に言ってしまえば、私を含めて生存率が低い集団です。同じ地獄を生きる仲間は減らないで欲しい。そんな願いも込めて発表をしました。それは、愛を語るときと同じ気分でした。1時間の持ち時間、文字にして1.2万文字をしっかり使い切りましたが、伝えたいこと全てを言葉にすることは到底出来ませんでした。どれだけ時間をかけて言葉を重ねることが可能であったとしても、不十分だったと思います。

愛を語るとき、全て伝わらなくても構わない

愛を語るという行為は、”俺の愛を受け取れ”というある種傲慢な試みです。全身全霊の愛は生身の人間が受け止めるには大きく、重い。そしてそのエネルギー効率は決して高くなく、相手に伝わるまでにそれなりのロスが発生します。そのため、私は愛を全て伝えようとするとき、同時に全てが伝わらなくても構わないという気持ちを持っています。愛を表現することで自己満足の世界に入っているのかもしれません。

今回の講演では、最初に躓いたことによって”自己満足に終わっても構わない、背伸びせず誠実に思想を伝えよう”と意識を切り替えることに成功しました。“俺の思想を聞いて欲しい。伝わらなくても構わない。そのときは俺が自己満足するから”と。

愛を語るとき、勇敢にならざるを得ない

愛を語るとき、そして自分の思想を語るとき、背伸びしたハリボテの姿は通用しません。そこには質量が伴わず相手に響かないからです。愛や思想を相手に刺すためには、等身大で裸の自分の質量を乗せて体当たりする必要があります。この神風アタックを行うには、玉砕の覚悟を持ち、勇敢にならざるを得ないと思っています。そしてその勇敢な姿勢を見せることによって初めて相手の心に爪痕が残せるのだと直感的に信じています。

私は何者かになりたい

人はいつか必ず死ぬ。ほとんどの人は何も名を残すことなく死んでいく。それではつまらないと思う。だから、誰かを命がけで愛してその心に爪痕を残したい。それが私の生きた証になるから。誰かにとって何者かになれるから。誰かを真剣に好きになったとき、私はこう思います。

今回の講演を受けた理由は、私が持っている思想や哲学が聴講者のうちだれか1人にでも刺さり、爪痕を残したいという気持ちがあったためです。私の思想や哲学が他の誰かに作用して、その人の思想・価値観に変化をもたらすことがあれば私の生きた証になる。それは、”何者かになれる”ということかもしれないという期待を含んでいました。

まとめ

語り尽くせず、必ずしも全てが伝わらなくても構わないという自己満足の側面を持つ。勇敢にならずにはいられず、そして何者かになろうと試みてしまう。思想や哲学を表現することは、愛を語ることなのかもしれない。そんな発見を得られた講演会でした。

最後に、私の発表を1時間+30分も聴いてくださった皆さんに感謝しています。熱心に耳を傾けていただき、そして素敵な感想を沢山くださりありがとうございます。また機会があれば別の思想+ライフハックをお話したいと思っておりますので、そのときはお付き合い頂けますと幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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