和歌と月
こんにちは、そしてこんばんは。
鳥海 花です。
10回目はお月様について。
私は月の気配を感じとるのがうまい。
煌々としていない昼間でも、ふと目を向けたところに必ず月がある(気がする)。
ちょうどセーラームーンが世代だったのもあり、子供のときから月がモチーフの雑貨をよく集めていたり、月が歌詞に出てくる曲が好きだった。
月の姿は普遍のものなのに、地球からみるとその姿を変えながら、太陽の光を借りて人々の暗闇を照らしているところがグッとくる。
日本人は昔からとても月に愛着がある。
幾度となく和歌に詠まれ、最古の物語である竹取物語にも記され、季節や時間によってたくさんの愛称がある。
月見団子、月見酒、月見のための離れなど、月を見上げて楽しみ、慈しむ文化が根付いてきた。
確かに月は美しいけれど、残念ながら現代社会、特に都会で月の有り難さを感じる機会はほとんどない。
私は一度だけ、本当の満月を体験したことがある。
沖縄の離島、1月の小浜島で夜のツアーに参加した。
小浜島には信号がない。街灯はかろうじてあるが、ツアーで行くのはマングローブ地帯。車のライトを消すと一寸先も見えない真っ暗闇になる。
本来は満天の星空を見る予定だったが、その日はあいにくの曇り空。
そして、満月だから月が昇らないうちでないと、星空は見えないとのことだった。
夜のマングローブに生息する生き物を観察したりしながら雲が晴れるのを待った。
雲の切れ間や風向きによって、ところどころ現れる星空。
そして、だんだん月が登ってくる。
点けていたヘッドライトを消してみる。
山々の間から月光がぼんやり溢れ出て、雲間に隠れながら徐々にその全貌を現す。
すると、徐々にさっきまで見えなかった周りの視界がはっきりして、雲間から満月がほぼ抜け出した時には、互いの表情まではっきりと見えるようになったのだ。
鳥肌が立った。
あんなに暗闇しか広がっていなかったのに、私は今、月明かりだけで周囲を見ることが出来ている。
信じられなかった。これが本当の満月なのだ。
月の光がこんなにも頼もしく、こんなにも眩しいなんて。
街灯がなかった時代、手元に灯りを持てなかった時代、どんなに夜が心細かっただろう。
どんなに月明かりを心待ちにしたであろう。
どんなにお月様を有り難く思ったであろう。
どんなに消えてほしくなかったであろう。
また雲間に隠れてしまう間に、想いを馳せた。
再び朧月になっても尚、月の光は溢れ出て優しく足元を照らしてくれる。
満月より、少し陰っていたり欠けているほうが風流があるという感覚にも納得した。
満月を直接眺め続けるには、少々眩しい。
満天の星空は拝めなかったが、その代わりに古典に出てくる月に対する感覚や感情、状況をリアルに追体験できたのはすごく感動した。
夫とこの瞬間を共有できたことは本当に幸運だった。
互いの顔が浮かび上がった瞬間の気持ちは得も言われぬ感動があった。
いつまでもあの心の震えを忘れたくない。
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