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Lesson78 課題の分離。境界線は誰にでもある

課題の分離についての続き。
この記事だけでも読めるので、気になる方だけ、前回の記事をどうぞ。

私が生きづらさを感じるようになったのは、明確なきっかけがある。
夢を追って努力し、やっと一歩近づいた時に、それを諦めないといけない環境に陥った。
最終的な決断は自分でしたけれど、外的な要因も大きかった。
(今思えば、その「夢」自体も、母から逃げたい一心で、それでも母の望む方向に沿う形で見つけた気もするが…)

せっかく逃げ出した母のもとに再び帰り、母と協力しながら生きることになった。
母にたくさん助けてもらい、有り難い一方で、葛藤の中で苦しみ、
自分の望みが分からなくなっていって、更に仕事も忙しく、うつになった。

ここで過去を振り返っているのは、決して母が悪いとか職場や環境がひどいとか、そういう話に結びつけたいのではなく
「もともとあった私の気質(恐竜み)」+「育ってきた中での傷」がありつつも、そこから抜け出そうともがいていた時代は、まだ若さも希望もあり、課題の分離ができてないなりに、なんとかなっていたということだ。

だが、夢を諦めたことで、将来への希望が激減し、「しんどい今」はずっと続くものになり、
かつ母との距離が近すぎて、課題の分離のできなさゆえの苦しさが表面化した。

環境は簡単には変わらない。
ここで生きていくのならば、自分を変えなければ。

そんな中で取り組んだものの中で、効果があったと思うのは、
この「自分のまま生きるためのLesson」にも何度か書いたことがある、表現アートセラピーのワークだ。

表現アートセラピーは当時1年ほど勉強していたが、ワークを続けると、自分の課題が何度もアートの中に出てくることがある。
それを深堀りしていくことで、自己理解や成長につながっていく。

もともと、私は作品の中で、丸を描くことが多く、それは境界線が曖昧でくっついていた。
丸が溶け合っている絵も描いていた。
私の中でそれは、私と他者であり、自分と他者との境界線が曖昧であることを象徴している気がしていた。

そんな自分を変えたいと思いながらも、同じような絵をいつも描いていた。

ある時、作品の話をする中で、境界線について話題にした。
「自分は人との境界線がないから、作らないといけない」というようなことを言ったと思う。
すると、メンバーが「境界線は誰にでもあるから、発見すればいい」と言ってくれた。
それは私にとって目から鱗で、「作るのは大変だけれど、見つけるだけならできそうだ」と希望が持てたのを覚えている。

その気づきは、絵に変化をもたらした。
人間関係の不安定さを絵にすることが減り、絵でも人(の象徴)同士の間に距離が生まれ始めた。
しだいに、自分が変わらないといけないという焦りも消えていった。

アート作品というのは、自分の内面を表すけれど、内面そのものではない。
それは、自己理解を促進する上で、自分を守ってくれる大事なベールになる。

例えばもし、私がアート作品ではなく、自分の悩みとして、例えば親子関係のことを具体的に話しながら「境界線がない」と伝えたとして。
それを聞いた相手は、「境界線は見つけるものだ」と言えただろうか。
言ってくれたとして、私は素直に受け止め、目から鱗が落ちただろうか。
実際に境界線を見つけようと考え行動した場合、自分の変化に気づけただろうか。

あくまでも、アートの枠組みの中で、「私は絵を描いて、こう感じました」という話をして、相手からもらった言葉だったからこそ、自分への意見を素直に聞けた。
まず、相手に受け止めてもらえて、その上での言葉だったからこそ受け入れられた。

特に、今でこそ少しマシになったが、当時は「自分と違う意見=批判」と捉える傾向が高かったので、どんなに良いアドバイスでも落ち込む可能性は高い。

アート、表現活動を組み込むことで、正解のない世界に行ける。
評価や批判から距離のある世界。
その安心の中で、自分を育て直せた体験が、課題の分離を促進したと思っている。

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