いわゆる「釧路フェザーン」な動きのかなり早めなヤツが素材の宝庫十勝の「鳥せい」といち早く結託出来たので、ザンギは全道レベルに普及した。その主な経緯その1。
まあ釧路というのは屈折した元炭鉱町のうらぶれ方が
結果的に「別れて、離れて、飛び地して」やらかした
空虚感が常に揺蕩(たゆた)っている土地柄なので
冬と9月以外は大概霧がたっぷりたっぷりしていて
もう私の人生には関係のない町なのですが。
そうした空虚感はかつて石川啄木が抱いたものとあまり
変わったところはなさそうで、かつ少女まんが的に言うと
着実にアニメ化もされた「僕等がいた」なんだろうなと。
(大地監督がアニメ化したけどロケハンは釧路だったそうで)
まあ味噌ラーメンのドニチカ散歩日記にスキが二桁
ついたので、ここまで出来ているんだし、ここでこちらを
出す気になったと。
味噌ラーメンって、そういう流儀の食べ物なんだ、って
ことを確かめてみたくなったんだっけ。なのにそういや
書いてなかった。参加する動機も何もない「外貨稼ぎ
際物まつり」を余所にしてドニチカキップ使ってプチ
「さすらい」してみた。|torov|note
「釧路フェザーン」な性格と名物の量産に変わりなし。
それでも折りしに触れ石黒ホーマやなごやか亭(三ツ星
システムズ)、はたまたコーチャンフォー(リライアブル)
と時代の中で寵児になりうる存在が出てきて、うら寂れて
地元からのボトムアップも出てきにくくなった小樽よりも
商都商人が出てくる「釧路フェザーン」な性格と名物の
量産に変わりはないな、と。
(それは釧路町と別れて、そっちが発展してソデに
されて離れて、音別吸収して白糠にもソデにされて
飛び地を作ってもなお、ね)
でやはり「ザンギ」にまつわるならばこの命題は
釧路を抜きにして語ると大概「語るに落ちる」なと。
その半端な症例がまた「唐揚げのすべて」でもあるので
まずはそこから。
「唐揚げのすべて」は以前紹介しているからこちらから
基礎情報を知ってもらえればいいとして、まあ大体
「唐揚げのすべて」が説明を省いた部分を補完しながら
ザンギについてもつらつら語ることとなるわけですが。
憲章タグの「#スキしてみて」は大恥ずかしくて
ナンギやけれど「#私の仕事」もここぞでないと
なかなか使いにくい。がここはレファ協の解決事例を
用いながら「適切」とか「彫りが浅い」とか言ってみる。
|torov|note
もともと普遍的に普及させたのは道東が発祥なので
いわゆる「釧路フェザーン」な動きのかなり早めな
ヤツ(なので「なごやか亭」よりは前の動きで「泉屋」の
スパカツよりは前(地元地域の普及としては同時期)、
石黒ホーマがホーマックになっていく時代(ダイキや
カーマと一緒になってDCMホールディングスになってく
のはかなりあとの話))と捉えるのが正確かと。
で、以前書いた部分をまず引く。
釧路の「鳥松」が提供し出したのがザンギの事始め
で、1970年代のブロイラー普及の一環で考え出されて
「鳥松」が提供し出したのがザンギの事始めではあるん
だっけ。
なので「鳥松」の詳細で信頼できるソースを引く。
だものだから当初から唐揚げとは別にザンギを提供
しているのもまた「鳥松」であると。
つまり、
①食材に下味をつけるか、つけないか。
(下味をつけるとすれば原則的に醤油味ベースの
タレに漬け込んでから衣をつける)
②衣に味付けするか、しないか。
(衣に味付けするとそれは(竜田揚げベースの)
唐揚げ判定する人もいる)
③食材が何か(鶏か鮭かタコか或いは)。
混乱の一因は定義する前に発信地と流行地の間で
「距離の暴虐」が発生した。「マリトッツォ」においての「距離の暴虐」と同様に、定義する前からバリエー
ションという名の「魔改造」が各所で進展してしまった
まあ要するに1970年代のブロイラー普及促進の一環で
外食間食中食全てのオールマイティーになっていく唐揚げ
の流れが札幌ではなく釧路商人を中心に流行していった、
が為に最近の「マリトッツオ」と同じような「魔改造」が
各所で進展してしまったから、これと対峙するハメに
なったケンタッキーフライドチキンはさぞかしやりにく
かったであろうことは容易に察せられると。
(釧路側がザンギ、小樽が半身揚げ、函館がラッピの
チャイニーズチキンバーガー、旭川が新子焼き。
移住入植系だと美唄の美唄やき鳥ととりめしもある)
「鳥松」→「南蛮酊」と「ザンタレ」→「鳥せい」の順。
で居酒屋系鶏料理から発展した釧路の流れでいくと、
1970年代の「鳥松」→1980年代の「南蛮酊」と「ザン
タレ」の発明→同じく居酒屋系で「鳥せい」が全道
レベルに普及させる、が来てザンギが一般化して
行きます。
よく改装前で地上のプラットホームに国鉄があった
旧札幌駅時代には存在したエル・ポヨ・ロコが札幌駅の
高架化で立ち退きに遭い、厚別区に移転したのが
「鳥せい」のやってる「チキンペッカー」って話、
だったようなんだけど、いろいろとミッシングリンク
しているような。
で、エル・ポヨ・ロコは1990年代に上陸したけど、
日本からは撤退。でも現地の方は残ってる、だっけ。
「チキンペッカー」と「ジョイパックチキン」
因みに行けてはいないんだけど、立地的にコンサドーレの
選手が立ち寄る店にもなってて縁が深く聖地の一つにも
なってるようだけど。
「札北馬鉄」の史料読みが終わらないからまず別口で
~「柳もち」と、おかはし(おかばし)と、弁菜亭と。
|torov|note
ただ新さっぽろサンピアザのところにデリ(多分この
店構えからするとデリバリーではなくデリカテッセンの
方か)専門の二号店があるからそこなら行けるかも、と。
「鳥せい」は中札内など十勝が本拠で本店は十勝清水
にある。釧路地区は早くに攻略されてて、この地域で
独自に広がった(新潟とはまた別種の)チキンの食べ方が
あって、それが数年前に札幌に再上陸した、ってのも
あると。
まあそれが「ジョイパックチキン」のカレーチキン、
ですね。
一応そっちは御時世直前の琴似に行って体験は
してたんですが。またこのレポートは後日。
1990年代以降のザンギの変遷(ザンギ名人、布袋のザンギ、
ザンギバーガーなど)に関してはこちらも後日纏める、
といふ感じで。
ザンギは全道レベルに普及した。その主な経緯その1、でした。