失楽園_画像_

失楽園③

主要な登場人物紹介
涼宮俊介・・・21歳。大学生。永遠と幸福が保証された世界に息苦しさを感
       じている。
牧村直美・・・21歳。大学生。学業やボランティア活動に積極的で、周囲へ
       の配慮を欠かさない。
宮田伊作・・・21歳。大学生。鈍感でぶっきらぼう。俊介の繊細さやネガテ
       ィブな性格を馬鹿にしている
涼宮美香・・・俊介の母。過保護で、心配性。俊介からは疎まれている。
西田真理奈・・・謎めいた司書。反社会的な言動をとっても、何故か”マンダ
        ラ”の影響を受けない


 この社会はあちらこちらで細やかな配慮がなされている。建物はかつての資本主義社会への反省として、直線的なデザインではなく、自然の造形物の様にアーチを描いたものや、曲線を描いたもの、ビル1つとっても奇妙な深海生物のようなデザインが施されている。この国は災害が多いので、建物の材料にはバイオテクノロジーが取り入れられ、メインシステムにはAIが導入されることによって、地震が発生した際、AIが地震の大きさ、揺れの方向を感知し、衝撃を抑えられるように、AIが建物自体をグミの様に自由自在に形を変形させるように設計されている。おかげで震度7クラスの地震でも、建物の中に居てさえすれば問題はないし、何かあれば”マンダラ”が解決する。実際ここ数十年、大きな地震が起きても誰も死んでいない。街の建物の色も人々の心に安らぎを与えるため、他方で犯罪率の減少に寄与するために、どの建物の色もシアンやコバルトグリーン、ピンクやホワイトばかりで統一され、さらに遺伝子組み換えによって、非常に色や形が美しくデザインされた植物があちらこちらで街に彩りを添えている。そこまでしなくとも、今や”犯罪”という言葉そのものが死語となっている。この国の過剰な配慮と思いやり、”正気”という名の狂気が本当に恐ろしい。


 ”ブー、ブー、ブー...."
 耳のあたりがうるさく音を立てている。目の前の”仮想現実”に着信者が表示される。母さんだ。
 「もしもし、母さんどうしたの?」
 「ああ、俊介。今代々木公園のあたりにいるわよね?帰りにそこから200m先を右に曲がったお店で、今からメールで送るリストに書いてある食材を全て買ってきてくれるかしら?」
 「わかった。じゃあ。もう切るよ。」
 「ありがとう。じゃあよろしくね。」
 ”ピコン”
 はあー......。いい加減にしろよ。いつまでもGPSで追いかけまわしやがって。自分のことは信用しろだの、何でも打ち明けてくれだの言うくせに、あんたこそ僕のことを一度でも信用したことがあったか。打ち明けて理解してくれたことがあったか。


 「ただいま。食材買ってきたよ。ここ置いとく。」
 「おかえり、俊介。ありがとう。今日は大学が終わるのが1時間ほど早かったけれど、何かあったの?」
 「いい加減にしろよ!何でそんなに僕のことを付け回すんだよ。」
 「何でそんなに怒るの?私はあなたのことを思って。以前に何度かあんなことが起きたらなおさら心配なの。」
 「自殺未遂のことか。はっきり言ってやるよ!!あんたやこの社会のせいだよ!!あなたのことを思ってだの、この社会のためだの、言いやがって。どいつもこいつも結局は自分のためじゃないか!あんたもこの社会の人間も、自分達への信用は貪欲なまでに求めるくせに、人のことは一切信用しない。監視カメラやGPS、”マンダラ”などのおもちゃを使って他人を追いかけまわし、監視し続ける。そしてそれを指摘すれば、愛しているからだの、心配しているからだの、この社会が正しく機能するためだのと言う。それが愛なのか?それが愛なのだとしたら、確かにこの社会は愛で溢れているかもしれないなあ。だが、その愛は狂気だよ。愛は人と人との間にある境界線を曖昧にするものだよ。互いに愛し合っているのなら、相手のプライベートな所にも平気な顔でズケズケと侵入し、お互いに秘密を抱えないように打ち明けあう。大層なことだよ、全く!そして僕がいざ悩みや考えを打ち明けたら、それを理解しようともせず、いつも通り同調圧力で叩き潰す!それが愛だというのなら、愛などクソくらえだ!!反吐が出る!結局人間は孤独だ。決して分かり合うことなどできない。一人で生まれ、一人で死んでいくだけだ。そして結局人間は自分自身が一番可愛いんだよ。でもあんたやこの社会はこのことに本当は気づいていながら、向き合う勇気がないから見て見ぬふりをし、自分にも他人にも嘘をつき、愛だの、思いやりだの、永遠だの、幸福だのと叫んだりするんだ。そしてその自分の思いを正当化し、実現してくれるのがこの監視社会ってわけだ!ご立派なもんだな!!」


 ”ビー!!規定違反です。直ちに今の行いを反省し、謝罪し、改めなさい。さもなければ、あなたの信用スコアは低下します。直ちに改めなさい......
 「もうどうにでもなれ!!知るか!!うるさいなあ!!黙れ!!」
 ”ゴン、ゴン、ゴン、ゴン!!!!”
 「そんな自分を痛めつけるのはやめなさい!俊介!」
 「うるさい!!黙れ!!こんなクソみたいな社会、本当にうんざりだ!!」
 ”ビーーーーー!!あなたの信用スコアが50低下します。明日から1週間、あなたの学内の各種施設や街の娯楽施設の利用を禁じます。深く反省しなさい。”
 「どこ行くの?」
 「もう聞かないでくれ!!付け回さないでくれ!!」
 ”ガチャン”


 何度もこの”マンダラ”のせいで死に損ねた。こいつが僕は憎い。こいつはこの社会の象徴だ。今や人間は死ぬ権利すら奪われた。これだったら自殺が禁忌とされていた中世ヨーロッパの方がいくらかマシだ。でもそれでも死んでやる。1回目は首つりだった。2回目は飛び降りだったが、躊躇して5階だったのがいけなかった。ここから少し遠くにある高台なら何とか死ねるだろう。”マンダラ”の回復力はとてつもないし、一体限界が如何ほどのものかわからないが、さすがにあの高さだったら木っ端微塵だろう。少なくとも僕が生まれる数十年前から自殺者はゼロだ。それどころか、事件や事故も1件としてなく、災害でも誰も死んでいない。100年前だったら自殺者だけで毎年2万人から3万人死んでいたんだ。あの数字は異常だが、現代のこの状況も異常だ。ある意味、死にたいのに死ねない人間からしたら、この世界の方が遥かに狂気じみているだろう。これで死んだら奇跡だ。この世界に対する最大の”復讐”となるだろう。


 それにしてももう夜か。この街は夜になればなおさら賑やかになる。アルコールが禁止されて以降、代用品としてアルコールの数倍の快楽をもたらしながら、強い依存性があるものの、その依存性は数時間しか続かない、かつ体には一切無害の”サテュロス”という飲み物ができた。この時間帯になれば、人々は男女入り乱れて酔い狂い、ありったけの食材を飲み食いし、どんちゃん騒ぎだ。もう少し遅い時間帯になれば、”指定区域”が解放され、その酔いのままその区域内で人々は乱交をする。まるで”ディオニュソスの宗教儀式”の様だ。古代から人間は変わっていないんだ。所詮小賢しいだけの猿だ。それにもかかわらずそれを認めようともしない。さも自分達はこの星すら作り変えることのできる偉大な”人間”だと、勘違いしている。一体何が楽しいんだか。やはりこの世界で生きる価値なんてない。いや、価値などというものも愚かなサピエンスが勝手に生み出した妄想でしかない。
そうこうしているうちに、いよいよ”ハデスの門”が見えてきた。


前章は以下のnoteです。


 

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