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【琉球桃太郎】 統失2級男が書いた超ショート小説 

吉備国に光蔵という46歳の男が居た。光蔵には結婚して24年になる妻が居たが、妻が妊娠する事はなく、神や仏への子宝祈願も結局は徒労に終わっていた。そんなとある春の朝、その子は桃と一緒に光蔵邸の玄関前に捨てられていた。光蔵は豪商で子を欲しがっていたので、その子の親も光蔵なら子供を可愛がってくれ、ひもじい思いをさせる事もないと思ったのかも知れない。光蔵夫妻はその子を桃太郎と名付け、実の子のように慈しみ深く育て上げた。桃太郎は何一つ不自由する事なく立派な少年に育ったが、14歳の秋の夕刻、自分の剣術の師を嘲る21歳の男を木刀で殴り殺してしまい、吉備国を追われる事となってしまった。桃太郎はほうほうの体で海を渡り琉球に辿り着くと、24歳まで港湾労働者として汗水を垂らして働いていた。琉球の言葉も習得し琉球の妻も貰い、貧しいながらも充実した生活を送っていた矢先、琉球国王が、護衛係を選出する為の剣術大会を開催するという話が、桃太郎の耳に入って来た。14歳のあの秋の夕刻以降、剣術の道からは遠ざかっていた桃太郎だったが、今でも腕には自身があった。妻のカマルーは反対したが、桃太郎は剣術大会に出場する事にした。出場者は厳選された16人、4連勝すれば良いだけだ。武器は真剣ではなく木刀だが、防具もなく死とは隣合わせの戦いだった。大会当日の朝、カマルーは泣いて桃太郎を引き止めたが、桃太郎は「大丈夫だよ、俺は勝つよ」と微笑み、カマルーを強く抱きしめた後、闘技場へと向かった。

苦戦した試合もあったが、桃太郎は見事4連勝を飾り優勝した。親衛隊長桃太郎の誕生である。桃太郎は国王の護衛に当たる事になり、国王からの覚えめでたく、また卒なく親衛隊長の役目をこなしていた。しかし28歳の冬に国王の側室との密通が露見し、処刑されてしまった。1人残されたカマルーは桃太郎の命日に、腐った桃を桃太郎の墓へと供え続けたという。

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