【短編小説】可愛くないモノ Vol.12 最終話

会社でパソコンに向かいながら、私は昨日の出来事を思い出していた。

先生が来るとすぐに彼女は落ち着きを取り戻した。私は正直に事情を全て先生に話し、二人に謝罪した。先生は私のことを全く責めなかったし怒ってもいなかった。寧ろ、ごめんねと何度も謝っていた。先生のそんな態度にもまた彼女は不安を覚え、思い出してはパニックを起こし、それを先生は支えていきたいのだろうと思った。肩を寄せ合う二人の後ろ姿を見送るとき、華奢だけど広いあの背中を、私はもう、欲しいとは思わなかった。


 牧田さんに、高木が大量の書類を渡しているのが目に入った。あのツーショット、少し前なら物凄い噂になっていただろうに、今ではそんなこと誰も気にしない。皆あれだけ騒いだのに、とっくに忘れているのだ。全部シュレッターにかけておいてと高木に頼まれた牧田さんは、少し斜めに首を傾け、「はい」と返事をした。あの牧田さんが、縦にだって振れる首を斜めに倒した瞬間、噂は本当だったのだと私は確信した。牧田さんが寿退社すると分かったのは、それから一週間後のことだった。相手はもちろん高木だ。


「あの噂、本当だったんだね。いやぁ、高木君がああいう趣味だったとはね~。翠、あんたとは合わなくて当然だわ」お昼休憩のとき、優香があっけらかんとした様子で言った。
「優香、最初から噂信じてたんじゃなかったっけ?」
「いや、半信半疑だったよ~。だってまさかと思うじゃん。翠と付き合ってた男があんなのと付き合うなんて。あ、あんなのは失礼か」優香の言葉に、私は思わず噴き出した。
「私、優香のそういうとこ好きだよ。ありがとう、元気出た。牧田さんには悪いけど、今だけちょっと悪口に乗っからせてもらうわ」私が昔からずっと抑えつけてきた、理想的ではない色んなモノを、優香は我慢することも恥じることもなく、当然のように口に出す。私は優香のそういうところが好きだ。
「どうでも良さそうにしてたけど、翠やっぱり傷付いてたんじゃーん。私には正直に言ってよ。いくらでも話聞くのにさ~」先生とのことを何も知らない優香は、私が高木の結婚のことで落ち込んでいると思ったらしい。わざわざ昔話をしてまで誤解を解く気にはなれないので、そのままにしておいた。
「ありがとう。じゃあまた合コン呼んでよ。今度は私、本気で行くから」私がそう言うと、優香はやけに嬉しそうに「もちろん。任せて」と言った。


 やけくそで好きでもない男と寝てしまっても、内心馬鹿にしていた女と元彼が結婚しても、センシティブな私を理解し受け止めてくれる唯一の存在だと思ってきた初恋の人こそが、永遠の中二だったのだと気づいても、私は泣くことも騒ぎ立てることもせず、淡々と仕事をこなしている。満員電車は今日も息苦しかったけど、ちゃんと会社に辿り着けた。下駄箱に立ち尽くしていたあの頃の私とは違う。遅れていた生理が今朝やっと来た。近頃の鬱々とした気分は全部、PMSのせいにしてしまおう。私はきっと大丈夫。あの頃より少しは逞しくなっている。先生は、今の私をちっとも面白くないと言うだろうか。だけど私は、今の自分の方が好きだ。
 
それでも、どうしても辛いときは、甘いあまい罠みたいな言葉に、ほんの少し身を委ねてみる。

「いいねぇ。その、危うい感じがいいんだよ。君は美しい」


甘い記憶は、もう私を狂わせる麻薬じゃない。私の頭を鎮め、現実世界へ送り出してくれる安定剤だ。

私はもう、大丈夫。

That's all,folks.

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