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【#8月31日の夜に】今日、死にます

みなさん、こんばんは。
今日はnoteのお題企画 #8月31日の夜に に、参加します。

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今回は、noteのお題企画「#8月31日の夜に」に合わせた投稿です。

本来、参加する予定はありませんでした。が、誘ってもらう機会があり、あたらめて向き合わなくてはいけないと個人として思い、マンガにしました。

今回は、かなりきわどい内容に触れていると思います。

一部の人からは、子どもも見ている中で、ここまで踏み込むことには反対意見も出るでしょう。

しかし、このお題を頂いたときに考えたことがあるのです。

自分はこのお題をもらった時に、どういう展開がありうるのか、ざっと数種類シュミレーションしてみました。

アドバイスやメッセージなど、いろんなアプローチがあると思います。しかし、それではとても彼らの苦しみには届かないと思ったのです。

人間の悩みは多種多様で、置かれている状況も様々です。大人が良かれと思ってしたアドバイスが、的外れになってしまう可能性があります。第一、ちょっと他人が考えて出せるような答えは、だいたい本人も思いついているものです。それでも、解決できない状況にあるから、苦しいのでしょう。

「逃げろ」「学校行くな」というメッセージも考えられました。しかし、逃げた者は逃げた者の苦しみがあります。そこまでフォローできるかどうか?

そう考えたときに、何も言うことができないと思いました。無力。

それでも、彼らに何かがしたい。いや、彼らのような少年少女ではなくても、すべての8月31日に向き合う、苦しんでいるひとたちに。

リアルな苦しみに耐えうるものは、誰かのリアルでしかありません。

そう思ったので、今回は自分の体験をもとにしてみました。もちろん、マンガにしている以上、誇張やすり替え、創作や演出は入っています。

しかし、たしかにそこには混じり気のない、自分の苦悩があったと思います。そこに対して、嘘はありません。

これは、ある意味、自分に向けて書きました。

あの当時の自分が、納得できるものを書きたかった。ごまかしやなんとなくの励ましではなく、いま直面している苦しみを知って欲しい、という自分の心にかなうもの。そこには明確なオチも救いも見いだせない、しかし共に苦しむと決めたものだけが、耐えうることができるもの。

当時は、それを外部の物語に求めていた気がします。自分の苦しみと、同じ痛みを書いた作品が知りたい。しかし、今気づきましたが、それは自分自身で書くべきものでした。

これがどれくらいの人に届くか、理解されるか、まったく分かりません。

しかし、すべての10代のひとに、かつて10代だった自分に、8月31日の最中にいる、すべての苦しむ人たちに捧げます。捧げようと思います。

教育者でもすばらしい人格者でもなく、苦しむ彼らを支えうる自分でないことに、ガチ切れしそうです。なので、せめて話を聞けるウサギ人間であろうと思います。もし話を聞いてほしいという10代そこらの方がいたら、twitterにDMください。その辺の会社員ですが、話を聞きます。しょーもないメッセージでも、雑談でも構いません。たいしたアドバイスはできなさそうですが、話は聞けます。返事は遅れるかもしれませんが、必ず返します。


ツイッター
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noteに10代の方がどれくらいいるか、分かりません。もしできたら、周りの方に教えたり、シェアしてもらえると嬉しいです。自分の周囲には学生がいないので、皆さんのお力を借りられればと思います。




記事は基本的に無料公開ですが、もし何か支援したいと思っていただけましたら、頂戴したお金は書籍購入か、進めている企画作業に当てさせて頂きます。