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「生活のしづらさ」と「ごくあたりまえの生活」

考えていることの「言語化」備忘録です。

(1)「生活のしづらさ」とは

「生活のしづらさ」は、谷中輝雄(やどかりの里)での実践から精神障害に対して用いた用語である。
 精神障害を説明する際には、病気の症状や障害による能力の問題ではなく、社会との接点において生じる困難に着目し、障害のある人たちの立場に立って表した。

 弱点をもちつつも、破綻をきたさないで済むような支援を検討し、生活の主体者として本人が決定を下せるように配慮することなどが述べられている。
 調理や買い物など衣食住にかかる行為に対して「ヘルパー等の代替行為」を必要とするものではなく「長期入院等による生活感覚のずれ」や「日常生活そのものへの不慣れ」、「緊張」、「社会経験の乏しさからくる自信の無さ」、「要領の悪さ」、「周囲への配慮の行き届かない」、「現実的な判断ができない」など日々の生活で遭遇する些細な不具合「だれにでもある、不器用で、要領の悪い、それぞれの苦手な部分」として表し、医療や治療とは違った新たな支援の可能性を示した。

(2)「ごく当たり前の生活」とは

 精神障害のある人を患者としてでなく当たり前の人、すなわち自らが望み選択した生活を送ることができるという自己決定の出来る生活者としてみなし、地域の中で当たり前の生活が出来るよう当たり前につき合う視点を表している。
 人並みの生活を目指しているのではなく「ごく」という意味に「その人なりの」「その人らしさ」といった意味を込めることで、その人なりの姿をありのままに認め、その人の独自な生き方を認めて、受け入れ、共に生活していくことを生活支援の原点としている。 
 精神障害者に関わる社会情勢の変化や、谷中輝雄先生自身ややどかりの里の職員など実践しながら、ノーマライゼーションとの親和性や日本固有の定義とした文化背景など、多方向から「ごく当たり前の生活」を検証し続け現在に至る。

→ 合理的配慮 ダイバシティ インクルージョンとの関係考察

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