見出し画像

『ルポ・収容所列島』本文公開_はじめに

日本の精神医療を東洋経済新報社の記者が3年掛かりで取材したノンフィクション『ルポ・収容所列島 ニッポンの精神医療を問う』が刊行となりました。閉鎖病棟からの退院を望む患者の手紙をきっかけに取材が始まった本作を、より多くの方に知っていただくために「プロローグ」「第1章」「エピローグ」を公開させていただきます。

プロモーション担当者からのメッセージです。

「精神医療なんて、私には関係ないや」                本書を読む前までそう思っていました。今この文章を読んでくださっているみなさまも、同じようなお気持ちの方が多いのではないかな、と思っております。でも読んでみると、精神医療の闇は自分のすぐ身近にあって、一歩間違えれば、この書籍に出てくる患者さんは私だったかもしれない、と思うことが何度もありました。ちょっとした症状で精神医療を受けたら、強制入院になり、自分の意思では出られなくなる恐怖。その被害に遭うのは自分や、自分の大切な人かもしれないと、ぞっとします。本書を通じて多くの人に真実を知ってもらえたら嬉しいです。

それではまずは、「はじめに」にあたるプロローグから。

電子版はこちら、オーディオブックはこちら

プロローグ 日本の精神医療が抱える深い闇

「人生の貴重な時間を奪った病院のことは決して許せません」

世間では正月休みが明けたばかりの、2020年1月6日、午前10時。米田恵子さん(42歳)は東京都八王子市にある精神科病院「多摩病院」(持田政彦院長)から退院した。2016年2月の入院から、すでに4年近くの歳月が流れていた。

「まだ夢を見ているような感じで、日常のささいなことがすごく幸せです」

退院から10日ほどたった1月半ば。取材に応じた米田さんは、そう笑顔で話した。病院では週に一度しか食べられなかった好物の麺類を好きなときに食べたり、少し夜更かしをしてテレビを見たりすることに、幸せを覚える日々だという。

「何よりいちばんの幸せは、家族や友人と自由に連絡が取れることです。逆にいまのほうが本当は夢で、目が覚めたらやっぱり現実は閉鎖病棟内のままだった、と想像すると、怖くなって泣き出しそうになります。入院しているときは外で生活しているイメージがまったくできなくて、声を上げても誰も助けてくれず、二度とここから出られないと思ったこともありましたから」

米田さんはそう振り返ったあと、語気を強める。

「この4年間、家族とは面会はおろか、声を聞くことすらかないませんでした。入院当時、中学1年生だった次男はいまでは高校生。すっかり声変わりしていて成長がうれしい半面、一緒にいられなかった悲しみもあります。人生の貴重な時間を奪った病院のことは決して許せません」

30代から40代にかけての、この4年間。米田さんが長期入院を余儀なくされた背景にはいったい何があったのか。
米田さんには男の子2人、女の子5人の計7人の子どもがいた。そのうち長女と次女は離婚した夫が親権を有している。2 01 3年1月、地元の八王子児童相談所は、生後数カ月の四女を保護した。
米田さんがうつ傾向にあり、一時パニック障害を生じ通院していたことから養育が難しいと判断したとみられる。その数日後、四女が救急搬送された病院で急死したと児相職員から告げられた。「乳児突然死」だった。
入院の前年である2015年、彼女にとってショッキングな出来事が相次いだ。1月には生まれたばかりの五女が、ついで9月には三女が、八王子児相に保護されていった。つまり米田さんにとってみれば、その保護下で四女を亡くした児相に、三女と五女も連れ去られたことになる。

「娘のなかでも、一番長くママをさせてくれた三女が、小学2年生のかわいい盛りに奪われたショックは言葉にできません。このとき以来、自分を責め精神的に追い詰められてしまいました」

その結果、精神安定剤などをオーバードーズ(大量服薬)したことで、2016年2月に多摩病院へ入院することになった。

「退院すると社会に迷惑をかけることになる」

米田さんは入院から数カ月後には、作業療法のプログラムに参加するなど順調に体調を戻していた。通常はそこから、院内散歩、院外散歩、そして外出、外泊へと少しずつ行動領域を広げ、3カ月程度で退院する患者が多い。
ところが同時期に院内の関係者間で開かれた「退院支援委員会」に出席した彼女は、主治医の言葉に耳を疑った。

「何でも自分の思うとおりになると思わないでください。私はあなたのことを信用していません」

後日、手元に届いた通知には、退院の見通しが立つまで、まだ1年近くかかると記されており、院内散歩すら認められなかった。思った以上に長い入院計画に驚いたのは、入院に同意した米田さんの妹も同様だった。

「入院当初はすぐに退院できるものだと思っていました。せいぜい1〜2カ月だろうと思ったのでサインしたのに、まさかこんなに長くなるとは思わなかった」

入院からほぼ1年経つころ、米田さんの妹は面談した主治医からこう告げられた。

「お姉さんの入院は社会的制裁です。退院するとあなたや社会に迷惑をかけることになる。市役所も児童相談所もこれに同意しています」

この主治医が米田さんに付けた診断名は「パーソナリティ障害」。実際、主治医からはたびたび、「あなたはほかの患者を支配する『操作性』がある」と指摘されていた。

「統合失調症や認知症の人のなかには、相手との意思疎通や自己主張がうまくできない人がいます。私は病院スタッフの代わりに相談に乗ったり、病院への不満も聞いてそれを伝えたりする役も担っていたので、それが操作的とみられたのかも」

米田さんに思い当たる節は、それしかないという。
以前、別の精神科病院の院長だった、ことぶき共同診療所の越智祥太医師は、「そもそもパーソナリティ障害では通常は入院の適応とはならない。よほど社会的不適応性が大きいとすれば別だが、だとしたら長期入院などできないはずなので、やはり一般的ではない」と疑問を呈する。
米田さんは4年間のほとんどを、4人の相部屋の病室で過ごした。うち2人が統合失調症で夜中に大声を上げることも多く、不眠に悩まされていた。
そうした状況を主治医に訴え睡眠薬の処方を依頼したところ、「あなたは病気ではないから、薬は出さない」と言われたという。
実際、彼女が入院中に服薬していたのは鉄剤と耳鳴りの漢方薬などで、頓服で出されていた精神安定剤は一度も用いることはなかった。向精神薬などの薬物治療は4年間いっさい受けておらず、一般的な作業療法以外の治療プログラムもとくになかった。
そのため看護師たちからも、「米ちゃん、なんでここにいるの?」「米ちゃん、ぜんぜん病気に見えないんだけど」と、不思議がられたという。

「面談した主治医からは、『彼女には薬物治療も治療プログラムもない』とはっきり言われ、ではなぜ退院できないのかと尋ねたら、『この人は操作的なんです』『人を支配しようとする』と言われ、これではまったく話にならないと感じた」

米田さんの退院を支援してきた、佐々木信夫弁護士はそう振り返る。

手紙以外、親族との連絡もいっさい禁止

閉鎖病棟内の生活においては、制約が多岐にわたる。
入浴は火曜、金曜午前中の週2回だけ。しかも4人一組で入り、制限時間は15分だ。一時は要介護者の入浴介助を男性スタッフが行い、浴室内で鉢合わせすることすらあった。
また男女交代制でその間の湯の交換が途中からなくなったことや、要介護者が湯を汚してしまうこともあった。

「家ではぬるま湯で1時間ぐらいリラックスするのが楽しみでしたが、4年間で湯船につかったのは数回だけ。頭皮のかゆみが悪化して、せめて手のかからない自立の人だけでも、週3回にしてほしいと交渉したけど駄目でした」

食事も同様だ。

「好物の牛肉やパンはほとんどメニューに入らず、パサついた鶏肉が多くて、あまり口に合いませんでした」

代わりに売店で売っているスナック菓子やせんべいなどで空腹を紛らわせることもよくあった。ただし、開いているのは週3日。またアメやガムなどは職員用に制限されていたという。
夕食後はテレビを見て過ごしたが、それは21時の消灯までだ。

「夜9時に寝るなんて小学生以来で、4年近く病院での生活が続いても最後まですぐには眠れませんでした」

最もつらかったのが、この4年の間、ほとんど外部と連絡が取れなかったことだ。
主治医の指示で、友人・知人はおろか、子どもや親族ともいっさいの面会、そして通話すらできなかった。スマートフォンの持ち込みも禁じられたため、メールやSNSでのやりとりもできず、唯一許された外部との通信手段は手紙だけだった。

「刑務所だって直接面会できるのに、それ以下の扱いですね」

米田さんの妹が主治医にそう詰め寄ると、「そんなことはない」とかわされたという。

3年半止まっていた時間が一気に動き出した

インターネットも使えないため、情報収集には苦労したが、それでも患者同士の口コミなどで精神障害者の当事者団体などを知り、めげずに手紙を出し続けたことで、佐々木弁護士ら支援者たちとつながることができた。弁護士との面会は、病院側も制限できない。
さらに米田さんにとって幸運だったのが、2019年春に主治医が代わったことだった。
その後、2019年8月には唯一妹とだけは面会や電話が可能となり、9月には病院敷地内での外出、その後は院外外出も可能となるなど、入院から3年半止まっていた時間が一気に動き出した。
2019年10月からは病院、役所、弁護士、そして米田さんを交えて退院に向けた面談が始まった。家族の元に帰りたいと訴える米田さんに対して、病院と役所はグループホームへの入居を提案するなど、退院こそ認めるものの、あくまで彼女を管理下に置き続けることを求めた。
妹や弁護士のバックアップもあり、交渉の末、最終的には自宅への退院が認められた。

「米田さんは自分から声を上げることができたからよかったが、精神科に入院している場合、まず弁護士につながることが非常に難しい。
今回弁護士が介入しても、病院側は『社会に迷惑をかける』などと極めて抽象的で法的に根拠のない理由を繰り返し、なかなか話が進まなかった。医師は『まだ不安定だ』などとも言うが、4年近く閉鎖病棟にいればむしろ不安定にならないほうがおかしい」

佐々木弁護士とともに米田さんを支援した佐藤暁子弁護士も、病院側とのやりとりをそう振り返る。
長年、精神障害者の支援活動を行ってきた佐々木弁護士は、「なぜ彼女をこれほど長期に入院させたのか。その理由がわからないという点では、これまで携わった中でも最もひどいケース。ただひどいケースではあるが、同時にごまんとあるケースでもある」と話す。
米田さんも、「4年間の入院生活でさまざまな患者と会ったが、なぜ入院させられているのかわからない人も少なくなかった」という。
薬物治療も特別な治療プログラムもない中での長期入院、そして「社会的制裁だ」などという主治医の発言、家族との面会も不許可など厳しい行動制限の理由と真意について、多摩病院に取材を申し込んだところ、持田政彦院長名で下記のような書面回答が届いた。

「弊院に入院されていた患者様の件について取材のご依頼を頂きました。しかしながら、弊院では取材はお受けしておりませんので対応できかねます。ご諒解下さいますようお願い致します」

八王子市役所と八王子児童相談所は、「特定の個人に関する情報は、第三者の方にはお答えできないことになっています」などと回答した。

世界の5分の1を占める日本の精神病床

精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。そして精神病床への入院患者数は約28万人、精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は2017年時点)。人口当たりで見ても世界でダントツに多い。
2019年7月、弊社、東洋経済新報社の編集局宛に届いた、閉鎖病棟からの退院を望む米田さんからの最初の手紙をきっかけに、調査報道部の記者3人が精神医療に関する取材に着手した。
それから足掛け3年。本書のベースとなった「東洋経済オンライン」を舞台とした計15本の連載記事は、累計で2700万PV(ページビュー)に至るなど、とても幅広い読者に届けることができた。
これから見ていくとおり、日本の精神医療の現場では人権上の問題が山積している。本書では各章ごとに数々の問題点をできるだけ丁寧に腑分けしながら、当事者たちの切実な声に耳を澄まし、日本の精神医療の抱える「深い闇」へと分け入っていきたい。
精神科病院には、米田さんを4年にわたり社会から隔離した元凶ともいえる、日本特有の入院制度がある。それが「医療保護入院」だ。
まずは同制度による「長期強制入院」の現実から見ていきたい。

――――――――――――――――――





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?