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読む薬・日記など、マガジンで読んでいただくことを前提に編集しています。 読んだ方の心が…

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読む薬・日記など、マガジンで読んでいただくことを前提に編集しています。 読んだ方の心が癒されることを目標にしています。

マガジン

  • 行き詰まったら読むくすり

    過去の辛かった出来事を記録しています。主旨は読者に元気になってもらうこと。人生の辛いことはこうやってすぎてゆくんだ、ということをぼんやり感じ取っていただけたら幸いです。Photo by Anthony DELANOIX on Unsplash

  • 日記

最近の記事

私なりの絶望の震災 6 (ギャラリー②)

帰宅時 倒れていた愛車・HONDA XR250 里山でエンデューロごっこをするときには森の中で盛大にコケたりするが アスファルトの上で自分から倒れている彼を見た瞬間は少しショックだった やはりこれは大変な地震だったのだなと思い知らされた 最終型で貴重なモデルだった つい先日(2019)事情があって手放した (2011/03/11 19:42) 地震翌日の夜 遠くの団地で火事が起きているのが見えた 異様な静けさの宵闇に 消防車のサイレンの音がいつまでも響いて

    • 私なりの絶望の震災 6 (ギャラリー①)

      帰宅直後の玄関・キッチン (2011/3/11 19:25) 帰宅直後の玄関・キッチン (2011/3/11 19:26) 倒れたCDラック (2011/3/11 19:26) ラックを起こすと開封した豆腐みたいにきれいに中身のCDだけが床に残る。 つづく

      • 私なりの絶望の震災 5

         信号機が故障した市街地は大変な渋滞だと聞かされていたが、思ったほどの渋滞はなく、いつも30分くらいかかる帰宅時間がせいぜい倍になったかどうかという程度で帰ることができた気がする。  家について最初に驚いたことは、部屋の前に停めていた自慢のバイクが倒れていたことだ。確かにスタンドは自転車のように片側に倒すタイプのものだったが、排気量が250ccのバイクだったので、例えば台風のような強風にさらされたとしても簡単に倒れてしまうような車重ではかった。  さらにアパートの玄関を開

        • 私なりの絶望の震災 4

          2011年3月11日 14:46p.m.  臨時で雇い入れたアルバイトの女性と一緒に、産休に入る同僚からの引継ぎを受けていた。  同じ1Fフロアにいた数十人の携帯電話が突然一斉にぶいぶいと鳴り出した。緊急地震速報だ。  同時に遠くの方からどどどどという地響きが聞こえてくる。いままで聞いたことがない不吉な大きさの地響きだった。ビリビリと空気が震えるような感覚もあった。  そして大きな揺れが始まった。  建物が倒壊するのではないかという恐怖から、誰が指示するでもされるで

        私なりの絶望の震災 6 (ギャラリー②)

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        • 行き詰まったら読むくすり
          7本
        • 日記
          2本

        記事

          私なりの絶望の震災 3

          2011年 言わずと知れた東日本大震災が起きる年だ。  2010年10月(震災の半年前)、営業部門に異動になった。営業部門には仲の良かった同期入社の同僚Sが所属していた。毎週のように一緒に遊び歩いていたそのSから引き継ぎを受け、社内でも特にニッチとされる特殊な仕事で独り立ちをすることが、そこでの私のミッションだった。会社は現場色の強い労働集約型産業だった。営業を含む管理部門は少数精鋭が集まっており、地域ブロックを統括するそのセクションへの異動は、社内においては栄転と言

          私なりの絶望の震災 3

          私なりの絶望の震災 2

           転勤先は自分の地元県にある中規模の港町だった。  そこには絵に描いたような激務が待っていた。冷たい海風に吹きさらされて白い息を吐きながら仕事をした(ちなみに私はいわゆるホワイトカラーだ)。早朝から深夜まで働いた。土曜も日曜も正月もなかった。  特に私を絶望させた要因の一つは、その職場が、私の経験も私の(数少ない)人より抜きん出た能力も、一切必要としない職場だったことだ。  人脈がない、文化が異なる(大げさに聞こえるかもしれないが、似たような経験のある人には通じる表現だ

          私なりの絶望の震災 2

          私なりの絶望の震災 1

          行き詰まっていた。 仕事もプライベートも、そして人生全体が。 ・・・ ・・・ ・・・  この記事は前後関係が激しく入り乱れることをご承知おき願いたい。 ・・・ ・・・ ・・・  東京本社で働いていた8年前の2012年冬。  着任して2ヶ月しか経っていなかったが、人生で初めて経験する劣悪なパワハラを含む職場環境と慣れない都会暮らしに私は心身ともに憔悴しきっていた。  生まれ育ったのが東北、新卒で最初に配属されたのが東北、結婚したのが東北、そういう牧歌的テレビもねぇ

          私なりの絶望の震災 1

          怒りの病院。(「怒りのアフガン」の抑揚で)

           私は病院が嫌いだ。  もしも読者の中になんらかの形で医療に従事する方がいらっしゃるなら先にお詫びしておきたい。  これから医療業界を少しディスりますごめんなさい。    最近の私の体験を元にした「やっぱりこの業界遅れてるよね」という敵対的メッセージである。  ポイントは3点に絞る。 ①ほとんどの病院には、病院(Hospital)なのにホスピタリティが不在である。  病院に対して「特別に丁寧なおもてなし」を求めているわけではない。しかし、受付・看護師・医師・調剤薬局の

          怒りの病院。(「怒りのアフガン」の抑揚で)

          テロかミサイルか...

           2017年8月のとある土曜の朝10時頃、強い閃光を伴う2発の爆発音が近所一帯に鳴り響きました。これはミサイル攻撃に違いないと断定した私たちは寝室に置いてあったバイクのヘルメットを被り、匍匐前進で風呂場に避難しました。  狭い脱衣所で息を潜めてスマホで情報を入手するとすぐに、それはただの落雷だと判明します。下手くそな作り話みたいですが、ここまでは今朝起きた本当の話です。  8月は戦争の話題が多くなる季節であり、数日前には欧州のテロに関わる報道がありました。そしてなによ

          テロかミサイルか...