読書メモ:『はじめて考えるときのように』

野矢茂樹著の『はじめて考えるときのように - 「わかる」ための哲学的道案内』を読み終えた。

この本は、平易な文章で「考えるとはどういうことなのか?」について書いている。著者の回答は最終章に"じょうずに考えるためのヒント”として、以下の5つにまとめられている。

①問題そのものを問う

"考えるってことは、問題を抱えて、その問題のまなざしでものごとを見ることだ。そのとき、何よりも、何が問題なのかが問題になる。問題の意味が明らかになって、それからおもむろに答えを考えるんじゃなくて、問いを問い直すことと、答えを試してみることが、らせんのように渦を巻きながら動いていく。何が問われているのか。そしてまた、なぜそれが問題になるのか...。"

②論理を有効に使う

"論理はことばの意味するところをひきだしてくることだから、手持ちの情報を最大限に活用するには、その情報の意味するところを引き出してやらなくちゃいけない。それが、論理の力だ。これがいえているなら、そこからこれも言えるはずだ。これとこれは矛盾しているから、なんとかしなくちゃいけない。そんなふうに、自分の在庫を整理して見通しをよくしてくれる。"

③ことばを鍛える

"考えるために、ぼくらがもっている唯一の翼が、ことばだ.... いろんなことばをもっているひとはいろんな可能性を試せる、新しいことばを手に入れたなら、それで新しい可能性が開ける。"

④頭の外へ

"頭のなかであれこれするのが考えることではない。問題のまなざしをもってよく観察すること。そして、実際に作業すること。ひとつの具体的なアドバイスは、思いついたことを何でも書き出してみることだ.....そうして自分が持っているものを吐き出す。吐き出したら、なるべくそれを「読む」んじゃなくて「見る」ことができるようにしたほうがいい.....そうすれば、ほら、もうご飯食べながらでも、風呂に入りながらでも、きみは考えている。"

⑤話し合う

"自分が抱えている問題をひとに伝えようとすることは、問いのかたちをはっきりさせるためになによりも役立つ....さまざまな意見にであうこと、いろんなものの見方にであること、新しいことば、新しい意味の広がりにであること。そうしてはじめて....., ぼくが思ってもみなかったところに踏み込むことができる。その意味では、共感よりも違和感や反感のほうがだいじだ。"

さて、ここからは私の感想

5つのポイントのうち、①については考えること自体が"what(何なのか)"についてだけれども、残りの4つについては"how(どのように)"についてだ。

なるほど、考えるためには「問い」が必要になる。「なぜ」や「どうして」と思わなければ、考えはじめるきっかけがない。そして出てきた「問い」に対して、そもそもその問いがどんな質のものなのかよく確認しないうちに回答を急ぐならば、それは結局は、その「問い」自体を理解していないことになる。ある問いにおいて問われていることについて問う・見つめることからはじめ、いくつかの仮ぎめした答えを試すことを繰り返す。そうして、まさにらせん階段を降りていくように、ある「問い」が本当に問うていることを掘り下げていく。これが考えることのはじまり。

論理や言葉を使ったり、頭の外に考え中のことを見える形にして出したり、人に説明することでより問いを明確なものにしていったりは、らせん階段を降りる手伝いをしてくれる。こうして考え続けていくと、そのときの段階での答えがでてくる瞬間がある。それはたいてい長い間、その「問い」を頭の片隅においたまま日々を過ごしているなかで、ふとしたときに訪れる。

一方で、ある問いに対して答えがすぐでない状況は不安定で居心地が悪いものだ。それでもその状態にとどまって、問いそのものを問うたり、切り取るための言葉を鍛えたりということを辛抱強くすることでしか見えてこない世界があるのだと思う。その不安定さに留まれず、短期的な解決を求めて答えを出していくことは、その人に優れた能力があるのではなく、ただ怯えているだけなのではないだろうか。考えることの反対は不安定な状態に留まることへの怯えかもしれない。そんな怯えから、抜け出す術を平易な言葉でしめしてくれている本書、私には希望の書のように思えた。不安定で怯えを感じてしまう問いが出てきても大丈夫。目の前の問いにおいて、そもそも何が問われているのか、私たちは、まずはじっくり観察することからはじめたらいい。

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