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次回のZINEに向けて

この頃ZINEフェスやWebライターの仕事で忙しく、新刊の準備にとりかかる余裕がなかった。昨日からやっと落ち着き始めたので、次回作「毒親育ちの恋愛事情(仮題)」の構想を練っている。
前回のタイトルは「毒親育ちが大人になってから」。主に仕事や生活面の生きづらさに焦点を当てて書いた。しかし、作り終えてまだ描ききれていない要素があった。それが恋愛や結婚についてだった。

まず、恋愛というものはその人の核となる部分が現れると思う。思春期の私にとって、自分の核は不信だった。人を信じられないからこそ関わりを避けて本の世界に逃げた。太宰治の「生れて、すみません」という一節を愛した。
それでも縁があってパートナーができた。不信の反動で依存してしまったこともあった。不信一辺倒では生きられなかったのだ。バランスをとれない故に、相手にしばしば迷惑をかけた。
それでも互いの努力あって、今は夫婦として暮らしている。

親と縁を切って平穏に暮らしていても、パートナーと結婚するとなれば今まで通りとはいかない。結婚は今でも家と家のつながりだ。親と連絡をとるか、さもなくば義両親に事情を説明し、納得してもらわなければならない。
腐っても鯛、毒でも家族。一度は普通の家族として振舞うよう努めたが、次第に綻びができた。
ベットの中でむせび泣きながら、ふと思った。他の毒親育ちはどうやって乗り越えるのだろう?と。

ある人が私の文章を「写真のようだ」と言ってくれたことがある。文体もあるが、私が書きたいコンセプトも関係あるのだと思う。
前作から気を付けていることだが、「こう生きるべき」という本にするつもりはない。「私は/この人はこう苦しみ、こう生きる」という姿を描きたいのだ。叱咤激励でも同情でもなく、その姿が誰かの力になるような気がしている。

もっといい作品を描きたいし、もっと作品を知ってもらいたい。
今はそればかり考えている。

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