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カミングアウトはすべきか?

先日、LGBTに関する議論をする動画がYOUTUBEで出てきたため、再生してみた。
その中でLGBT団体の方が「気軽にカミングアウトしやすい世の中になっていくといい」という意見を述べた。
そういう世の中になっていけばいいと思う反面、それにはすごく時間がかかると思う。
自分はカミングアウトを一生するつもりはない。
理由としては3つ
①カミングアウトする必要性を感じていない
②カミングアウトしたときに相手の反応が怖い
③カミングアウトした後、興味本位であれこれ聞かれるのが嫌

一番大きいのは③かな?
普段、あまりに恋愛の話をしないのか「ゆづきさんって異性に興味ないの?私そういうのに理解あるから正直に話してもらっていいよ」と言われることがあるが、正直余計なお世話である。
こちらは理解あるとかではなく、話すつもりがないし、その方が楽なのである。

カミングアウトを考えている方へ

あくまで自分の意見になるが、
現代において「カミングアウトは安易にすべきでない」と思っている。
人間関係においてなんでも包み隠さず話すことというはあまりないだろう。
話したくないこと、知られたくないことは話さないことが人間関係はスムーズに進むことも多い。
昔、テレビ番組で美輪明宏さんが人付き合いは腹6分目の方が人間関係がうまくいくとおっしっていたが、すごく納得したし、心が楽になった。
それでも大切な人にわかってもらいたい、自分をごまかして生きるのは辛いという方もいると思うが、そういった方は次の4つの点を踏まえてほしい。

①社会がカミングアウト受け入れる準備ができていない
同性愛に対する認知や理解は年々進んでいると感じる。
自分がゲイを自認した中学時代、同性愛はテレビではイロモノや悲劇の対象としてしか扱わていなかった。
しかし、カミングアウトされることを許容できる社会にはなっていない。
テレビや雑誌など影響力のあるメディアで活躍するLGBTタレントを見ると、一目瞭然。
・ゲイは女装をしている人しか出ていない。
・レズのタレントはほとんど見る機会はない。
・トランスジェンダーはMtoFしか見ない。
・俳優やアーティストでLGBTを表明している人はほぼ皆無。
最近はコンプライアンスもあってか露骨にオネエを売りにするタレントは出ていないが、未だにメディアでの扱いはゲイ=女装、LGBTを公言することは未だタブーなのである。
よくネットニュースのコメントやSNSでの「理解があるから大丈夫」「好きになった同士だからいいじゃない」という言葉が多い。
それは当事者(身内等の近しい人に同性愛者がいないという意味)でない第3者だから言えるという側面もある。
また、地域の温度差がかなり強いことも考慮しておきたい。
都市部と地方は価値観に大きな差がある。
LGBTの運動が盛んに行われているのは主に都市部のなかでも東京、大阪、名古屋など大きな都市。
全国的な動きだから大丈夫かも考えるのは次期尚早だろう。

②アウティングはあって当たり前
カミングアウトに関わらず、誰かに何かを話すということは、別の誰かに広まる可能性を含んでいる。
例えば友人同士の会話で「好きな人ができたんだ。まだ誰にも言ってないから二人だけ秘密ね」と約束したのに、友達の友達が知っていたなんてことは日常生活の中でよくあること。
秘密を打ち明けられた友人は悪気はないけど、彼または彼女自身がすごく信頼している人には大丈夫だろうと思って話してしまうこともある。
なにより、言われた本人もその秘密が知られる可能性があると思って話しているだろう。
いやいや、秘密のレベルが違うだろうという声が聞こえてきそうが、そんな重大レベルの秘密であれば、話す相手をかなり慎重に選ぶだろう。
慎重に選んだとしても、外に漏れてしまう可能はゼロではない。
罰則規定がきちんとある国や企業の機密情報でされ、どこから漏れてしまうものだ。
自治体によってはアウティングを禁止しているところもあるが、人間はコミュニケ―ションする生き物。人の口に封をすることはできない。
それは同時に思想信条の自由を奪うことになるだろう。
こういう罰則があると、LGBTに関わると面倒臭いことになるから近づかないでおこうと思われても仕方ないだろう。

③カミングアウトされた側の気持ちを考える
家族や友達、近しい人に自分の性を偽っているのが苦しかった。
カミングアウトをされた方のお話を聞くと、大抵この言葉が出てくる。
カミングアウトすることでその苦しさから解放されて、生きやすくなるのかもしれない。
でも、それを受け取った相手はどうでだろうか?
①にも書いた通り、社会はまだLGBTを受けれいれる準備ができていると言い難い。
LGBTに対して偏見のない社会になることには賛成だけど、それを身近な問題として感じているかというとまた別問題。
そんな中、カミングアウトされることは、突然頭の上にバケツで水をかられたようなもの。
頭ではわかっていても、それに心がついていくかは別のものになる。
最近、タレントのちゅうちぇるさんが自身のセクシャリティについてカミングアウトし、離婚されたことがニュースとなった。
妻・pecoさんはりゅうちぇるさんのカミングアウトに受け止め、夫婦という形ではないけれど、パートナーとして共に生きていくということを表明。
pecoさんはインスタで声明を出したが、
「墓場まで持っていってほしかったと一瞬たりとも思ったことはないと言えば嘘になります。」と本音を告白している。
2人は法的な夫婦となり、お子さんもいるため、セクシャリティの部分だけに向けての言葉ではないと思う。
ただ重大な秘密を打ち明けられるということは、例え強い信頼と深い愛情を築いていても、知りたくなかったという気持ちは出てきてしまうものなのだとわかる。
カミングアウトはして終わりではない。
カミングアウトされた方と今後どのような関係になっていきたいかも大切だ。
自分はそんなつもりはなくても、相手から距離を取られたり、最悪拒絶される可能性も十分にある。
カミングアウトによって相手に重荷を背負わせてしまわないか、今後どのような関係を築いていたいのかをきちんと見極める必要がある。

④相手の価値観を尊重する
カミングアウトをして相手の反応が悪くても、それで相手のことを責めたり、不寛容だと思ってはいけない。
自分には自分の価値観があるように相手には相手の価値観がある。
その価値観は必ずしもニアリーイコール()とは限らない。
生まれてきてから学んだことや経験したことで価値観は作られる。
人によって過ごしてきた人生は違うため、100人いれば100通りの価値観がある。
Aということに対しては〇だけど、Bということに対しては×ということもあるし、時代によって〇×が違うこともある。
自分の例で話すと母親はテレビでIKKOさんが出てきたとき「気持ち悪い!」と言ってチャンネルを変えていた。

これは母親の世代では男性が女装して出るなんてとんでもないということなろう。父親も同じような反応を見せていた。
自分は女装はしないしオネエ言葉も使わない。
あたりまえだがゲイ=オネエではない。
しかし、両親にはこの区別はついていなかった。(メディアの取り扱い方がいかに酷いかったかが分かる)
この時点で両親に自分のセクシャルについて話すことはないと決めた。

かといって、両親にその価値観は古いよ。差別だよ。ということは言わないし、分かってもらおうとは思わない。
それを言うことは相手の価値観を否定することになるから。
相手の価値観を否定することは、相手の生きてきた人生や経験を否定することと同じだ。それは誰でも嫌なことだろう。

LGBTをテーマに議論されるとき、必ず多様性を受けいれる社会の実現ということがでてくる。
多様性というのは、プラスのことだけではない。マイナスの意見や相容れない価値観も尊重するということだと考える。
理解するのは難しいが、受け入れらない人もいるのだということを受け止めることはできるだろう。
受け入れられない人にはその話題は口にしない。
口にするとしても相手の許可を得てからという気遣いをすることができる。


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