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法師とは/坊主とは【てるてる坊主の呼び名をめぐって#12】


はじめに

 てるてる坊主の存在を確認できるのは、わたしの管見の限り、文献資料のうえでは江戸時代の半ばごろから。その呼び名の語尾には、むかしから「坊主」あるいは「法師」が多く使われてきました。
 「坊主」と「法師」のどちらも、僧を意味するという共通性があり、読みかたも「ぼうず」と「ほうし」でよく似ています。そして、かつて分析したところによると、時代をさかのぼると「坊主」より「法師」のほうが多く見られました(★表1参照)。

 具体的には、「法師」が優勢だったのは、江戸時代中期にあたる18世紀前半から、江戸時代後期の1830年ごろまでの約100年間。それ以降は現在に至るまでおよそ200年のあいだ、ずっと「坊主」が優勢です(★詳しくは「「法師」から「坊主」へ【てるてる坊主の呼び名をめぐって#7】」参照)。

 身近な晴天祈願の風習として、長く受け継がれてきたてるてる坊主。そのまじないに使う人形の呼び名として、当初は「法師」が用いられていたのは、なぜなのでしょう。また、時代を経るにつれて、徐々に「法師」から「坊主」へと変化したのは、なぜなのでしょう。

1、「法師」と「坊主」の意味の広がり

 手はじめに、いくつかの辞書をひも解きながら、「法師」と「坊主」という語の相違点を整理してみます(★表2参照)。

 本来の仏教的な意味に立ち返ると、「法師」とは「法の師」、すなわち、「仏法によく通じ、人々を導く師となる者」。いっぽう、「坊主」は「坊の主」、すなわち、「寺坊のあるじである僧。寺院で一坊を構えた僧」と説明されています。仏法に通じた師(法師)か、寺坊の主(坊主)か、もともとの意味はだいぶ異なります(表2の❶)。
 本来の意味から派生して、僧を意味するようになったのは「法師」も「坊主」も一緒(❷)。なかでも「坊主」に関しては、僧を意味するようになったのは室町時代(1336-1573)のことであると、いくつかの辞書で説明されています。
 この点については何か証拠となる資料があるのでしょうが、わたしは未確認です(ひょっとすると、後述する喜田貞吉の論考を根拠としているのかもしれません)。
 さらに派生すると、実態は僧ではない、僧のような姿をしたもの(者・物)を指すようになります(❸)。たとえば、幕末のころ江戸では、僧形をした「御日和坊主」とか「照れ照れ坊主」と称する者が、街をめぐっては晴天祈願の祈祷をして、人びとから銭をもらう光景が見られました。
 その特徴を最もよく表しているのは、髪のない坊主頭です(★詳しくは「街を駆ける御日和坊主【てるてるmemo#5】」、および、「銭をもらう「照れ照れ坊主」【てるてるmemo#9】」参照)。

 引きつづき、辞書の説明に目を向けてみましょう。「法師」と「坊主」はともに、男の子(❹)を指したり、さらに広く、人と同義(❺)に使われたりもします。なかには、「三日坊主」のように人をさげすむ意味を込めた用例(❺の㋑)も見られます。
 このほか「坊主」に至っては、釣りや花札などの用語ともなっています。『日本国語大辞典』では、「坊主」の説明として「「てるてるぼうず(照照坊主)」の略。」とも記されています。

2、「法師」の語義の零落

 てるてる坊主の呼び名の語尾に付される場合の「法師」と「坊主」には、むろん、本来の仏教的な意味(前掲した表2の❶)はなく、僧そのもの(❷)でもありません。
 僧形のもの(❸)、もしくは、さらに広く、人の形をしたもの(❺)に当たると考えられます。あるいはそこに、子どもじみた迷信に過ぎないとして、あざけりやからかいの意味(❺の㋑)が込められている感も否めません。
 『日本大百科全書』の「法師」の項は仏教民俗学者・五来重(1908-93)による執筆。かつて「法師」という語は、上位の僧のみに与えられる敬称だったといいます。しかしながら、やがて上位の僧が上人しょうにん禅師ぜんじといった敬称で呼ばれるようになると、「法師」は下位の僧や山伏的堂衆どうしゅだけを指すようになりました。堂衆とは、清掃・修繕・管理などの雑事に携わる下級の僧。
 つまり、もともとは上位の僧の敬称だった「法師」が、いつしか下位の僧を指すようになったというのです。こうして「法師」という語の意味が変わった、その具体的な時期について、五来は言及していません。
 ただ、先述したように「法師」という語は江戸時代半ばにはすでにてるてる坊主の呼び名として使われていました。当時すでに、「法師」といえば、上位の僧だけを指すわけではなかったのでしょう。「法師」と呼ばれる人物に対して、あざけったりからかったりする気持ちも、含まれるようになっていたかもしれません。

3、漂泊する「法師」/定住する「坊主」

 ここでもう一度、「法師」と「坊主」の本来の意味に立ち返って、その違いに目を凝らしてみましょう。
 先述のように、「坊主」は「寺坊の主」でした。「法師」はその対義語であり、「中世以前においては、1人前でありながら自らの坊(僧房)を持たない僧侶のことを指した」とする見かたがあります(インターネット上の辞書サイト「Wikipedia」で「法師」の項を参照)。
 坊に暮らす「坊主」に対して、坊のない「法師」の日常は各地を修行して歩く流浪の日々。ここで注目したいのが、そんな遊行の宗教者たちの姿に、てるてる坊主の「原像」を重ね合わせているのが、文化人類学者・小松和彦(1947-)です[小松1991]。
 小松が念頭に置いているのは、日本列島各地にこんにちまで伝えられてきた土中入定伝説。かつては天候不順などの災厄に見舞われた際、たまたまそこを通りがかった宗教者に災厄の責任を負わせて、土中入定させることがあったのではないか。
 そして、それを人形に肩代わりさせたのがてるてる坊主の風習なのではないか、と小松はいいます(★詳しくは「身代わりとしてのてるてる坊主【てるてる坊主考note#28】」)。

 「法師」と「坊主」を比べた場合、小松が想定している遊行の宗教者に近いのは、言うまでもなく「法師」でしょう。「坊主」とは違って、自らの寺坊を持たない存在です。天候不順などの災厄を祓うべく、供犠の生け贄を捧げる際、択ばれやすいのは「坊主」ではなく「法師」であるといえそうです。
 先述のように、てるてる坊主の呼び名を分析してみると、時代をさかのぼるほど、「坊主」より「法師」のほうが多い傾向があります。
 かつて、「法師」が優勢だった江戸時代後期の1830年ごろまでは、晴天祈願のまじないの人形を「坊主」ではなく「法師」と呼ぶほうがしっくりきたのかもしれません。天気コントロールの儀礼を担うのは、定住する「坊主」よりも、漂泊する「法師」のほうがふさわしいという感覚の名残です。

4、文献資料のなかの「法師」と「坊主」

 「法師」と「坊主」という語の意味が派生して、賎しいもの(者・物)への蔑称として用いられるようになる。その経緯については歴史学者・喜田貞吉(1871-1939)が着目しており、「俗法師考」のなかで、そのものずばり「法師と坊主」という節を設けて整理しています[喜田2008]。
 喜田によれば、「法師」と「坊主」のどちらも、本来は僧のなかでも上位の高僧に与えられる尊称でした。やがて、それが僧一般を指すようになり、さらには僧ではない者にも濫用された挙げ句、賎称となるに至ります。
 その結果、高僧はおろか一般の僧であっても、「法師」とか「坊主」と呼ばれることを嫌うようになったといいます。尊称であった語が時を経るにつれて賎称となるかたちは、「貴様」や「お前」といった語と同様です。

 喜田の論に耳を傾けてみましょう。まずは「法師」について。言うまでもなく、本来の意味は「|法(のり)の師」。ただ、「法師」はすでに中世には「往々にして賎しい身分と認められたものにくっつけて呼ばれておった」と喜田はいいます。例として列挙されているのは、散所法師・非人法師・田楽法師など[喜田2008:130頁]。
 『日本書紀』の記述によると、仏教が日本に伝来した欽明天皇の時代(539-571)、当初は僧を表すのに「法師」は用いられず、僧尼・呪禁師・沙門といった語が用いられました。僧を表す「法師」の初出は用明天皇2年(587)のこと。
 その後の文献資料に散見される「法師」の語を検討してみると、7~9世紀ごろには、「法師」と呼ばれるのは身分の高い僧に限られるといいます。しかしながら、中世になると高僧から俗僧まであらゆる僧が「法師」と呼ばれるようになります。
 さらには、喜田は「『枕草子』に遊芸を事とする乞食尼を、女の法師と書いてある」点を例示しつつ、平安時代にはすでに僧一般のみならず賎しい身分の者に対しても「法師」の語が用いられていた事実を指摘しています[喜田2008:132頁]。

 平安時代以降、「法師」の語義が零落していくなか、代わるように使われはじめたのが「坊主」。言うまでもなく、本来の意味は「坊の主」で、単に「坊」とも称されました。鎌倉時代初期の『吾妻鏡』(1186年)にはまだ、そうした本来の意味で「坊主」が登場していることを確認できるそうです。
 しかしながら、時代が下って室町時代になると、「坊主」の用例は広がりを見せます。喜田が注目しているのは、自身が静岡県内の寺院で目にしたという永禄4年(1561)の古文書の記述。そこには、「坊主」と称して寺に断りなく居住する者を咎める旨が記されていました。
 この事実をふまえて喜田は、「当時すでに坊主ならぬものが、みだりに坊主と称していたことを示している」と述べています(先述したように、いくつかの辞書において、本来は「坊の主」を指していた「坊主」が一般の僧を指すようになった時期について、室町時代(1336-1573)とする説明が見られます。いずれの辞書にもその根拠は示されていませんが、ひょっとすると、永禄4年(1561)の文書をもとにした、この喜田の見解が参照されているのかもしれません)。
 そして、一般の僧をも指すようになった「坊主」は、「法師」と同様にその後も語義を広げていきます[喜田2008:135頁]。

はては特殊の賎業者にまで多く用いられることになる。殿中にあって将軍大名の雑役に服するものも、遊里にあって嫖客ひょうかくの興を助くるものも、みな坊主をもって呼ばれることとなる……(中略)……その賎しい意味となった坊主の語は、さらに進んで賎者を侮蔑する場合に用いられることとなり、ついには……(中略)……ただの僧侶を呼ぶにも坊主の語を避けるような現勢となってしまった。

5、語義派生の時代的ずれ

 喜田の検討を整理してみましょう。「法師」と「坊主」の語の意味は、ともに「本来の意味」(①)→「僧一般」(②)→「賎しい身分の者」(③)と派生しました(★表3参照)。

 「法師」の主な用例として確認できるのは、「本来の意味」(①)では6世紀後半~9世紀前半、「僧一般」(②)を指すのは7世紀前半~13世紀前半。そして、「賎しい身分の者」(③)に対して用いられ、侮蔑の意味が込められるようになったのは11世紀初頭以降のこと。
 いっぽう、「坊主」の主な用例として確認できるのは、「本来の意味」(①)では12世紀後半~13世紀前半、「僧一般」(②)を指すのは15世紀半ば~16世紀半ば。「賎しい身分の者」(③)については、喜田は具体的には言及していませんが、次のような記述が見られます[喜田2008:130頁]。

中世では「法師」という語が往々にして賎しい身分と認められたものにくっつけて呼ばれておった……(中略)……しかるにそれがどうしたことか、後世ではおおく「坊主」という語に変って、賎称の意味に用いられている。

 「中世」に「法師」が賎称として多用され、「後世」に「坊主」がそれに代わったと説明されています。「後世」とは中世のあとの「近世」、すなわち江戸時代のことを指していると推測されます。
 注目したいのは、「法師」と「坊主」の語義が派生する前後関係。「本来の意味」(①)から派生して「僧一般」(②)や「賎しい身分の者」(③)という意味での用例を確認できる時代を整理すると、いずれも、先行して「法師」が使われ、遅れて「坊主」が使われています。
 すなわち、「僧一般」(②)という意味での用例を確認できるのは、「法師」は7世紀前半~13世紀前半。いっぽうの「坊主」は15世紀半ば~16世紀半ばのことです。
 あるいは、「賎しい身分の者」(③)という意味での用例の場合、「法師」については、すでに11世紀初頭には確認できます。いっぽうの「坊主」については江戸時代になってから。
 こうした、「法師」が先で「坊主」があとからという前後関係を、てるてる坊主の呼び名をめぐっても指摘できそうです。再三述べてきたように、てるてる坊主の呼び名の語尾に「法師」が多く用いられたのは1830年ごろまで、代わって、「坊主」が多く用いられるようになったのは1830年ごろからなのです。

おわりに

 「法師」か「坊主」かという、てるてる坊主の呼び名の語尾をめぐって。本稿では、「法師」と「坊主」という語のもともとの意味や、語意の派生に注目しつつ検討してきました。
 もともとの意味に立ち返ると、「法師」は「法の師」として諸国を漂泊する存在。いっぽう、「坊主」は「坊の主」として寺院に定住する存在です。
 てるてる坊主の呼び名に、当初は「法師」が多く用いられていたのは、なぜでしょう。
 かつて、雨乞いや晴天祈願といった天気のコントロールを図る儀礼を担うのは、諸国を遊行して歩く「法師」でした。そうした感覚の名残から、晴天を祈願するまじないの人形の呼び名も「法師」と付けるのがふさわしい、と当初は考えられたのでしょう。
 では、時代を経るにつれて徐々に、てるてる坊主の呼び名の語尾が「法師」から「坊主」へと変化したのは、なぜでしょう。
 先述のように、「法師」と「坊主」ではもともとの意味は異なります。ところが、それぞれに意味が派生し、双方ともに「僧一般」や「賎しい身分の者」をも指すようになりました。
 注目したいのは、「僧一般」の意味でも「賎しい身分の者」の意味でも、使われはじめたのは「法師」が先で「坊主」はあとからという前後関係です。このように「法師」と「坊主」という語の意味が時代的にずれながら派生していったことが、てるてる坊主の呼び名の移り変わりに影響を与えているのかもしれません。

参考文献
・喜田貞吉『差別の根源を考える』、河出書房新社、2008年(該当箇所の初出は、「俗法師考余編」〈『民族と歴史』第3巻第5号、1920年〉)
・小松和彦「照々坊主の原像――小栗判官譚の解読に向けて――」(『基督教文化研究所研究年報 民族と宗教』第24号、基督教文化研究所、1991年)

WEBの参照ページ
・コトバンク「法師」の項
https://kotobank.jp/word/%E6%B3%95%E5%B8%AB-627591
・コトバンク「坊主」の項
https://kotobank.jp/word/%E5%9D%8A%E4%B8%BB-132201
・Wikipedia「法師」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%B8%AB


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