てるてる坊主研究所

300年後のてるてる坊主研究のために。。。 てるてる坊主について、気になったことや考え…

てるてる坊主研究所

300年後のてるてる坊主研究のために。。。 てるてる坊主について、気になったことや考えたことを、ゆっくり深めていければと模索中。 YouTube公式チャンネルはこちら→https://www.youtube.com/channel/UCefICmNqgTPx5SoT5RWEVog

マガジン

  • 時代別てるてる坊主

    さまざまな時代ごとの、てるてる坊主についてまとめています。

  • 願掛けとお礼の作法

    てるてる坊主に願いを掛けるときの工夫や、願いがかなったときのお礼、あるいは、願いがかなわなかったときの罰について。

  • てるてる坊主は何者か

    てるてる坊主とは何者なのか。これまでの研究史やわたしなりの見解を並べた試行錯誤。

  • 姿かたち

    古今の多様なてるてる坊主の姿かたちをご覧ください。

  • 呼び名

    古今のてるてる坊主の呼び名をめぐる話題を集めています。

最近の記事

  • 固定された記事

【随時更新中】てるてる坊主研究MAP

 2021年4月からはじめたnoteの記事が50本の筋目を超えました。これを機に、てるてる坊主研究所のこれまでの活動をふりかえりつつ、これからの展望を見据えるための覚え書きとして、研究MAPを作成しました。  真ん中の周りを囲む8つが大きな柱(noteのマガジンに対応)。その8つの大項目の周りに、それぞれのキーワードのようなものを並べてあります。キーワードの下の数字は、これまでnoteに記してきた参照記事(以下の一覧の番号に対応)。 ★note記事一覧★ 1. 「てり

    • 昭和38年のてるてる坊主【てるてるmemo#15】

      1、描かれたてるてる坊主5点  いまから60年前にあたる昭和39年(1964)のてるてる坊主について、以前に紹介しました(★文末に掲載した「昭和39年のてるてる坊主【てるてるmemo#14】」参照)。  引き続き本稿では、その前年、昭和38年のてるてる坊主に目を凝らしてみましょう。わたしの管見が及んだ、てるてる坊主が登場する資料を、ジャンルを問わずに対象とします。随時、前年の昭和39年の事例とも比較しながら、検討を進めていきましょう。  まずは、絵のある資料から。翌昭和

      • 昭和39年のてるてる坊主【てるてるmemo#14】

        1、60年前のてるてる坊主たち  『万延元年のフットボール』は小説家・大江健三郎(1935-2023)の名作です。それになぞらえて、本稿は題して「昭和39年のてるてる坊主」。  昭和39年(1964)というと、いまから60年前。初めての東京オリンピックが開催された年です。文献資料をひも解きながら、当時のてるてる坊主のありようを探ってみましょう。  本稿でまず検討したいのは、てるてる坊主が登場する絵や写真。目下のところ、てるてる坊主研究所では昭和39年のてるてる坊主について

        • 【動画】昭和30年代のてるてる坊主(てるてる坊主図録Ver.3.1~3.5)

           てるてる坊主研究所で蒐集してきた、文献に登場するてるてる坊主のなかから、昭和30年代後半のものを年代順にさかのぼりながら、紙芝居方式で全世界に向けて配信中。 #つくってみた #てるてる坊主 #民俗学 #日本文化 #Japanese culture #Японська культура #วัฒนธรรมญี่ปุ่น #culture japonaise

        • 固定された記事

        【随時更新中】てるてる坊主研究MAP

        マガジン

        • 時代別てるてる坊主
          11本
        • 願掛けとお礼の作法
          7本
        • てるてる坊主は何者か
          11本
        • 姿かたち
          10本
        • 呼び名
          12本
        • お天気観
          10本

        記事

          軒に吊るせば【てるてる坊主考note#36】

          はじめに  ここ最近ずっと、民俗学者・柳田国男(1875-1962)の「毛坊主考」を読んでいます。大正3~4年(1914-15)に発表された長編論考です。そのなかの「ネブタ流し」と題したある一章で、人形送りの行事が話題にのぼっています。具体的には虫送り・疫病神送り・雨乞い・雨風祭りといった行事です。  柳田によれば、人形送りの行事の基盤にあるのは、もろもろの災厄の原因を悪霊のしわざと見なす発想。そうした悪霊を人形に託して村境へ送り出したり、海や川に流し去ったりします。災厄

          軒に吊るせば【てるてる坊主考note#36】

          てり雛からてるてる坊主へ【てるてる坊主考note#35】

          はじめに  「近世の田舎では風雨の害を攘うために人形を送る例もあった。照々坊主の風習もまたこれである」。民俗学者の柳田国男(1875-1962)は大正期の論考「毛坊主考」(大正3~4年=1914-15)のなかでそう述べています[柳田1990:452頁]。  昨今のてるてる坊主の風習は、「近世の田舎」でよく見られた雨風祭りの名残だというのです。「風雨の害を攘う」雨風祭りに加えて、虫送り・疫病神送り・雨乞いといった人形送りの行事を、柳田はひとくくりに「金鼓の行事」と名づけてい

          てり雛からてるてる坊主へ【てるてる坊主考note#35】

          人形送りのなかのてるてる坊主【てるてる坊主考note#34】

          はじめに  民俗学者・柳田国男(1875-1962)がのこした膨大な著作のなかで、てるてる坊主に触れたものは以下の3点(発表年の順)。  本稿で注目するのは1つめの「毛坊主考」。日本列島各地に見られた人形送りの風習のひとつとして、てるてる坊主が位置づけられています。  残る2点については、かつて検討したことがあります。2つめの「人形とオシラ神」では、神が宿りやすいかたちをしたものの一例として、瓢箪のような杓子を使ったてるてる坊主が紹介されています(★後掲の「杓子のてるて

          人形送りのなかのてるてる坊主【てるてる坊主考note#34】

          杓子のてるてる坊主【てるてるmemo#13】

          はじめに  民俗学者の柳田国男(1875-1962)が主宰した民俗学研究所。そこで昭和30年(1955)に編まれた『綜合日本民俗語彙』には「ヒヨリボウズ」の項があって、次のように説明されています[民俗学研究所1955:1336頁]。  山口・福岡・長崎の各県から、それぞれに興味深い事例が紹介されています。このなかで、2つめの福岡県小倉(現在の北九州市)の事例については、かつて注目したことがあります(★詳しくは「半分にされたてるてる坊主【てるてるmemo#7】」参照)。

          杓子のてるてる坊主【てるてるmemo#13】

          天気コントロールの生け贄【てるてる坊主考note#33】

          はじめに  供犠論をめぐる、民俗学者・赤坂憲雄(1953-)の言葉です[赤坂2013:42頁]。人柱や人身御供といった生け贄は、かつて実際にあったのかどうかという難儀な詮索は、到底わたしの手には負えません。  ただ、天気に関わる儀礼に限ってみても、文献資料や伝承のなかには、いくつもの生け贄譚が顔を覗かせています。天候不順に際してその払拭を図るべく、人間が犠牲となる場面がしばしば語られてきました。 本稿では、そうした天気のコントロールにまつわる生け贄譚に耳を傾けてみましょう

          天気コントロールの生け贄【てるてる坊主考note#33】

          穢れを負わされるモノたち【てるてるmemo#12】

           『日本書紀』に大王である天武(天武天皇。?-686)が「大解除」をおこなったことが記録されています。『日本書紀』天武十年紀の七月丁酉条の記事です(読みやすさを考慮して書き下し文に改めた)。  天武10年というと西暦682年。大王天武が「大解除」をおこなうにあたって、諸国の国造らが「祓柱奴婢」を1人ずつ差し出したことがわかります。  歴史学者・神野清一(1940-)は『律令国家と賤民』(1986年)のなかで、この『日本書紀』の記事に注目して次のように述べています[神野198

          穢れを負わされるモノたち【てるてるmemo#12】

          法師とは/坊主とは【てるてる坊主の呼び名をめぐって#12】

          はじめに  てるてる坊主の存在を確認できるのは、わたしの管見の限り、文献資料のうえでは江戸時代の半ばごろから。その呼び名の語尾には、むかしから「坊主」あるいは「法師」が多く使われてきました。  「坊主」と「法師」のどちらも、僧を意味するという共通性があり、読みかたも「ぼうず」と「ほうし」でよく似ています。そして、かつて分析したところによると、時代をさかのぼると「坊主」より「法師」のほうが多く見られました(★表1参照)。  具体的には、「法師」が優勢だったのは、江戸時代中

          法師とは/坊主とは【てるてる坊主の呼び名をめぐって#12】

          天気の好し悪しと日ごろのおこない【てるてる坊主考note#32】

          はじめに  わたしたちはときどき、天気を自らの日ごろのおこないと関連づけて解釈しようとすることがあります。  たとえば、久しぶりに屋外での野球観戦の日。雨の予報が外れて、うそのように気持ちのよい好天に恵まれたなら、「日ごろのおこないが善いからかなぁ」と悦に入るようなこともあるでしょう。  あるいは、一生のうちに何度も見られないような流星群が予想される夜。あいにくの雨模様で、心待ちにしていた天体ショーを見損なったときには、「日ごろのおこないが悪いせいかなぁ」と自身の不徳を責

          天気の好し悪しと日ごろのおこない【てるてる坊主考note#32】

          晴れたら「いい天気」なのか【てるてる坊主考note#31】

          はじめに  「いい天気」と聞いて思い浮かぶのは、青い空の広がった晴天。いっぽう、「あいにくの天気」と聞くと、どんよりとした曇り空から雨の降る光景が想像されます。  このような、「いい天気」とか「あいにくの天気」といった表現においては、天気が善悪とか好悪を伴って形容されています。晴天や雨天と直接に言わずとも、善悪とか好悪などを交えることで一定の天気を表現することができるのは、なぜでしょうか。  それは、わたしたちが普段から天気に対して、共通した感覚を無意識のうちに抱いている

          晴れたら「いい天気」なのか【てるてる坊主考note#31】

          なぜ「ふれふれ坊主」はないのか【てるてる坊主考note#30】

          はじめに  あしたの行事を楽しみに、子どもたちが晴天を願っててるてる坊主を吊るす――なんだかとても絵になる光景です。でも、場合によっては、面倒な行事が雨で中止になるよう願いたいときもあるでしょう。  そんなときは、どうしたらいいのでしょう。晴天祈願のてるてる坊主を、わざと逆向きに吊るすのも1つの方法でしょうか。てるてる坊主とは逆の願いを込めた雨天祈願の、いわば「ふれふれ坊主」です。  雨天を願うため、晴天祈願と逆のやりかたを用いるのは、まじないの発想としては理にかなってい

          なぜ「ふれふれ坊主」はないのか【てるてる坊主考note#30】

          天気専用ヒトガタの誕生【てるてる坊主考note#29】

          1、江戸時代の平面的てるてる坊主  てるてる坊主はいつごろからあるのか、確かなことはわかっていませんが、江戸時代にはすでに広く見られたようです。江戸時代のてるてる坊主を描いた絵が、わたしの管見の限りでも8点のこされています(★図1と表1参照)。  ⑧の文献については、発行されたのは江戸時代ではなく明治18年(1885)です。しかしながら、描かれているのは幕末の光景であることが確かなので、江戸時代の事例としてここに含めることとします。  てるてる坊主の姿かたちに注目すると

          天気専用ヒトガタの誕生【てるてる坊主考note#29】

          屋根の上のてるてる坊主【てるてるmemo#11】

          はじめに  てるてる坊主を作ったらどうするか。昨今では軒下や窓辺に吊るしておくのが一般的です。ただ、てるてる坊主研究所で蒐集してきた資料のなかには、ごくまれにてるてる坊主を吊るさないケースが見られます。  たとえば、机の上や庭先にただ置いておくだけという事例が見られます。そして、珍しいところでは屋根の上に投げておくという事例も見られるので、今回はこちらをご紹介します。併せて、同じように屋根の上に関わりのある、ほかの風習との簡単な比較も試みます。 1、小学生の日記から

          屋根の上のてるてる坊主【てるてるmemo#11】