右翼が推進する女性活躍について
私は女性活躍自体全く賛同していない。
なぜなら女性活躍というのはマイルドな家父長主義に他ならないからだ。
旧来の家父長主義と違うのは、表面的には自主性を尊重するが、結果として家父長に行きつく事だ。これはどこかで性別問わず結婚や役割分業が良い事と思いこんでるからだ。
まず女性も男性もどこぞの会社に務められるようになった。
これは厳格な家父長主義とは違うところだ。
しかし結局女性は結婚をして、どこぞの家に嫁いで名字を夫の名字に変更をする。男性は随時働きまくり女性は家事や育児をしながらパートをするようになる。
これが悪質な家父長主義である。女性がいくらマーケットで活躍したところでその後に結婚して育児コースに入るのならば結局明治時代から何も変わらないのだ。ただの焼き直しだ。
だけどこれは厳格な家父長主義よりも危うい。自覚があまりないまま家父長の担い手となるだけでなくあたかも自分たちは正規ルートを歩んでいると盲信をする。
苦労して学ぶ事、働く事、結婚する事、育児をする事が社会を良くするどころか悪習の蔓延に加担していると云えよう。
「ウチの旦那は〇〇なのよねー」と言い出したら思考停止オワコン人生の始まりだ。
「オレ男やし一所懸命働いて、おまえらの面倒見てやるぞ」と旦那が言い出したら即刻離婚した方がいい。
こういうフレーズに乗っかるバカがあまりにも多すぎる。それが家父長を強靭にするのだ。
私が女性活躍を賛同しない理由はこれだけで十分だろう。男性活躍にも興味がないが、それと同じぐらい女性活躍に興味がない。
男性活躍というのも所詮は形骸化した家父長主義の延長の話だからだ。
はっきり云えば「学びたいのであれば学べる社会」「働きたいのであれば働ける社会」「育児したいのであれば育児できる社会」の拡充の話でしかない。
それは性別や国籍や年齢の話は関係がない。事の本質は合理的配慮の多元化を行い誰でもアクセスしやすいようにする事だ。アクセスしたくなければ別にしなくてもかまわないのだ。
別に学びたくなければ学ばなければいいし、
働きたくないのならば働かなければいいし、
子どもを育てたくないなら育てなければいいのだ。
それをしたから「偉い」という発想こそ右翼の思うつぼなのだ。
仮に私が賛同するとしたらそれが選択的夫婦別制になるか、結婚(=家父長人生)をしている時点で石を投げられる世の中の実現に他ならない。労働問題は重要である。しかし根底はこの旧来の家族観の粉砕にあるのだ。
社会通念上の「女性目線」とか「女性活躍」「共感・包容」という概念は右翼のマインド(=親学)が入っている。だから決して賛同しない。良妻賢母(=バーのママ/チーママしぐさ)という観念は右翼のコアそのものなのだ。
それだったら「女性は一切お断り」「女性は一切来るな」という発想の方がまだ悪質度は低い。右翼の価値観がそこに入り込んだ時点で碌な結果をもたらさない。
学習教材(数百円)に使います。