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【日本史6】室町史備忘録9

室町時代の学習を深めていきます。

本日の学習は
①三好元長と細川家家臣たちの対立が起こる。元長は義維を支持したが、細川家家臣たちは義晴との和睦を考えていた。元長は見限られ自害に追い込まれる。

②1534年(天文3年)に義晴(12代目)は京都へ帰還する。
彼は側近たちによる内談衆に政治を任せて、支援者六角定頼と晴元の協力のもと政治体制を築いた。

③1543年(天文12年)に政権の後ろ盾である晴元に対し細川一門の武将細川氏綱が反乱を起こす。

この反乱は元長の息子である三好長慶が鎮圧し晴元が勝利した。その2年後に氏綱らが挙兵し、晴元は敗れて丹波国へ逃げた。

④1546年(天文15年)に義輝が13代将軍に就任する。

晴元を見限ろうとした義晴と義輝親子の立場は悪化したがやむを得ず晴元と講和を結んだ。

⑤三好長慶は細川家中で名声を得たが、発言力を持つ状況が警戒され同じ三好一族の三好政長(まさなが)も重用された。

長慶は政長を裏切って討ち取った。立場が悪化した晴元、義晴、義輝らは近江国へ逃げた。

⑥三好長慶は形式的に細川氏綱を主君としたが、実質的には三好長慶政権であった。足利義晴は1549年(天文18年)ごろから近江国坂本(滋賀県大津市)で病に苦しみ始めた事などを学びました。

■参考文献 『1冊でわかる室町時代』 大石学 河出書房新社

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