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【日本史6】室町史備忘録12

室町時代の学習を深めていきます。

本日の学習は
①大内氏は日明貿易を独占し、大内氏の城下町である山口は小京都として繁栄した。大内義隆の代に周防・長門・安芸・備後・石見・豊前・筑前の7ヵ国の守護となった。

②1543年(天文12年)の月山富田城の戦い(島根県安来市)で京極氏の守護代である尼子氏に敗北する。

後継ぎの晴持も失うこととなった。

③1551年(天文20年)義隆の家臣である陶晴賢がクーデターを起こした。大寧寺に逃亡するが自害した。その後大内氏は1557年(弘治3年)毛利氏に敗れて滅亡した。

④駿河国(静岡県中部)の今川氏は戦国時代に活躍した守護大名である。氏親の代で基盤を整え、息子義元の代で東海地方で勢力を伸ばした。海道一の弓取りとも呼ばれた。

⑤甲斐の武田氏や相模の北条氏とも互角であった今川義元であったが1560年(永禄3年)の桶狭間の戦い(愛知県豊明市)で織田信長に倒された。義元の息子である氏真(うじざね)の代で滅亡した。今川領の多くは徳川領となった。

⑥大内氏や今川氏のような有力な守護大名も江戸時代まで大名家として存続できなかった。残ったのは奥州の伊達氏や薩摩の島津氏など僅かな守護大名だけである。

⑦有力守護が滅亡した原因は守護在京制にあると云われている。領国支配は守護代に任せて、自らは京都で政治を行っていたため領国を実際に支配している守護代の方が守護大名より強くなってしまったという事だ。

また在京免除地域に集中していた守護大名ほど衰退したともいえる。領国の立地による地理や経済力、運要素なども影響したとも考えられている事などを学びました。

■参考文献 『1冊でわかる室町時代』 大石学 河出書房新社

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