見出し画像

皇国史観は正統ではない

今までの流れを踏まえて私は一貫して皇国史観を否定してきた。天皇の存在は否定していないが尊王攘夷的な皇国史観(=神武以来云々)は正統な日本史にはならないと考えている。

(1)明治時代以前を日本とした場合

近代日本以前を日本と規定した場合では皇国史観は正統な歴史とは考えられない。

なぜなら大和政権が樹立されるより前に邪馬台国(連合国)があるわけだし、邪馬台国より前には至る所に小国が乱立していた。

それを大王(=天皇)が引率していたとは考えられない。

またそもそも日本列島に住んでいた人々が別々の民族だった可能性が高い。

つまり鼻っから天皇や朝廷があり日本が構築されたというのは後付けである。

朝廷や元号は漢王朝の7代目武帝が政治体制に組み入れたものだ。これは卑弥呼時代より若干前である。武帝が東アジアシステムの基礎を構築した。

現在の奈良や京都にあった朝廷が至る地域を侵略して倭(=日本)というものを統合のなかで形成していったと考えるのが自然だ。

ゆえに明治時代以前から日本があったと仮定しても皇国史観は無理がある。

また日本文化は高句麗・百済・新羅、隋・唐時代に度重なる交流や文化摂取や渡来人の登用などで形成されていった。ここからも天皇というのは朝鮮や中国の影響から生まれたものとも云える。

『日本書紀』や『古事記』が編纂されたのは律令制度の確立と同時期であろう。『日本書紀』や『古事記』の編纂は東アジアシステムに吸収されているがゆえに可能だった。

(2)明治時代以降を日本とした場合

明治時代以降を日本と規定した場合でも皇国史観は正統な歴史とは考えられない。

皇国史観は水戸学をベースとするが西欧列強の立憲君主制やフランス第1帝政の国民軍や明王朝の一世一元の制(=皇帝元号制)などをうまくブレンドして都合が良いものに仕立てあげたものにすぎない。

つまり皇国史観というのは近代主義の亜流だ。

おまけに近代日本主義の帰結は大政翼賛会というナチスやファシスト党と同種の原始体制を構築してしまった。近代主義から反近代主義が生まれた。

ゆえに皇国史観にオリジナリティなど存在せず体制としても失敗したものだ。何の歴史もなく近代体制を構築するためのデタラメなイデオロギーだった。唯一擁護するとしたら倒幕の連帯性や諸藩の統合にはなったという事だ。

確かに天皇は雄略天皇(21代目)以降その存在は確認できる。ただそれはカリフや教皇と同じくすべてを行事って世界を動かしていたわけではない。様々な政治バランスのなかで右往左往しながら存在していただけだ。

この記事が参加している募集

日本史がすき

学習教材(数百円)に使います。