見出し画像

京都の華麗なる人々と老舗神社

京都へ行くと、よく何年も残り続けているなぁと思う老舗の店や神社を時々見かけます。このご時世、どうやって運営資金を稼いでいるんだろうと。

◆参拝者のまばらな平野神社

京都市北区にある平野神社もそのひとつ。京都には桜の名所が数多くありますが、その中でも平野神社は屈指の名所。平安時代から桜の名所として貴族に愛され、今日も約60種400本もの桜が咲き誇りシーズン中は幻想的でとても美しいのですが、桜の時期以外は参拝者もまばらな印象です。

しかも2018年の台風21号の影響で、拝殿の倒壊や桜の倒木など甚大な被害を受けてしまい、修復に多額の費用がかかるようです。このため境内の一角にある桜の庭園「桜苑」を初めて有料にしたとか(大人500円。むしろ今まで無料だったことが驚きですが)。寄付の呼びかけもしているけれど、果たして立て直せるのか心配になります。

◆対照的に、やり手の北野天満宮

一方対照的なのが、平野神社から1㎞も離れていない北野天満宮。一年中参拝者が絶えません。こちらはとにかくブランディングがうまい。数年前からは、神社では珍しいおしゃれなロゴも目に入るようになり、新進気鋭のデザイナーさんに依頼したのだろうと調べたら、やはりそうでした。SQUEEZE Inc.さんという、ブランディングデザインを得意とする京都拠点のデザインオフィスが手掛けていました。

ホームページを見て頂いても分かると思いますが、英語、中国語、韓国語にも対応。参拝者の多くを占める修学旅行生向けの情報も掲載し、お守り情報も充実。見どころやイベントをたくさん作り、一年中参拝者が絶えないように工夫を凝らしています。

また境内では、本殿前に白砂利を敷きつめて華やかに見せたり、提灯などのちょっとした小道具もおしゃれ。参道のユニバーサルデザイン(バリアフリー化でしょうか)でも高評価を得ていました。

以前は,石段や,段差のある石畳が多く,また,地面は,砂利等の地道であったため,雨の日の翌日は,でこぼこがひどく,車いすの方,手押し車を押す高齢者やベビーカーを押す親子連れの方等が,大変不便だったそうです。そんな状況や,参拝者の方々のご意見等を踏まえ,ひとりでも多くの方々に,参拝していただこうと,境内の段差解消に努められています。

京都市ホームページより

◆地元民からは眉をひそめられてる?

そんな北野天満宮は「商売上手」という理由で、地元民(特に私の義両親)から少し憎まれ口をたたかれていました。「天神さん(北野天満宮)は、ほんま商売上手やしなぁ。あかんわ」と眉をひそめて話しています。

神社は観光寺院と違って入場料を取らないのが一般的だったようなのですが、「梅苑」や「紅葉苑」と称して境内の一部をいち早く有料化(中学生以上は1000円※梅苑は和菓子つき)したこと、修学旅行生もターゲットにしていることで、「がめつい」という印象を与えたようです。

時代の変遷に伴い、多くの神社は危機的な状況に立たされていて、専門家が「この10年で神社の数はおよそ300減っている」(国学院大学神道文化学部の藤本頼生准教授)と警鐘を鳴らすほど。いち早く手を打った好事例だと思うのですが、皮肉なことです。

一方で地元民は、平野神社にはとても好意的です。伊勢神宮並みの高い格式を持つ神社であるうえに、観光地化したり商売に走らない。そんな真面目で奥ゆかしい所が地元民から愛されるのかもしれません。

◆平野神社を支える「西陣の旦那衆」

義父に「平野神社は、運営資金をどうやって調達しているんですかね?」とたずねると、「平野さんは、昔から西陣の旦那衆がついてはるからなぁ」という意外な答えが返ってきました。

西陣の旦那衆というのは、いわゆる西陣織の経営者層。経済的に豊かなだけでなく、粋でハイカラ。京都最古の花街「上七軒」は西陣の旦那衆が支えていたという話は割と有名です。

ちなみに昔仕事でご一緒した方に西陣がご出身という方がいましたが、子供の頃から親御さんについて俵屋だか柊屋(京都最高峰の老舗旅館)に出入りしていた話をしていました。かなりグレードの高いセレブかと思います。彼らに育てられた料亭や洋食店は少なくないようですが、神社も支援していたとは意外でした(あくまで義父情報なので、真相は分かりません)。

それを聞いて、ひとつ思い出した話があります。昔、職場のアルバイトさんで、京都の誰もが知る茶道家元に勤務していた方がいました。「5時少し前になると、みんなタイムカードの機械の前でカウントダウンするの」と彼女は楽しそうに当時の職場の様子を語ってくれました。退社後は、みんなで祇園のお茶屋さんに繰り出して、予約の入っていない(置屋に残っている)舞妓さん達を呼んで宴会をしていたんだとか。(置屋というのは舞妓さんが所属して生活する場で、お茶屋から呼ばれてお座敷にあがることで初めて仕事が成立します。夕方以降に置屋に残っている舞妓さんを呼んで遊ぶということは、肩身の狭い思いをしている舞妓さんを救うだけでなく、置屋やお茶屋、ひいては祇園を支援することにもつながります)

◆京都を支える華麗なる人々の粋な計らい

そんな華麗なる人々の粋な計らいが、京都の古き美しき伝統を支えてきた側面があるんだなぁと改めて思い知らされます。旦那衆にせよ家元にせよ地元民にせよ、思いや形は様々ながら、故郷である京都とその伝統文化への思い入れが強い。誰かの経営状態が傾いたら見て見ぬふりなんかせず、粋な誰かが助け舟を出す。関東で生まれ育った私には、あまりピンとこない感覚なので、そんな一体感が羨ましくもあります。地元の人々の愛情に包まれ、つながりに守られているからこそ、京都という町は今なお魅力的であり続けるのかもしれません。

画像1

夏の西芳寺(苔寺)を訪れたときに出会った白猫。苔がひんやりして気持ちよさそう。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?