見出し画像

”怪物”とは誰なのか?映画「怪物」を見て考えた事。

もはや今更レベルの遅さになってしまうが、
映画「怪物」を見てきた。

映画の内容はネタバレになってしまうので、ある程度割愛するが、
この映画は、ポスターに載っている5人を軸に話が展開する。

・麦野湊:小学5年生
・星川依里:小学5年生
・麦野早織:湊の母親、シングルマザー
・保利先生:湊と依里の担任
・伏見校長:湊と依里の学校の校長

映画は1つのストーリーに対し、
冒頭は湊の母である早織の視点から始まり、
保利先生、校長先生、そして湊と依里たちと、
それぞれの登場人物の視点から物語が語られている。

早織の視点から始まるストーリーの中では、
息子の湊の最近の行動は異常であり、
いじめにあっているんじゃないかと疑心暗鬼になる。
そして沙織の訴えに対し、
煮え切らない態度を続ける担任の保利先生や校長は、
まさに”怪物”だ。

しかし、次は保利先生から見た世界に切り替わる。
保利先生は湊と依里の学校に学校に異動してきたばかり。
突然異常行動を起こす湊、
そして湊がいじめられていると連日訴えてくる早織、
学校を守るためならなんでもする校長をはじめとする世界は
”怪物”と言える存在だろう。

そして校長。
終始死んだ目をしている校長(田中裕子さん)の演技は
本当に圧巻だった。
駐車場に車を止める際に孫を轢いてしまった事実
(一応役職柄、夫が轢いたことになっている)からは、
なんとしてでも学校を守る決意と、
その反面、真実を知る”怪物”たちへの恐怖も感じた。

最後に、この話の主人公である湊と依里。
小学5年生の2人にとっての”怪物”とは。
彼らの視点で見ると、この映画は全て裏返る。

この映画のキャッチコピー「怪物だーれだ」は、
自分自身に対して投げかける言葉なのかもしれないと思った。

私たちはいつの間にかできた価値観で話を進めようとする生き物だ。
しかし、それは知らず知らずのうちに人を傷つける。

つまり、それぞれがいつのまにか誰かにとっての”怪物”に
なってしまってるのかもしれないのだ。
決して、そんなつもりはなかったとしても。

そして、その”怪物”は、
必ずしも誰か他人に対してのものだけではなく、
自分自身に対しての存在になりうる場合もあるのかもしれない。

映画を通して、
湊にとっての”怪物”は、他の誰でもなく、
本当は”湊自身”だったのではないかと感じている。

依里に出会ったことで気づいた本当の自分こそ、
小学5年生の彼にとっては脅威であり、
”怪物”のような存在だったのではないだろうか。

この映画は「怪物」という物騒なタイトルだが、
決して誰かの”怪物”になろうとしたわけではない。

登場人物それぞれが、
それぞれの正義や守るべきものを守るために生きた結果なのだ。

もしかしたら私にも誰かにとっての、
そして自分自身にとっての”怪物”を持っている。
そう考えさせられる映画だった。

追伸:子役のおふたりの演技力、
そして映像美、坂本龍一さんの音楽が全てマッチした映画でした。
本当に見てよかった!!!
素晴らしい作品をありがとうございました。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?