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あかりをつけて【家族とわたし】#5 瀧波わか


くらいへや

2020年初春。光差す季節、であるはずの時期。
世界中で猛威をふるう新型ウイルスの影響が、我が家にも訪れていた。

外出自粛に保育園の長期休園。
それに伴う、完全リモートワークと自宅保育の両立に、頭を悩ませていた。

娘は、3歳。
会話で意思疎通はできても、大人のように1人で長い時間を過ごすことは難しい。
自宅で親と過ごしせることが嬉しいのか、いつも以上に「ねぇねぇ、ママみて」「ママこっちきて!」の要求は強かったように思う。

人命がかかっているのだから、外出自粛は妥当で、休園対応だってそうだ。
そこに不満はない。
ただ、だからといって元気いっぱいな3歳児の相手をしながら、在宅ワークがはかどるかというと、そんなことはまったくなかった。

背後に陽気なアニメソングを聞きながら、PCの前に座ってメールをひらく。
するとすかさず「いらっしゃいましぇ~アイスやしゃんで~す!」と、キーボードの上におままごと用のお皿がドカドカ置かれる。
返信用に立ち上げたメール本文に「dふぇえwええええ」と意味のない文字列が踊る。

いまお仕事だからね~ごめんね~
やんわり押し戻せば、件の返信メールを仕上げる前に「ママー!!きてぇー!!!」の大声が廊下から響きわたる。

はぁ……。

嘆いても仕方がないのだけれど…
誰に聞こえるでもないため息を、漏らさずにはいられない、脱力感。

すごいこと
声のする場所にいってみると、壁にぴったりと体をつけて、限界まで背伸びをし、右手を伸ばす娘の姿。

「うう~~!うう~!!とどかないのぉ~~!!!」
不安定な態勢なので、ぷるぷる揺れながらうなっている。
娘のお目当ては、右手の先にある洗面台の電気スイッチだ。
カチッカチッと効果音をたてて照明を明暗させる、一般的なデザインのそれ。

床から120㎝ほどの位置、大人の胸あたりに設置されている、あの突起を押したいらしいが、あと2センチほど届いていない。

「もう~そんな大声出さなくても、ママあかりつけてって言えばいいじゃない」
そう諭しながらも、これから娘が手を洗うたびに、いちいち電気をつけに呼ばれるのね、と想像してしまい、はやくも億劫になる。

そしてこの3歳女児がなかなか頑固で、届かないとわかっていながら、1日に何回もスイッチの前で背伸びをしては、ぷるぷるしていた。
踏み台をもってきたら?の提案にも耳をかさない。
「とどかない~!!」の絶叫で呼ばれるたび、仕事を中断してスイッチを押す私。

正直、イライラして大声を出す前に、普通の声量で呼んでほしい、と思う。
何回も叫ばれると、こちらの心も切羽詰まってしまう。

はぁ……。

実体がないくせに、たしかに胸を苦しくするのは、完全リモートワークの閉塞感か、未体験の缶詰育児か。

そんな日々も1ヶ月を過ぎ、せっかくの春を感じる機会もなく、カレンダーだけが進んだ頃。

「ママーーー!!きてぇーーーー!!!」
思考していた脳みそを、力づくで引き戻す大音量で、またしても業務が滞る。
重い足取りで洗面台に向かえば、この日の娘は壁のスイッチに向かって背伸びをしておらず、仁王立ちでこちらを見つめていた。

「電気つけてほしいの?」
言いながらスイッチに伸ばす腕を「ダメーー!!」と封じられる。
「しゅごいことが、おきるよ?」
変にタメのある発音で、弾むように話す娘。
そしてすっかり見慣れた、壁伝いのつま先立ちで、右手をまっすぐ突き上げる。

「んんんっ!うう!!」
震える足首に力をこめて、壁についた左手でからだを支えて、伸ばしきった右手の先頭では、中指と薬指をバタバタさせて。
100センチをようやく越えた、小さな全身の「全力いっぱい」が、真っ白なスイッチに、いま、届く。

カッ…チ…

大人が押すよりずっと、遠慮がちな音だった。

だけどあの時

照らし出された洗面台の
人工灯の光を頬にうけ
私を振り返って笑った娘

ピカピカでキラキラな
まぶしいばかりの表情が
焼き付くほどに、鮮明だった。


あかるくなったね
溢れるばかりの誇らしげな気持ちを、ほっぺの盛りあがりと目の見開きで、こんなにも表現できるものなのか。
俯瞰して感心してしまうほどの、ドラマティックなドヤ顔で娘は文字通り、胸を張った。

「じぶんで!つけられたの!しゅごーい!でしょ?」
大股開きで、グーにした両手を腰に当ててふんぞり返る。
よく観るディズニー作品の影響だろうか、娘のリアクションの取り方は、どこか海外アニメのキャラクター然としている。

率直に言って、すごかった。
私はなかなかどうして、感動を覚えていた。

現象としては、壁に備え付けた電気スイッチを押して、洗面台の照明がついただけである。
まったく当然の結果だ。つかなかったら修理じゃないか。

だけど現象以外のプロセスに目を向ければ、これは娘が、できなかったことをひとつ、できるようになったということで。

外出もできず仕事もままならず、おなじような不十分な1日を繰り返しているような気がしていた母を差し置いて、小さな前進をコツコツ繰り返していた証拠でもあって。

そして目の前の、4等身の愛らしい生物が、渾身の「できた!」を披露したい相手が、立派に胸を張るどころか、撫で下ろしてばかりいる、この頼りない私であるということだった。

いつもより明るい気がする洗面台の鏡に映る、30代も半ばになった自分の顔。

まだまだ始まったばかりの娘の人生で、親よりも深く彼女を愛する人が、いつか現れるかもしれない。
でもきっと私の人生で、娘以上に私を慕い求めてくれる存在に、もう出会うことはないのだろう。

ああもう、電気がついただけだというのに。

私の人生は、いつの間に、なんと明るく照っていたのか。

ほんの小さなフニフニの手が、こんなにいきなり気づかせてくるのだから、素敵がすぎて、たまらない。

引き続きドヤッとかまえている娘に、インタビューを開始する。

――ひとりであかりをつけたんですね、毎日練習したんですか?
しょーよ、むずかしくてたーいへんだったけど、なんかいもやったのよ!

――なるほど、もうできないかなって思う時はなかったですか?
できるまでやるから、だいじょーぶなのよ!

――それは素晴らしい…できるようになった感想をお願いします。
かんしょーってなに?じぶんであかりできるから、またママにみせてあげるね!

ウイニングランのごとく、勝利の牛乳を飲みにキッチンに走る娘。
今はできないことも、できるまで、何回でもやってみるから、大丈夫。
なんてすがすがしい言葉だろうか。

私たちは、漫画の登場人物ではないから、1話の決意をずっと抱えて、ブレずに最終話を迎えることが難しい。
「諦めない」も「もっと強くなる」も、うまくできない時がたくさんある。

カッコわるくてままならない大人だけど、この洗面台のあかりみたいに、スイッチひとつで簡単に、カチッと希望を灯すキミを、とても尊敬しています。

「感想」っていうのは、そういう「もらった気持ち」のことだよ。


あかりをつけて
「ママーーー!きてぇーーーー!」

自力で電気をつけれるようになってからも、1日に何回も私を呼ぶ娘。
頻度は変わっていないけれど、私の中のわずらわしさは、もうほとんどない。

届かないスイッチを代わりに押すためではなく、娘がぷるぷるあかりをつける、「すごい瞬間」を洗面台まで見届けにいくのだ。

カチッ

おお、昨日までよりも、すこし力強く押せた気がする。
本人もそう思うのか、「いまオトナみたいじゃなかった?」としたり顔。
何をおっしゃる、大人より、はるか数段あっぱれですよ、と返事をする。
「あっぱれってなに?」
楽しいな、キミと話すと、すごく楽しい。

電気スイッチに手を伸ばす娘に、私が繰り返し伝えていたのは「ママに頼んで」だった。
でもきっと、彼女の望んだ依頼は「あかりをつけて」だったのだろう。

狭い家、普段より少ない生活の選択肢。
そんな中に家族でギュッと寄り集まって過ごす時間。
娘は娘なりに、何か役割が欲しかったのかもしれない。

いまでは立場が逆転して、私が洗面台をつかうときにも、娘を呼んで、スイッチを押してもらう。
テレビを観ていても本を読んでいても、すぐに駆け付けてくれるのだ。

ねぇ、あかりをつけて。
すぐに暗く影のさす、この心を照らしてほしい。

ねぇ、あかりをつけて。
身近な幸せが一番尊いのだと、忘れるたびに、その姿をよくみせて。

ねぇ、あかりをつけて。
いつでも、どこでも、何度でも。

作者|瀧波わか(たきなみ わか)
子育てメディア『Conobie(コノビー)』の編集者。よく笑う夫とよく食べる娘の3人家族。
好きな食べ物は肉とチョコ。苦手な家事は加湿器に水を補充すること。

note https://note.com/kazoku_sukiyaki
Twitter @waka_takinami
イラスト|三好 愛(みよし あい)
2011年、東京藝術大学大学院を卒業。イラストレーターとして書籍の装画や挿絵を数多く手がける。日々のできごとや人との関係の中で起きるちょっとした違和感を捉えた独自の世界観が魅力。主な仕事に伊藤亜紗さん「どもる体」(医学書院)装画と挿絵。

WEBサイト  http://www.344i.com/
Instagram @ai_miyoshi
Twitter @344ai

「家族とわたし」は、毎回ゲストをお招きして家族にまつわるエッセイをお届けしておりましたが、2021年4月からはしばらく休載となります。

ランドセルのお店で実際にあったエピソードをコミック化した「童具店のゆき子さん」は引き続き連載いたしますので、どうぞお楽しみに。