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儀礼の変容: 法隆寺における8世紀初頭の聖遺物と聖徳太子信仰の出現

聖徳太子の人物像

 厩戸皇子は、第31代用明天皇の第2皇子で、「聖徳太子」の諡号で知られる人物です。昭和生まれの方々にとっては、旧一万円札の肖像として親しみがあることでしょう。叔母である第33代推古天皇の摂政として、冠位十二階十七条の憲法をお定めになった他、大陸の技術を取り入れる目的で遣隋使を派遣されたことは、中学校や高校の教科書にも掲載されています。また、大陸より伝来した仏教の保護・普及にも積極的で、ユネスコの世界文化遺産にも登録されている聖徳宗大本山・法隆寺(旧称・斑鳩寺)の開祖としても有名です。
 緊迫する東アジア情勢の中、日本の中央集権国家化に手腕を発揮されたその聡明な指導力は数々の伝説を残し、「馬小屋で誕生した」「一度に10人の言うことを同時に聞き分けた」等の逸話が残されています(史実かは不明)。今回取り上げている法隆寺を始め、四天王寺や富岡八幡宮等、全国各地の社寺で信仰の対象となっています。また、十七条の憲法の内、「以和爲貴(和を以って貴しと為す)」の部分は、日本人の伝統的な価値観を表すものとして、現代でも多くの人々の道徳観・倫理観に影響を与えています。
 令和3年には、聖徳太子の1400年遠忌を迎えました。

法隆寺における聖遺物信仰

 仏教の偶像崇拝では、舎利(釈迦の遺骨またはその代替物)と摩尼(仏陀の霊力を象徴する宝石)と呼ばれる聖遺物がいずれも重要な役割を担っています。東アジア仏教圏における聖遺物安置の仏教儀礼では、釈迦の入滅から舎利の分配までの出来事が再現されています。聖遺物が衆生らの目の届かない仏塔の下や上に納められた後も、仏塔は、聖遺物や捧げられた供物を入れる「容器」としての役割を果たすとの指摘があります。
 法隆寺の場合、救世観音が聖徳太子自身の化身として信仰の対象になっており、その為に舎利と摩尼の存在が重要な意味を持っていたのです。法隆寺における聖遺物の安置形式は、聖遺物の正当性と救済力を主張すると同時に、聖遺物が「容器」から解放されるときの動きを体現しているといいます。この場合、供物は、古代人の聖遺物に対する崇敬の証であると同時に、聖遺物が崇敬者らに対して共感的な反応を示すことを演出しているとも解釈されます。

法隆寺の再建と心柱

 法隆寺の五重塔の心柱は、地下の石造りの基礎部分に差し込まれた舎利と、心柱に支えられた金剛石の頂上にある摩尼(舎利の霊力が変化したもの)を結ぶ世界軸として機能していたといいます。天智天皇9年の火災により、塔を含む建造物の多くは焼失しており、現存する塔は後に再建されたものです。
 但し、その心柱に使われた木材は、7世紀初頭に斑鳩寺が再興される以前に伐採されたもの、つまり古材であることが判明しています。日本古来の宗教建築において、心柱は聖遺物そのもの自体の生命力の象徴と見做されることから、法隆寺の心柱は聖遺物の持つ救済力を媒介したものと考えられます。こうした事実から、古材が塔の心柱として用いられた理由については学説が定まっていないものの、その木材が聖徳太子の存命中に伐採されたものであるという事実は、極めて重要な意味を持つといえるでしょう。

聖徳太子信仰の政治的意義

 実は、法隆寺における聖徳太子信仰が盛んになったのは、白鳳期以降のことです。法隆寺境内にある聖徳太子の邸宅跡地に、聖徳太子信仰の聖地である夢殿が建立されたのは、前述の火災の後のことでした。また、法隆寺が所蔵する国宝・玉虫厨子に描かれている仏教思想が、聖徳太子が語ったとされる仏教思想と一致するとの指摘もありますが、それらを特定の人物と結びつける決定打は殆ど見つかっていないのです。現在の聖徳太子信仰の大多数は、中世期以降に浄土真宗の僧侶らによって広められたものであることは周知の通りです。
 近年では、法隆寺における聖徳太子信仰の本質は、聖徳太子の薨去後、仏の智慧を持って国を統治する新たな理想的君主像を作り上げる為の装置であり、政治的に重要な役割を果たしたとの見解も唱えられています。

※本稿の内容は、アキコ=ウォーリー (Akiko Walley) 博士による講演 'Transformation Act: Early Eighth-Century Relic Devotion and the Emerging “Prince Shōtoku Cult” at Hōryūji' (令和3年6月、オンライン開催)に大きく依拠したものです。

参考文献

Tsuji, Hirohito, 'Report on the Talk “Transformation Act: Early Eighth-Century Relic Devotion and the Emerging “Prince Shōtoku Cult” at Hōryūji”,' "SISJAC Monthly e-bulletin, July 2021" (2021). URL: https://www.sainsbury-institute.org/e-bulletin/july-2021/report-on-the-talk-transformation-act-early-eighth-century-relic-devotion-and-the-emerging-prince-shtoku-cult-at-hryji/


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