【30代OLエッセイ】ふと、コンプレックスについて考えてみた。
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今日、ふと考える時間があった。
コンプレックスって、鞄の中にずっと入ったままの、捨てていいのか判別がつかない不要物みたいなものだよね、と思う。
邪魔だなあと思いながらも捨てられない。何かに使えないか、と思っても、それを有効活用する術が分からないような、そんなもの。
人に意見を求めても「気にしなくていいよ」とか「皆あなたが思う程悪くなってないわよ」とか言われるけれど、当の本人がその物がいかに邪魔かを知っている。
だって、ずっと肌身離さず身に着けている鞄の中に入っていて、365日一緒にいるからだ。
・・・と、ここまで考えついた。さて、その鞄の中身、どうするのが「正解」なのだろう。
多分、一番手っ取り早いのは、それを「いらないものだ」と判断し、即座に捨てることだ。(または捨てるように努力することだ)
人によっては、それに加工を加えて、自分の武器にする人もいるだろう。
また、鞄の中身をもっと詰めて、その不要物が見えないぐらいにぎゅうぎゅうにする、というパターンもありかもしれない。その内にその物の存在を忘れてしまいそうだ。
または自分が持っている鞄をもっと大きくする、なんていうのもありかもしれない。
こればっかりは自分にしっくりくるやり方を探し求めることがベストだなあ、と思う。
その上で、小心者でうじうじしがちな私がおススメなのは、とりあえず、その不要物を自身の手で分析していくことだ。
何で「いらない」と思うのか。
本当に自分にとって「必要ない」と思うのか。
いつからそれを疎ましく思うようになったのか。
…などなど。
そうすると、ただの「自分を邪魔する疎ましいもの」ではなく、その関係性を冷静な目で見ることができる。
私が学生の時は、その不要物を投げ捨てようとしては失敗していた。自分にとっていらないものだ、と思い込もうとしても、その存在は捨てきれなかった。
だって、自分自身と一体化しているものだから。
コンプレックスのたちの悪いところは、自分が持っているものと他人が持っているものを比較して、それが増大してしまうところだ。
「あいつはあんなにシャレた鞄を持っているのに自分は…」
なんて、思ってしまうから良くない。
その上で、歳を重ねてくると、それを飼いならすというか、ちょっとずつ自分の「気になる範囲」からずれていくのを感じるようになった。
自分の鞄の中で、多大なる存在感を放っていたそれが、いつの間にか「そう言えばまだこれ持ってたな、懐かしいな」ぐらいのものになるようになった。
これは「歳さえとればコンプレックスなんて気にならなくなるから大丈夫」なんていう話じゃない。(私はそういう風に言われるのが嫌だった)
ただ、長い付き合いの中で、その鞄の中身とどう向き合うのか、どうそれを加工するか考えていけば、いつかはそれが自分の重荷ではなくなる日もあるよ、ってことだけは信じてみてもいいと思う。
私も30代になって、未だに死にそうな思いも転げまわるぐらい恥ずかしい思いも、卑屈になるときもある。
けれど、「40代・50代の自分はきっと同じことで悩んでないだろう」という慰めを自分自身に与えることで、何とか踏ん張っている。(その分違う悩みが生まれているかもしれないけれど、それはそれで仕方がない)
未来のことを考えるから人は病むのだ、ということをよく聞く。「今」に集中しましょう、と。
けれどもし、あなたが「今」と対峙することで疲れているのなら、遠くの方に光る灯台を探すみたいに、少し先のことに意識を向けてもいいかもしれない。
生きていく上で、自分の手の届かない、遥か向こうにある景色の美しさに癒され、想像を膨らませる時間はきっと必要なのだ。
私も職場でやらかしたことを、脳内でエンドレスリピートしつつ、明日の朝ごはんに想いを巡らしながら、今日は寝ます。
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