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政治講座ⅴ1239「毛沢東の四害駆除運動と三峡ダムの洪水」

自然界は食物連鎖でできている。生物は同種、他種を問わず、様々な形で自分以外の生物個体を利用して生きている。その中で最も典型的に見られる利用法が他者の捕食である。陸上の生物には、草の葉(ススキ)をバッタが食べる→バッタをカマキリが食べる→カマキリを小鳥が食べる→小鳥をタカが食べる…… といった生物間のつながりがある。
以前のブログでも取り上げたが、今回の命題はまさに「地獄への道は善意で舗装されているThe road to hell is paved with good intentions.  である。良い政策と採用したらまわりまわって、その結果が甚大な被害として襲い掛かってくるのである。
世界最大級の三峡ダムが水圧でゆがみが生じており、崩壊の危機にあると言われている。三峡ダムの崩壊で長江下流では数千万人の被害が生じると言われている。
 一人っ子政策が人口減少を招いて、生産年齢が高齢化して産業競争力の低下を招いている。そして、高学歴社会になった中国では、若者の失業率の上昇を招いている。それは、社会が求める技術力のある人材教育ではなく、文系の高学歴者を輩出して、社会では役に立たない人材ばかりが失業率を増大させた大学教育にも問題があった。
不動産バブル崩壊に始まる金融機関の崩壊や融資平台など投資資金の債務不履行・デフォルトが予想される。
今回は四害駆除運動の解説と三峡ダムの報道記事を紹介する。

     皇紀2683年7月31日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司

1500万人以上が飢餓で死んだ…毛沢東の指示で「1億羽のスズメを一斉駆除」した中国で起きたこと

トム・フィリップス の意見 • 昨日 17:15

※写真はイメージです© PRESIDENT Online

人類の歴史において、最悪の政策とは何か。イギリス人ジャーナリストのトム・フィリップスさんは「毛沢東による四害駆除運動が挙げられる。この政策の結果、イナゴによる食害が発生し、少なくとも1500万人が飢え死にした」という――。

※本稿は、トム・フィリップス著、禰冝田亜希訳『メガトン級「大失敗」の世界史』(河出文庫)の〈第3章 気やすく生物を移動させたしっぺ返し〉の一部を再編集したものです。

最悪の結果を招いた毛沢東の四害駆除運動

人間の進歩の物語は、思考と創造性に幅が出てきたことに始まる。これが人間とほかの動物との違いだが、同時にこの幅があるせいで、私たちは日ごろからどうしようもないあんぽんたんになってしまうのだ。

生態系は複雑なもので、自然の微妙なバランスを乱せば、かならずや揺り戻しがくる。人類は痛い思いをして、そのことを学んできた。これからする話は、人類史上、後にも先にも例がないほどきわだっている。

毛沢東の四害駆除運動は、過去最悪の公衆衛生の政策で、何もかも破壊することに完璧な成功を収めてしまったものと位置づけるべきだ。この政策は社会のあらゆる面をまとめあげて総力で目標を目ざし、驚嘆すべき度合いで目標をしのいだ。

目標の半分は、ほぼ確実に国民の健康状態を広範にわたって大きく改善した。したがって、四害のうち二つは悪くないと思われるかもしれない。悪かったのは、四つ目の目標が何千万人もの死を招いたことだ。

この問題の根っこは、生態系の複雑さのために予測ができないことにある。そうだね、ちょっと種を一つ、ここに足してみよう、いくつかの種をそこから減らしてみようか、と私たちは思う。そうすれば何もかもがよくなるだろうと。

そのとき、「想定外の結果」が起こって、お友達の「ドミノ効果」や「カスケード故障」を連れてくる。言い換えれば、事態が「わらしべ長者」や「風が吹けば桶屋がもうかる」の厄災版みたいになってきて、皆で仲よく思いあがりのうたげを開くのだ。

国難は生物のせい

1949年の後半に、毛沢東主席の共産主義が中国で権力を掌握すると、国は医療危機に見舞われ、コレラやペスト、マラリアなど感染性の病気がはびこった。毛沢東の目標は、ほんの数十年前に封建主義を脱したばかりの農業国を、一挙に近代の産業大国に変えるというもので、この帳尻を合わせるには何かをする必要があった。

解決策のいくつかは、当たり前で分別あるものだった。集団ワクチンの計画や、衛生状況の改善などである。問題は毛沢東が国難の批判の矛先を生物に向け国難は生物のせいと決めつけたときに始まった。

蚊はマラリアを広めるし、ドブネズミはペストを広める。ここまでは否定できない。だから、その数を減らすための国家規模の計画が立てられた。まずいことに、毛沢東はそこでやめておかなかった。もしこれが二つの害を撲滅する運動だったなら、計画はうまくいっていたかもしれない。

だが毛沢東は(専門家の意見を訊くこともしないで)ほかの二つの種も加えることにした。槍玉に挙げられたハエは、鬱陶(うっとう)しいからという理由で撲滅されることになった。

四つ目の害は? こともあろうにスズメだった。

なぜスズメを駆除したのか

理屈はこうだ。スズメがいけないのは穀物を食らうからだ。スズメが穀物を食べる量は、1羽につき毎年最大で4.5キロである。中国人が飢えをしのぐために使えたはずの穀物をだ。

これを計算すると、100万羽のスズメが駆除されたら、6万人の食いぶちがまかなえると考えたのだ。理にかなっているだろう?

四害駆除運動は1958年に始まり、これには全精力が注がれた。全国展開された運動のポスターを使って、子どもからお年寄りまで中国人全員が義務を果たし、該当の生物をなるべくたくさん殺害するように呼びかけ、「鳥は資本主義の公共の動物だ」と高らかに宣言した。

人々はハエ叩きから拳銃まで携えて武装し、学童はなるべく多くのスズメを投石機で撃つ方法をしこまれた。スズメを目の敵にした群衆は、旗を振り、熱に浮かされたように街中を練り歩き、鳥との戦いに加わった。スズメの巣を壊し、卵をかち割った。

市民は鍋や釜を叩き鳴らし、木からスズメを追い払ったものだから、スズメは休むことができずに疲れ果て、空から落ちて息絶えた。上海だけでも20万ものスズメが戦闘初日に死んだと推定されている。

スズメの駆除で大量増殖したある昆虫

戦士たるもの、戦いに勝つまで撤退してはならない」と「人民日報」は書いた。結果、戦闘には勝った。宣言された目標を達成することにかけては大勝利だった。小さな生物の軍勢に対し、人類は圧倒的な勝利を収めた

四害駆除運動は、合計すると1億5000万匹のドブネズミに1100万キロの蚊、10万キロのハエ……そして1億羽のスズメを殺したと推定される。

あいにく、この戦いの何が悪かったかはすぐにわかり始めた。1億羽のスズメは穀物を食らうばかりではなく、虫も食べていた。とくにイナゴを食べてくれていた突如として1億羽の天敵がいなくなってせいせいした中国のイナゴは、毎日が正月だとばかりに祝い始めた。

スズメはそこかしこでほんのちょっと穀物をつまみ食いしていただけだったのに、イナゴの集団はというと、とめどない巨大な雲のようになって、中国の作物を荒らしまわった。

実際の専門家はこの考えの何もかもがどんなによくないかとかねてから人々に訴えてきたが、1959年、鳥類学者の鄭作新の忠告はようやく聞き届けられ、公的な「殺すべき害虫」のリストにあったスズメはトコジラミに変更された。

だが時すでに遅し。1億羽のスズメを殺戮(さつりく)し尽くしてから、今度は戻ってこいと虫のいいことを望んでも、そうはいかない。

1500万人が飢餓で死ぬ

はっきりさせておくが、1959年から1962年まで中国を襲った大飢饉(ききん)の原因は、スズメの駆除だけではなかった。

複数の恐ろしい決断ミスが同時に重なって、引き起こされたのだ。従来の自給農業から、価値の高い換金作物へと党が命じたことで変化が起こったこと、ソ連の生物学者トロフィム・ルイセンコの疑似科学にもとづく一連の農業の新技術が破壊的だったこと、そして中央政府がすべての農産物を地元の社会から取りあげたこと、このどれもに原因がある。

また、よい結果を報告するようにという励ましが圧力となって、あらゆる階層の役人にのしかかったとき、上層部の官僚のなかには、すべてはうまくいっている、そして国民にはたっぷり食べ物があるという絵空ごとを胸に抱いた者たちもいた。

実際には、何年もの過酷な天候にやられたあとで(国土のあちこちで洪水が起こった一方で、ほかの地域では干ばつが起こった)、国民が食える蓄えなどありもしなかったのに。だがスズメ殺しと、続いて起こった本物の害虫による作物の食害は、襲いかかった大飢饉の元凶だった。

飢餓による死者数の概算は1500万から3000万人。ただでさえ背筋の凍る話なのに、1500万人もの人間の生死がわかりさえしないとは、怖さがいっそう上乗せされる話だ。

このことから学べる基本的な教訓(自然を荒らしてはならない。そうしていいのは、どんななりゆきになるかが前もってよくわかっている場合だけだ。それでも、おそらくはよいことではない)が胸に浸みたと思うだろう。

ところが2004年になって、中国政府はまたしても、ジャコウネコからアナグマにいたるまで、哺乳類の大量駆除を命じた。SARSウイルスの発生を受けてのことだった。このことから、人類は過去の過ちからなかなか学べないことがわかる。

Tom Phillips, HUMANS: A Brief History of How We F*cked It All Up

Copyright © 2018 by Tom Phillips

---------- トム・フィリップス ジャーナリスト、作家 ロンドンを拠点とするジャーナリスト兼ユーモア作家。ケンブリッジ大学で考古学、人類学、歴史学などを学んだ後、テレビや議会でコメディーを披露。バズフィードUKの編集ディレクターを経てフルファクト編集者。 ----------


世界最大級の三峡ダム 巨額の建設費の価値はあったのか

2020.09.06 Sun posted at 11:51 JST

三峡ダムは、世界最大の水力発電プロジェクトだ。

1994年に建設が始まった三峡ダムの目的は、中国のあまりに急速な経済成長をさらに促進するための電力を生み出すだけでなく、中国最長の川である長江を制御し、数百万人を致命的な洪水から守り、さらに技術力の象徴として、国家の誇りを鮮烈に印象付ける場所にすることだった。

しかし、今のところ、これらの目的が達成されているとは言い難い。

まず、このプロジェクト全体の総費用は2000億元(約3兆円)に上り、建設に約20年の歳月を要し、さらに長江沿いに住む100万人以上の住民を別の場所に移転させる必要があった。また中国政府は、三峡ダムは「1世紀に1度の大洪水」からダム下流の地元社会を守れると約束したが、その効果はたびたび疑問視されている。

最近、それらの疑念が再浮上した。6月以降、長江上流の四川盆地で、過去約60年で最大の平均雨量を記録し、長江とその多くの支流が氾濫(はんらん)したのだ。その結果、100人以上が死亡または行方不明となり、367万人の住民が避難し、5480万人が被害を受け、経済損失は1440億元に上る。

2020年7月に発生した洪水の空撮写真/STR/AFP/AFP via Getty Images

これほどの大惨事を招いたにもかかわらず、中国当局は、三峡ダムは洪水の水を遮断する上で「重要な役割」を果たしていると主張している。

しかし、今夏、四川盆地の河川の流量を監視している複数の水位観測所で水位が記録的な高さに達する中、三峡ダムが洪水を制御する上で果たせる役割は限られることが明らかになったと指摘する地質学者もいる。

風呂おけいっぱいの水に茶わん

三峡ダムは、荘厳な建造物だ。

米航空宇宙局(NASA)によると、三峡ダムは宇宙から肉眼で見える地球上で数少ない人工構造物のひとつだという。2006年に完成したこのダムは、高さ181メートル、頂上部の長さが2335メートルという巨大なダムだ。

写真特集:三峡ダム誕生の歴史

そして、2012年に完成したダムに付随する水力発電所は、米国最大級のダム、グランドクーリーダムの3倍以上に当たる2万2500メガワットの発電量を誇る。

しかし、中国政府が1992年に出した提案書によると、三峡ダム建設の最大の理由は発電ではなく、洪水の防止だった。

三峡ダムは長江上流に位置し、巨大な貯水池に雨水を貯め、水門でその水の放出を制御することにより、下流の洪水を防ぐ。全長660キロの貯水池は、上流の三峡の狭い谷間を蛇行し、中国西部に位置する人口3050万人の大都市、重慶へと続く。

乾季である10月から5月までは、隣接する水力発電所の発電量を最大化するため、貯水池の水位を最高水位の175メートルに保つが、6月の夏雨の到来前に、洪水の水が流れ込むスペースを確保するため、水位を145メートルまで徐々に下げる。

貯水池の水位を下げることにより、220億立方メートルの貯蔵スペースが生まれる。これはオリンピックで使用されるプール約900万個分に相当する。しかし、中国の地質学者で長年三峡ダムを批判しているファン・シャオ氏によると、極端に降水量の多い年に三峡ダムに流れ込む膨大な水量を考えると、そんなスペースなど無に等しいという。

ファン氏の計算によると、「1世紀に1度の大洪水」が発生すると、2カ月間に死海の水量の約2倍に相当する2440億立方メートル以上の水が三峡を通過する。三峡ダムの貯水池の貯水容量で対処できるのは、三峡を通過する総水量のわずか9%ほどにすぎない、とファン氏は付け加えた。

これでは、大きな風呂おけいっぱいの水に小さな茶わんで対処するようなものだ。洪水の制御という点では、三峡ダムのコストに見合う成果が上がっていないのは間違いない」(ファン氏)

IHEデルフト水教育研究所の准教授で、貯水、水力発電が専門のミロスラフ・マレンス氏は、問題は三峡ダムの設計ではなく、三峡ダムが世界3位の水量を誇る長江の洪水問題をすべて解決できるとの期待だとし、「1つのダムでそれを実現するのは不可能」と指摘する。

またマレンス氏は、例えば、三峡ダムは上流から押し寄せる洪水の勢いを軽減することはできても、長江の中・下流や長江流域の支流に降る豪雨によって引き起こされる洪水を防ぐことはできない、と付け加えた。

しかも、それは問題の一部にすぎない。例えば、今夏、中国中南部で発生した洪水の多くは、下流で降った雨によって引き起こされ、その洪水の水は三峡ダムを通過すらしなかった。

中国の指導者たちの夢

長江の河岸では、出水期(洪水が起きやすい時期)に繰り返し大惨事が発生している。現代中国の建国の父である孫文以降の指導者たちは、この長江に巨大なダムを建設することを夢見た。

壁画に描かれた歴代の指導者、毛沢東、鄧小平、江沢民/Jacques Langevin/Sygma/Getty Images

孫文は、1919年に策定した中華民国の産業振興計画の中で、長江における船の航行を改善し、国全体に水力発電を提供するために、三峡にダムを建設する計画を立てた。

孫文はこの夢の実現を見届けることはできなかったが、後継者の蔣介石が1940年代にこの事業を継続した。蔣介石は、フーバーダムの設計者として知られる著名な米国人技師、ジョン・L・サベージ氏を招き、三峡の調査とダムの設計を依頼するとともに、数十人の中国人技師を訓練のため米国に派遣した。しかし、同プロジェクトは国共内戦中に放棄された。

中国共産党が政権を掌握した後、毛沢東はこのプロジェクトを支持したが、毛沢東の計画は大躍進政策と文化大革命の混乱によって頓挫した。

毛沢東の後継者である鄧小平が70年代後半に再びこの構想を提起したが、一部の主要な水文学者、知識人、環境保護主義者らが、住民の大規模な移転や地質災害の危険、環境被害、考古学的遺跡の喪失などの人的コストや環境コストを指摘し、ダムの建設に強く反対した。

その後の10年間は、中国共産党支配の歴史において最も政治的に落ち着いた、リベラルな時代であり、その間に三峡ダムの建設計画について激しい議論が展開された。しかし、1989年の天安門事件の後、公然と異議と唱えるのが難しくなり、政治的雰囲気も圧政的に変わった。

今ならこの計画を押し通せると確信した中国政府は、92年の全国人民代表大会(全人代)で三峡ダム建設案を採決した。ダム建設は承認されたが、代表団の約3分の1が反対・棄権した。通常、議案を形式的に承認するだけの全人代でこれだけ多くの代表者が反対・棄権するのは異例だった。

1992年3月の全国人民代表大会での李鵬首相(左)/Mike Fiala/AFP/Getty Images

当時、一部の代表者からは、三峡ダム建設プロジェクトについて事前の通告や議論もなく、突然全人代の議題に上がり、不意打ちを食らったという声も聞かれたという。

三峡ダムがここまで論議を呼ぶ理由

三峡ダムが論議を呼ぶ最大の理由のひとつは、長江の河岸に何世紀にもわたって住んでいた村人たちが払った多大な犠牲だ。ダムの巨大な貯水池を作るために、約140万人が住居を追われ、彼らの墳墓の地は破壊され、地元社会は分散し、農地は浸水した。また長江河岸の2都市、114の町、1680の村が水没した。

三峡ダム建設のために破壊される建物を眺める住民=2002年11月、/AFP/Getty Images

さらに三峡ダムは、深刻な地質学的影響も及ぼしている。中国国営新華社通信によると、2007年に開催されたある公開討論会で、中国当局と専門家らは、三峡ダムが、より頻繁な地滑りの発生など、数々の生態学的災害をもたらしたことを認めたという。

また三峡ダムは、2本の主要な断層線の近くに位置し、ダムの周辺で地震が急増している原因とされている。巨大な貯水池の重さと、貯水池の底の岩に水が浸透することにより、すでに地殻にかなりの応力がかかっている地域で地震を引き起こす恐れがあると科学者らは主張する。

もう1つの大きな懸念は、堆積(たいせき)物の遮断だ。長江の流れを遮ることにより、ダムに大量のシルト(沈泥)がたまり、それが貯水池に堆積することによりダムの洪水制御能力が低下するだけでなく、下流で大規模な浸食を引き起こす。

放水する三峡ダム=203年6月/AFP/Getty Images

そして最後に、2003年に初めて貯水池が満たされた数日後に、三峡ダムのコンクリート面に80の大きなクラック(亀裂)が発見された。新華社によると、当局者は当時、クラックはダムにとって脅威ではないが、補修しないと水漏れの原因になりうると述べたという。

ダムに対する考え方の変化

オランダのダムの専門家のマレンス氏によると、1950年代から80年代にかけてのダム建設ブームの後、より多くの国々や組織が、ダムが環境に与える影響を認識し始めたという。

しかし、中国はダムの建設を押し進め、2019年までに2万3841基の大型ダムを建設した。これは世界のダムの総数の41%に相当する。地質学者のファン氏によると、中国のダムの大半は2000年以降に建設されたという。

デルフト工科大学の水力工学教授マティス・コック氏は、水力発電施設を備えたダムは「安価なエネルギーを大量に生み出し、しかもそのエネルギーは再生可能だ」とした上で、「しかし、水力発電は環境破壊という代償を伴うため、新しいダムを建設する際は、環境被害を注視すべきだ。われわれは妥協点を見出す必要がある」と付け加えた。

=2020年7月、湖北省宜昌市

地質学者の中には、ダムで洪水を防ぐのではなく、川には干渉せず、出水期に川が拡張するなら、それを受け入れるべきとの意見もある。

「大きな沖積河川(沖積層を流れる河川)は雨季に自然に氾濫する。洪水は問題ではない。河川は洪水を引き起こすものだ。問題は洪水の影響を受ける地域に多くの人が住んでいる場合だ」とアラバマ大学のデービッド・シャンクマン名誉教授は言う。

気候危機が今後さらに大規模な洪水をより頻繁に引き起こすと予想される中、中国は将来の世代のために、洪水を防ぐための新たな解決策の模索を余儀なくされるだろうと一部の専門家は指摘する。

参考文献・参考資料

1500万人以上が飢餓で死んだ…毛沢東の指示で「1億羽のスズメを一斉駆除」した中国で起きたこと (msn.com)

食物連鎖 - Wikipedia

地獄への道は善意で舗装されている - Wikipedia

世界最大級の三峡ダム 巨額の建設費の価値はあったのか - CNN.co.jp

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