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「定額働かせ放題」から考える教員の本分

 数年前から、教員の労働環境について「定額働かせ放題」と呼ばれることがしばしば。

 

 と、なると、自分も「定額働かされ放題」の身ということになるのですが笑

 

ちょっとだけ整理したいと思います。

 

 

 

1「定額働かせ放題」とは?

 

 これは、教員の時間外労働に、残業代がつかないことから始まっています。

 

 正しくは、教員の仕事が一般企業の残業とは性格が異なることから、いわば「みなし残業」のようなかたちで、給与の4%が上乗せされて支給されていることを指します。

 

 残業時間が月に0時間でも4%、80時間でも4%です。

 

 なぜ4%かというと、1966年の調査において、教員の平均時間外労働が月8時間程度だったことからです。このデータが基となり、半世紀前から4%という手当が継続しています。

 

 ちなみに、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」という名称なのですが、あまりに長いので、通称「給特法」と呼ばれています。

 

 

 半世紀前の教員の時間外労働は8時間…今と比べるとビックリですね。

 

 

 この「定額働かせ放題」は、誰がいつから呼び始めたかは分かりませんが、教育会では、名古屋大学の内田良准教授ら教員の労働問題について研究をしていらっしゃる方々が、給特法を「定額働かせ放題だ」としています。

 

 

 

2「定額働かせ放題」の身として

 

 

 自分はアカウント名にもある通り、現役の小学校教員です。

 

 つまり、この「定額働かせ放題」制度の恩恵?被害?(笑)を受けています。

 

 

 実際のところどうかと言われると、あくまで自分はですが、夏季休業や冬季休業中以外は定時に帰る日の方が少ないです。

 

 1日あたり平均1時間弱、時間外労働をしています。

 

 

 

 朝は自分の子どもを送り出してから出勤するので、ギリギリとは言いませんが、職場着は定時15分前くらいです。

 

 たぶん、定時に帰ろうと思えば帰れる日は増やせるのですが、家庭の事情が許すときは少し甘えて仕事をします。

 

 時間外勤務は…子どものノートやワークシートを丁寧に見る、他の職員と授業研究、たまった事務処理などに充てています。

 

 ただし、自分はあくまでそこそこのキャリアを積んできている(一応「~主任」という肩書きはついてます)ため、基本的な業務処理能力はおそらくついていること、あまり周りに同調しない(共感はします笑)こと等が、「定時に帰ろうと思えば帰れる」前提条件になっているかと思います。

 

 定時に帰ると、自分の学級を一年間運営することは大丈夫かもしれませんが、よりよい教育活動を模索したり、同僚とたくさん交流したり、というのは難しいかもしれません。

 

 

 

3 本分は授業

 

 よく働き方改革と言われますが、その本質の中には、自分たちの職業においてすべきこと、つまり本分は何なのかをはっきりし、それ以外についてはそぎ落としていくという面があります。

 

 では、教員の本分とは何でしょう?

 

 ここで、「子どもを育てる」というざっくりと広く本分を構えるスタンスにしてしまうと、おそらく働き方改革は進みにくいでしょう。

 教育の全てを教員しか行えないわけではないですから。

 

 本分を絞り込もうとしたときに、一つの着眼点になるのが、教員は教員免許状をもっていることです。

 

 免許は、素人がすると危険な行為について、その行為を十分理解し、危険がないように扱うことができると判断された場合に、その行為をすることが「許し免じられる」ことです。

 

 教員免許がなければできない行為は…「授業」です。

 

 文部科学省の「教員免許状に関するQ&A」には、次のように示されています。


 日本の学校の教員になるためには教員免許状が必要です。教員免許状がなければ、日本の学校で教壇に立ち、授業を行うことはできません。
 

文部科学省「教員免許状に関するQ&A」

 (つまり、授業は危険行為…このことについてはまた別途ですね)

 

 と、いうことは、教員とそうでない人たちの大きな違いの1つに、授業ができるか否かにあります。

 

 ここに、教員のプロフェッショナリズムがある、と言っても過言ではありません。

 

 学校で教員をする上で、様々な知識やスキル、コンピテンシーが必要なのは言うまでもありません。

 

 ですが、授業が教員のみに許された行為である以上、ここは本分から外れるわけにはいかないでしょう。

 

 資格の面だけで言えば、部活動は教員でなくても可能です。

 (ただし、教員が部活をすることで生まれる教育効果もあるでしょう。この辺りが今議論されているところでしょうね)

 

 

 教員の本分は授業である、このことを押さえておく必要があります。

 

 

 

 

 

 

4 自己研鑽をどこに位置づける??

 

 本分である授業の質を高めるためには、教員一人一人の自己研鑽が欠かせません。

 

 そのため、教育基本法の第9条には、以下のことが示されています。

 

第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

 

 

 つまり、授業に関する自己研鑽は、教員が努めなければならないものとされています。

 

 そのため、各自治体や学校等で、研修等が実施されます。

 

 

 自分は、ここの捉えが一つの分かれ道だと思っています。

 

 

 自己研鑽は仕事かどうか、です。

 

 結論から言ってしまうと、職業人として「当たり前の行為」であって、業務内で行う分だけでは不十分だと考えています。

 

 校内研修だけして、自己研鑽をしたつもりになっては不十分ですし、

 

 校内研修が大変で業務が増えてしまうのであれば、研修自体を見直し、個々が自己研鑽に充てられる時間を確保すべきかと思います。

 

 

 もちろん、事務処理等は少なくすべきですし、個人的には授業のない「空き時間」がもっとあるべきかと感じます。それだけで、業務内に収められる率が上がってくるでしょう。

 

 特別な支援を要する子への対応を、担任だけに丸投げしない体制も必要かもしれませんね。

 時に、「子どもと向き合う時間を!」という声も上がりますが、冷静に考えれば、子どもと向き合う時間は「仕事」です。

 子どもと向き合う時間を確保したら、仕事を増やしているだけです。

 

 子どもと向き合う時間の質を高めるためには、子どもと向き合わない時間の確保が必要です。

 

 

 ちょっと話が膨らんでしまいましたが、自己研鑽は、協働が必要なもの以外は業務の中に入れず、個々がすべきものとして位置付け、個々が自己研鑽する時間を確保できるよう、業務を削減する…こんな考え方もありなのかなと思います。

 

 

 手前味噌ですが、自分は研究活動をしていると、自然に教材や学習方法についての自己研鑽をすることになり、授業に生きてきます。

 ここ数年の研究活動は仕事の範疇をとっくに超えていますが(笑)、本業に大きく生きています。
(それでも大したことはなく、日々反省ですが)

 

 でも、教員の皆さんに、自分みたいな生き方を推奨するわけではないです。

 

 それぞれの教員が、やらされ業務が減り、自分が学びたいことについて自己研鑽をし、趣味の時間も満喫できるような、そんな環境を整える…まずは自分の周りからそのような雰囲気を広げていければと思います。

 

 

 最後までお読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

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