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あなたはteacher?それとも…

 こんにちは、つけめんです。

 本日は、興味深い記事を見つけたので紹介&少し考えてみます。

 世の中には、たくさんの「先生」と呼ばれる職業があります。
 先生というと、医者、弁護士、そして教育における先生が思い浮かぶかと思います。

 この、教育における「先生」といえば、小学校や中学校、高等学校といった、いわゆる「(学校教育法)一条校」の教員が思い浮かびますが、広く見れば塾の先生や、水泳教室の先生、フラワーアレンジメントの先生というように、様々な先生がいます。

 そして、学校の先生にも、(リスペクトを込めて)多種多様な先生がいます。

 ただ、学校の先生は、「教員」と呼ばれることが多いです。
 この教員について、興味深い記述がありましたので、該当箇所を引用します。

こういった「何であるか」については、先生しか教えることのできない専門性に属している。〈先生〉は生徒のように問題を「解く」人ではなくて、その意味を解釈することができる人なのである。国語も下手な先生は文法(機能)ばかりを教えるが、まともな先生であれば、文章(の意味)を味わうことを教えることができる。言い換えれば、文章に意味「がある」ことを教えることができる。これは練習問題を自学習で1000題解いても達成が難しい課題だ。

かけ算も割り算も、その意味とは何かなどは、練習問題をいくつ解いて「優等生」になったとしてもなかなかつかめない。その意味で生徒は「できる」生徒であっても記号論的な操作を繰り返しているに過ぎない。

(前略)

一つは、街のおばちゃんでも生徒の相手をできる程度に、教員の負担が少ない。二つ目には、操作主義的に問題を解いているだけということ。

こういう教員を私は教員(teacher)とは呼ばない。操作主義的な指導者は、通常、instructor、trainerと呼ぶことにしている。

instructor、trainerは、〈(知的な)教材開発〉ができない、〈意味〉を教えないという点で、教員(teacher)とは一線を画している。学び合い教員と同様、実習教員もその意味では teacherではない。

専門学校の実習授業などは、学び合い教育とほとんど同じ相貌を呈しているが、間違いが起こったのは、この実習授業担当者をこの学校群が〈教員〉と呼んだところから始まった。この教員達は、講義授業で生徒や学生を制御できない。

専門学校の講義授業では大半の学生が寝ている。起きているのは実習だけ。講義で寝ている学生を教える(起こす)ことができるのは〈意味〉を語れる専門性の高い教員でしかない。

http://www.ashida.info/blog/2011/02/_2.html#more

※もちろん、インストラクターやトレーナーの方でも、意味や価値に迫っていらっしゃる方はたくさんいらっしゃるかと思います。ここでは、インストラクターやトレーナーの方々の専門性がどこにあるかという対比で紹介しています。

 いかがでしょうか?
 このnoteの読者には、(自分のように)学校の先生をされている方もいらっしゃるかと思いますが、自分が真の意味で「教員」かと言われれば、ちょっと尻込みします。

 確かに、芦田氏が表現するような「インストラクター」や「トレーナー」のような、知識技能中心の授業になることもあります。が、それは、それぞれの教科内容の価値や、芦田氏の言葉なら「意味」に迫るためのステップであり、それが全てではありません。
 その知識・技能が、思考や判断となって発揮されるような、そして学習した内容に価値を感じ、学ぶことが楽しいと思えるような授業をしていく、少なくとも目指しています。これは「教員」でありたい、教育のプロでありたいと自分は考えているからです。

 しかしながら、周囲を見渡せば、ともすると訓練的な学習が繰り返される学級も、残念ながらあるわけです。
(そのような光景を目の当たりにすると、とても疑問を持っていたにもかかわらず、あまりスッキリ言語化できずにいました。)

 そうなると、今では「それって教員(teacher)の仕事じゃないのでは?」「インストラクターやトレーナーみたいに…」と(口には出さなくても)言語化するようになってきているわけです。

 改めて、教員の専門性に気付かされると同時に、自分がそれに見合っているかどうかを考えさせられます。


 最後までお読みいただきありがとうございました☆


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