見出し画像

不惑の覚え書き~道は未知~

こんにちは、イチ小学校教員、つけめんです。

今日、誕生日でした。
不惑を迎えました。

歳を伏せていたのですが、割とキリの良い数字だったので、ここで記念?でもないですが、今思っていることを書き残しておこうかと思いました。

1.不惑に思う


なぜ40歳のことを「不惑」?
それは、「論語」の有名な一節にあります。

子曰わく、吾 十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。 

論語―為政

四十にして惑わず…40歳になると、物事に惑うことがなくなる、ということを表しています。

いや、余裕で惑いまくりの日々ですが…笑

急に大人になるわけでもなく、日々を重ね気付いたらこの年齢、という感じなので、正直実感はないです笑


2.30歳の時に思い描いていたこと

 
 実は、30歳になる時に思い描いていたことがありました。

 ①今の仕事(小学校教員)で、どんな分野やカテゴリーでもいいから、1つ「成し遂げる」こと

 ②40歳までに、その後の身の振り方を決めること

 これを思い立ったのは、特別支援学校の交流人事が終わり、小学校に戻ってくる年でした。
 1つの節目だったんですね。

そういった意味では、論語の「三十にして立つ」だったのかもしれません。

①は、10年間、現場で数多の授業研究を繰り返し、実践論文を書きまくり、最終的に学会の査読論文(平たく言えば研究者の論文)を書き上げる、というカタチで実現しました。

 ちょうど先日ですが、名前だけ存じ上げていた同じ学会所属のある方から「現場教員の方で、これだけのものを書くというのは、すごい方がいるのだと思い、お会いしたいと思いました」という、とてつもなく身に余るメッセージを頂きました。

まだまだ全く大したことはないですが、一つの「成し遂げた」自信になりました。

詳細はコチラ


②について…①の実現により、人生の選択肢は格段に増えました。
自信が付いてきたからなのか、視野が広がってきたように感じます。

しかし、どのような身の振り方をするかは流動的です。

ただ、ミッションは見えてきているため、いくつかある道のうち、最もミッションに近いものを選ぶつもりです。

(この辺りは、もし別の機会があればそちらで書きたいと思います)


3.不惑に覚え書く

 
40歳になっても、人生のミッションは変わっていません。

 
「できるだけ多くの人が幸せになる『しくみ』をつくる」


ただ、どのようなカタチで実現するのか、まだ終着点は夢のように思います。

しかし、自分が自分なりに、少しでもミッションの実現に近づくように、貢献できるように、道を進んでいこうと思っています。

道は未知です。


が、照らす方向は見えています。


できるだけ多くの人が幸せになる方向に進むことは変わりません。


そしてそれは、全ての人間が通過する「幼少期」をターゲットにしていることも変わりません。

子どもの頃の経験、特に原体験は、人生を大きく左右します。

ここに寄与できることは、自分の大きな喜びですし、

かかわった子に少しでもプラスになれば、その子にとっても良いこと。

誰も損しません笑

自分の力で、少しでも貢献したい、という思いは変わりません。


4.せっかくなので不惑の引用

 
せっかくなので(なんの?笑)、不惑で刺さった引用を記録します。

40歳になったときに、なぜ論語で「不惑」というのだろうかと考えた。自分は惑わなくていいような正解を知らないと思った。でも、ふと、そうではないかもしれないと気づいた。あれが正解かもしれない、これが正解かもしれない、と惑わなくなる。それは、絶対的な正解を手に入れるということを意味しない。まったく逆で、「わからないこと」「あいまいなこと」を受け入れられているから、惑わず、なのだ。正解を思い求めるのをやめること。わからないに向き合い続けるのが、不惑、40歳頃なのだ。

佐渡島庸平『観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか 』(SB新書) 新書 2021,p205

※↑実はnoteでは2回目の引用です笑


惑うことに、自身の未熟さを感じなくなりました。
ゆったり受け入れる、これこそが「不惑」なのだと、そんな風に考えています。

40代とは、人生の折り返し地点ではないかもしれませんが、人生が修行編から本編に突入した感じです。精神的にも体力的にも充実してバランスが良い年代なのです。
(略)
やはり、40代になったからこそなのです。人生の仕組みや全貌が見えてきたことで、思い切った舵取り、切り替えができたのです。周りにも、起業したり、転職したり、自分の道を見定めて進み出している同年代が多く存在します。変に大きな夢を持つのではなく、等身大の自分を把握できたことでそれぞれが楽しんでいます。

いれぶん『40代から手に入れる「最高の生き方」 今すぐ知っておくべき人生を左右する「やっていいこと」「わるいこと」』(KADOKAWA)2022,pp36-37


等身大の自分…力が抜けた感…これはあるように思います。

野球でもサッカーでも、力が抜けたときほど良いプレーができるものです。

無駄に?力が入りまくってた20代~30代を過ぎ、自分の振る舞いや考え方が段々変化してきているようにも思います。


5.終わりに


何のとりとめもない、きっと「スキ」も大して付かないでしょう(笑)、思いつくままの記事でしたが、記念すべき?不惑の誕生日にnoteが書けただけで自分は満足です。

読みにくい、まとまりのないのは、自分の力不足です、申し訳ないです、ご容赦下さい。

これからも、何が急に変わる訳でも無いですが、進んでいきたいと思います。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。


この記事が参加している募集

自己紹介

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?