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キャンプのバトンを

子どもの頃、旅行といえばキャンプだった。
両親と兄ふたりの5人家族だったから、旅館やホテルに連泊するとけっこうな金額になってしまう。経済的に余裕はないけど旅行好きだった母の苦肉の策が、夏のキャンプ旅行だった。

3泊4日。ぐるぐる巻きにした布団や羽釜、食器などを、セダンのトランクぎゅうぎゅうに詰めて出発する。九州の南から阿蘇ルート、大分ルート、佐賀や長崎ルート、山口ルート、大分からフェリーに乗って四国をぐるりと回ったこともあった。

いつも初めてのキャンプ場だったから、様子がよく分からない。かまどがない時は石を積んでかまどを作り、箸がなければその辺の木や竹を切り、整えて使った。

カーナビもなかったから地図だけが頼りで、よく道に迷った。キャンプ場に到着するのが夜になることも少なくなかった。そこから火を起こし、夕食の準備。今思えば、それだけで大冒険だ。

きっとトラブルもあったのだと思う。それなのに、キャンプといえば、とにかくワクワクしたこと、羽釜で炊いたごはんが最高に美味しかったこと(特におこげ)、コインシャワーがすぐに止まるので、素早く洗うのがタイムレースみたいで面白かったこと、隣の大学生キャンパーがナスをわけてくれたこと、カニが人間用の橋を上手に渡ってて感動したこと。

そんな断片ばかりが思い出される。

***

夏に一泊で、山奥のキャンプ場へ出かけた。とはいえ、子連れのキャンプはまだ自信がないので、バンガローを選択した。

夜は軒下でバーベキュー。子どもたちが肉や野菜を串に刺し、はきはきと手伝ってくれる。普段とは大違いだ。炭を扇ぎたがってうちわの取り合いになっていたのは、いつも通りだったけど。夕焼けの下で焼いたマシュマロが美味しくて止まらなくなって、虫の声と、子どもたちの笑い声とが森に響いた。

そこまでは、よかったのだ。

寝る前に、手持ち花火をやることにした。シューシューと鮮やかな光が噴き出して、子どもたちはキャッキャと喜んでいる。

そろそろ最後にしようかと、息子が取りだした線香花火を見てわたしはハッとした。息子は軽いぜんそく持ちで、小さい頃、線香花火の煙を吸って息が出来なくなり、救急に駆けこんだことがあった。それ以来やっていなかった。

もう大丈夫だろう。でもこの山奥で発作が出てしまったら……。火をつけた息子をじっと見つめる。煙が顔にかかっていたので、こっちにおいで、と声をかけた、その時だった。

「あついっ」
と、声がした。

振り向くと、夫が娘に駆け寄っている。娘が泣きそうな顔をして震えている。線香花火をするのが初めてだった娘は、ろうそくに何度も紙を近づけてしまい、手まで燃え上がってきたようだった。

親指のはらが赤くなっている。慌てて流水で冷やす。どうして目を離してしまったのか。どうして。ごめん。どうして。自己嫌悪だった。しかも私のバッグには、ムヒと絆創膏しか入っていない。なんで救急セットを持ってこなかったのか。必需品なのに。せめてオロナインがあれば。

泣き続ける娘。火傷の程度が分からない。痛くて眠れなかったらどうしよう。この山奥では、救急は遠い。不安が一気に押し寄せる。

しばらく冷やし続けていると、「もう、いたくない」と娘が言った。
ああ、よかった。ホッと胸をなで下ろす。ほんとに、よかった。

と、次の瞬間、「あいたっっ!」と夫の声がした。
駆け寄ると、足の裏を押さえている。
「床板がささくれてたかな」
夫が言うので床を見たが、板はきれいなものだった。そのかわりに2cmはありそうな、黒い虫がフラフラとしていた。

「こ、これ踏んだんじゃないの?」
どうやら、花火のバケツにその虫がくっついてきて、素足で踏んでしまったようだった。蟻のようだが、ずっと大きくてカタチも違う。ハチでもない。何に刺されたのか分からない。

「ズキズキしてきた」と言う夫の足裏は、赤く腫れあがっている。

流水でながしたり、ムヒを塗ったり、冷やしたり。またも救急の危機なのか。心拍が上がり続けたまま、ひとまずこれ以上、虫の侵入を許していけないと、開いていた窓を閉めようとしたその時、手の甲にボトッと何かが落ちてきた。

「ぎゃーっっ!!」

ヤモリだった。ヤモリは室内に入り込み、棚のすき間に隠れた。
ふう、とひとまず息を吐く。ヤモリならまあいいか。それにしても驚いた。

それから一時間ほどしてようやく、夫は痛みが引いたようだった。よかった、ほんとよかった。安堵ののち、就寝できた頃には、十一時を回っていた。


***

眠れない夜は長い。
一晩中起きていると、暗闇が少しずつ明けていくのがよく分かる。森から聞こえてくる音がゆるやかに変わっていく。そのひとつひとつに耳を澄ませる。闇は不安を倍増させるが、朝日は心を和らげる。
キャンプに行くと身をもって、そんなことを教わる。


次の日の朝、近くの神社へ散歩に行った。
軽い気持ちで出かけたら、巨岩のくぼみに本殿のある修験道だった。

見守られながら、登る階段


足場が悪い。訪れる人は多くなさそうだ。湿度が高く、ねっとりとした神妙な空気に、子どもたちが帰りたいと言い出した。せっかくだし、と宥めながら、細い道の先頭を歩いていると、突然、横のしげみがガサガサッと動いた。
なんだろうと思った瞬間、足元に何かが飛び出してきた。
「うわっっ!!」
反射的に大きな声が出て、のけぞる。

それは、もぐらの子どもだった。

手のひらほどの大きさで、艶のあるきれいな茶色の毛。美しい、のひとことだった。私の声に驚いたのか、子もぐらは、私の足元でぴたっと止まると、くるりと向きを変えて、慌ててしげみの中へ帰っていった。

「すごいね、かわいかったね! 子どもだったね!」
みんな大興奮だった。
でもおそらく、いちばん高揚し、喜んでいたのは私だった。


***

そんなこんなでぐったり疲れて家に帰り、大量の荷物を片づける。一泊でこれなのだから三泊なんてとんでもない。両親は毎回どんなに疲れていたことだろう。

電話で母にできごとを話した。
「そうそう。キャンプはだいたい、予想外のことが起こるのよねえ」
あっけらかんと言う母。

「ひと晩中、眠れないしさ」
「そうよ。お母さんも、いつも心配で全然寝れなかったわよ」
知らなかった。母も眠れていなかったなんて。当時、そんなふうにはまったく見えていなかったのに。

「でもね、テントを斜面に張ってしまったことがあってね、朝見たら子どもたち三人がころころ、ころころ転がって、お父さんのところでせき止められて、みんなそのままくっついてグーグー寝てて。もうそれが、おかしくって、おかしくって」

そう言って、ころころと笑った。

「あの頃が、いちばん楽しかったなあ」


***

キャンプは何が起こるか分からない。
驚くし、笑うし、泣くし、夜は怖いし。

でもそうやって、子どもが新しい経験をするように、思い出をつくっていくように、きっと親も、子どもとの経験を重ねて、宝物のような思い出を大切にため込んでいくのだろう。

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