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忘れれば忘れるほどハッピー【オンラインナースのお仕事】

※この記事は、双極性障害の朝日さんの原稿をもとに、看護師の私の視点を入れ書き起こしたエッセイです。


プレゼントにしろ、お手伝いにしろ、何か見返りを求めている間は、ずっとそのしたことを覚えているので、なぜ相手は見返りをくれないんだろうと思う。結果、あの人はクレクレ星人だとかテイカーだとか言って嫌な言い訳を作って、さらにはその言い訳を考えている自分への自己否定感が増す始末。

ただ、これをさっさとやって、忘れてしまうとどうなるか。常に足元に100円落ちているようなラッキーさを感じる。あれ、何かすごい喜んでいるようだけど、すっかり忘れている。振り返ったら、おお、確かにいいことやってるし、この時の自分やるじゃんと自己肯定感が増す。忘れれば忘れるほど、人間は幸せを感じる生き物なのではないだろうか。

朝日さんの原稿より

人は、自分がしてあげたことは覚えているのに、人にしてもらったことは忘れがちです。見返りを求めてしまうのも、人間ですから当然のことのようにも思います。しかしながら、あの時のお返しまだかな、と思い続ければ思い続けるほど、その返却に時間が要すれば要するほど、腹立たしい気持ちにもなるでしょう。

かつての私はそれが怒りという形で相手に表出されるのではなく、自分はないがしろにされてしまったのだろうかと哀しみに暮れるほうが多かったように感じます。まさに、執着により不幸せになっていました。私もそんな自分が嫌でした。でも、最近ようやく、自分の中に答えが見つかりました。

私の場合は「心から手を貸してあげたいと思う人だけに差し出す」「そして、その場で手放す」という考えに至りました。結婚、出産、おめでたいことがあったときに、お祝いを贈るでしょう。仕事の付き合いもありますが、それがない場合は「私は心から祝福できるか」「これからも大切にしたい人なのか」を考えます。もしそうでなければ、無理して贈りません。

そして、大切な人にお祝いを贈った場合。自分と同じ立場、または年下の人の場合は「お返しはいらないから」と添えます。(私に至っては、お返しがなくて哀しいと思うのは、たいてい自分と同じくような立場の人な気がします)「いえいえそんなことはできません」とたいていの人は言ってくれます。そうしたら「あなたの後輩に同じことをしてくれればいいから」とお願いをします。その気持ちは、しっかりと受け取ってもらえているように思います。そこで、自分がしたことについては手放してしまうのです。

もう一つの例として、アドバイスを求められたら、真剣に考えます。でも、その通りに実践するか否かはその人次第。だから「こうやってみなよ」ではなく「次はそうしてみて」と伝えるのです。「次」があるかどうかは、その人にしかわかりません。わからないから私も忘れられるのです。その場で完結させてしまうのです。

今気づいたことですが、心理学で「ツァイガルニック効果」という概念があります。人は完結していないタスクのほうが、完了したタスクよりもよく覚えているというもの。つまり、その場で完結してしまった出来事は忘れやすいということなのです。私は、この人間の心理を上手く利用して、上手に忘れるということを取り入れていたことが分かりました。

忘れれば忘れるほど幸せになるーそれは本当だと思います。自分が心地よいことをする。ただそれを繰り返すだけなのです。もし、相手から思わぬタイミングで喜びや感謝の気持ちが届いたら、それはずっとずっと待ち続けていたときよりも、大きな幸せとなります。自分の執着を手放す方法を振り返るきっかけとなった、朝日さんの原稿でした。


※このマガジンは、個人が特定されないように書こうと留意しています。でも、朝日さんは「別に自分だと気づかれても構わない。それよりも、同じ病気の人を救えるのならという思いが優先する」とのこと。関係者の方は、そっと見守ってくださると幸いです。

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