尽くしてしまう自信のない人達の話

 先日、過去に自分が綴った記事を読み返していて、色々思うことがあったので、それをつらつらと書き連ねてみようと思う。


 * * *


 当時の私は色々と上手くいかず、スランプに陥って悩んでいる時期で、同じような女性達からメッセージを頂くこともしばしば。
 それはどれも自分のことのように胸を傷めるエピソードばかりで、人様の心配をしている場合ではない、ただの独身に過ぎない私だか、どうか前向きになって欲しいという想いを返信に込めることも少なくはなかった。

 そこで思ったのが「真面目ないい子ほど上手くいっていない」ということ。

 もちろんこれは私の主観による「真面目ないい子」だが、それでもなんでこんないい子が……と思わされるような子は多かった。
 逆に上手くいっている女性や結婚している女性達がみんな真面目でいい子かというとそうではない。

 その時の私は「つまりは男性にとって、よく見えていればいいんだろう」という答えに行き着いていた。
 でも実際そうで、どんなビッチ経歴があろうと男性の前でそれを綺麗に隠し通せていれば、その女性は「清楚で可愛い俺だけの彼女」なのだ。
 そんなことはとうの昔にわかっている。頭では誰もがわかっていることだろう。

 しかし真面目な子ほど、それが出来ない。

 真面目な子ほど男性に対して「嘘が言えない」「取り繕えない」「羽目を外せない」
 好きな人には「好かれたい」「好きだから尽くしたい」「もっともっと喜んでもらえたら……」っていう想いが強い。

 結果的に「同性から見て真面目ないい子」ほど上手くいかない。

 「あんなに頑張ってたのに」と同性は共感して言うだろう。しかし男性からすれば「頼んでもないのに……」と余計なことだったのかもしれない。

 逆に同性から見て「どうしてあの子が?」っていう子ほど上手くいっているのは、彼女達は「自分が幸せになることしか考えていない」からだろう。
 真面目な子は「好きな人に喜んで欲しい」「好きな人に楽しんで欲しい」「好きな人に……」と「相手が幸せになること」ばかりを考える。

 それなのに報われないのは、結局それはエゴに過ぎないからだ。

 当時の私は特にそうだった。彼に好かれたい、もっと好かれたい、ただその一心で「何をしたら喜んでくれるだろう」と考え、自分のことなど考えたこともなかった。
 自分が幸せになることよりも、彼を幸せにすることだけを考えていた。

 でもそこで気づかねばいけなかった。彼の幸せは彼が決めることであり、私が決めることではない、ということに。

 同じように「彼に何かしたがる女性」、いわゆる「尽くしてしまう女性」というのは意外に多いのではないだろうか。
 彼の喜ぶ顔がただ見たくて、その為にどうしたら喜んでくれるか考えるだけでも楽しくて、尽くしている自覚すらない女性だっているだろう。私のことである。

 自分では何かをすることで、彼に何かをして欲しいなんて思ったことは一度もなかった。見返りなんて求めているつもりもなかった。
 でも今思えば「もっと好きになって欲しい」という、一番大きな見返りを求めていたことに気付く。

 何故こういう女性が尽くしてしまうかというと、好きな人に尽くすことで「嫌われたくない」「好きでいてもらえる」「もっと好きになって欲しい」という想いがあるからに過ぎない。
 本来は「何もしなくても好きでいてもらえる」のに、何かしないと「好かれている」ことが実感出来ない。

 そう、要は自信がないのだ。

 例え、男性側に告白されて付き合って、彼が幾度となく愛を囁いてくれても、彼が行動で愛情を示してくれても、こういう女性は「好きていてもらう努力」を辞めることは出来ないだろう。
 いつだって過るのは「最悪の事態」だ。その不安を拭い去るように何かをする。しかしその不安は自分自身が作り出しているものであり、彼自身は全く関係のないことに気付かねばならない。

 そう言うのは簡単で、頭で理解するのも安易だが、私達には「感情」がある。その「感情」が時として、それを阻んでしまうのだ。
 この厄介な感情をコントロール出来ない人の多くが「自分に自信がない人」だろうと私は思う。

 これは男性にも言えることで、いわゆる非モテの自信がない男性ほど「女性に尽くしてしまう」のではないだろうか。
 そして結果的に飽きられてしまう、浮気されてしまう、捨てられてしまう、都合よく使われてしまった……。
 尽くすことで彼女の気持ちを繋ぎとめようとしてしまう非モテも少なくはないだろう。

 恋愛や婚活が上手くいかない女性の多くが必ず行き着く先に「自尊心の低さ」「自己肯定感の低さ」というものがある。
 これは男性にも言えることだが、必ずといっていいほど上手くいかない人は「自尊心が低い」「自己肯定感が低い」傾向にある。

 ここに行き着いて、上手くいかない現状を打開しようと思った人ほど、これをどうにかしようと本を読むなり、ネットで情報を集めるなり、色んなことに取り組んでみたのではないだろうか。

 そして思うだろう。そう簡単に自信がつくわけないだろう、と。

 他者はそんな彼女や彼を見て思うはずだ。
 そんな容姿が悪いわけでもないのに? ハイスペックなのに? いい子なのに? 友達も多いのに? と。
 他者から見て「そんなことないよ」という人ほど、自信がなかったりする。だからといって「そんなことないよ」と言ったところで、取り戻せるほどの簡単な問題でもないのが本当の意味で「自信がない人達」なのだ。

 「そんなことないよ」という肯定する言葉で、その場だけは気持ちよくなれるだろう。しかしそんなものはその場しのぎである。

 容姿やスペックなんてものは関係なく、自信がない人達に共通するのは「自信をなくしてしまう根強いきっかけがあった」ということではないだろうか。

 昔、私の目の前で泣き出した男性がいた。お酒も入っていたので、感極まってしまったのだろう。
 彼はどこにでもいるようなごく普通の男性で、飛び抜けて気持ちが悪いとか、発言がおかしいとか、そういうことはなかった。
 しかし彼は女性に積極的になれず、大人になってやっと女性と普通に話せるようにはなったが、それまではずっと怖い存在だったと言っていた。
 それは子供の頃に「気持ちが悪い」と女子達に言われ続けていたことが原因だった、という。
 他人からすれば単なる子供の時の話だろう。女子達も悪ふざけで言っていたのかもしれない。それでも彼は大人になった今でもその呪縛に囚われているのだ。

 「私なんか……」とすぐ言う、男性と一度も付き合ったことがない30代の知人女性は、見た目もごく普通の社会人女性だが、私から見ても異常な自尊心の低さだった。
 そんな彼女に話を聞けば「昔、菌扱いされてて」と笑いながら言う。
 「自分なんかが男性と付き合うなんて」といつも言う彼女は、誰にも傷つけられることはない夢の世界に閉じこもったまま出てこなくなってしまった。

 子供の時だったり、学生時代だったり、相手はきっと覚えていない程度のことだとしても、当人の心に深い爪痕を残してしまっていれば、それは彼女や彼の自信を永遠と搾取し続けるのだ。

 大好きだった人に否定された時のこと。

 唯一の味方であるはずの両親に、否定されてしまった時のこと。

 学生時代に男子生徒や女子生徒に容姿を貶された時のこと。

 仲良いと思ってたはずの友達が実は裏で文句を言っていた時のこと。

 きっかけになる理由はそれぞれだろうが、人は「否定された時のこと」というのは、褒められた時よりも忘れないだろう。

 だからいつまでたっても「好かれている」ことに自信が持てないのだ。
 だってあんなに否定されたのだから。

 こればかりは当人の問題であり、言葉で何を伝えても難しい。
 ただ私個人としては「自信をつける」ことは簡単ではないが、今以上に「自信を失わない」ことは出来るのではないか、と思う。

 とにかく「自分を否定するものから遠ざかる」ことだ。

 もしかしたらその言葉はあなたを想って言ってくれている言葉だったのかもしれない。それは聞き入れるべき正論だったかもしれない。
 それを自ら遠ざけることで、成長を止めることになるかもしれないし、結局は何も変わらないのではないか? と言われてしまうことだってあるだろう。

 しかしそれは「一定の自信がある人のみ」に適用されるものである。

 今以上に自信を失うことになるのなら、その言葉には何の意味も成さないだろう。何より、そんなあなたを想って言ってくれるのなら、自信を失うような表現をする人は遠ざけるべきである、と私は思う。

 あなたを否定するものが今のあなたに必要かどうか考えた時、必要でなければ遠ざけるのも一つの手ではないだろうか。

 恋愛でも婚活でも、あらゆる情報が飛び交う中で「私なんか……」と思ってしまったら、もう前に進むことは出来ない。
 妥協しろという言葉も、身の程を弁えろという言葉も、自信がない段階で聞き入れたりなんかしたら、余計に自信をなくすだけである。

 そんなことよりも解決すべき問題があるはずだ。

 尽くしてしまう女性は「何かしなければいけないなんてことはない」ということに気づかなければいけない。
 その不安は「自分の自信のなさ」からくるものであり、「自分の問題」であって、もし誰かを好きになってもそれをぶつけてはいけない。

 恋愛も結婚も自分一人でするものではなく、相手がいて初めて成り立つものだ。だからこそ、そんな相手が見つかった時に、過去の自分を解消しようと彼に想いをぶつけてはいけない。


 ……なんて、偉そうに色々と綴ってはいるが、これらはすべて過去の自分へのメッセージである。

 そんな男女が報われる日がきますように、なんて調子のいいことを思いながら、そろそろ私は寝床に入ろうと思う。

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