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語り継がれる恥の熱

スリッパなしに歩くと、床の冷たさに心が折れてしまいそうな寒さだ。
夏はあんなに暑かったくせに。
同じ家とは思えない寒暖差にもかかわらず家自体は一年中同じ形態というのは、なんだかとても間違っているような気持ちになる。

家よ、こんな無防備にぬぼっと建っている場合じゃないぞ。
私は私で、さっさと巣穴を掘らなくっちゃ。
あたたかな落ち葉とかふかふかの土なんか敷き詰めてさ。

気を抜くとすぐに現実逃避を図ってしまい、なかなか戻ってこられないのが冬の難点だ。
冬としてはクリスマスとお正月でいい感じに相殺したつもりかもしれないが、私は断じて許さない。
寒すぎるんだよマジで

とはいえ寒い寒いと口に出しても体温が上がるわけではない。
すんごく暑かった今年の夏は、どうしていたっけ。
半年前を思い出してみよう。

半年前私は、夏と対等に渡り合っていた。
風鈴を吊るしゴーヤを育て、冷却タオルを首に巻いて怪談を読み、「飲む冷奴」を攪拌し吹奏楽部時代を思い出して夏に青春のかけらを見出そうとした。

文明の利器(クーラー)に頼る前に、気持ちで気温をカバーすること
これが今年夏との戦いを経て私が学んだことであるはずだった。
これはきっと、冬にも応用できるはずだ。

暖房の力を借りずに体温を上げる方法を考えて、一つ思いついた。
恥ずかしさのあまりくしゃくしゃに丸めてしまった思い出を、丹念に広げてみるのはどうだろう。
わひゃー、恥ずかしい!」と頬を覆っている時、私の顔は相当に赤い。そして熱い。
この熱は使える、使えるぞ。

そんなわけで今日は、恥でもって身体を温めていこうと思う。幸いにして私は、年中恥をかいている。
直近では、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の作者荒木飛呂彦(あらき・ひろひこ)を荒木彦麻呂(あらき・ひこまろ)と勘違いしていたことが判明し、ジョジョ好きの友人につっこまれた。私の知らないうちに改名したのかとけっこう本気で聞いたら、わりと本気で叱られた。

そのもう少し前には、雑談中に「鳥取に行きたいんですよね」と相手が言ったことを「取鳥」とメモして、「つるさん、“とりっと”になってます」と笑われた。
つい油断してしまうのだけれど、私は「鳥取」が書けない。
間違えずに書くためには「とりっと、とりっと」と呟きながら書かなければならないのだけれど、私はいつも自分が鳥取と書けないことを忘れてしまう。
来年こそは「とっとり」と聞いて「鳥取」と書けるようになりたい。

そんなこんなで日々生き恥を晒している私だが、日々晒しているがゆえに恥ずかしさが消えるのもわりと早い。「この人はよく恥をかく人だ」とたぶん周りからも思われているので、「また変なことを言っていやがる」と笑って流されることが多いからだろう。そんな場合の恥ずかしさは自分の中にも深く残ることはなく、しばらく失敗談として話すうちに徐々に恥ずかしさも薄れていってしまう。

そんな恥とは異なり、家族の前でかいてしまった恥はおそろしい。
たった一度間違えただけなのに、彼らは何度も、何年も、何十年もそのミスを笑う。
あまりにも何度も聞きすぎたせいで、いつの間にか「私の人生における最大の恥部」みたいになっている話がある。


幼稚園の頃のことだ。
両親から「運動会に向けて歌を練習してるんだって?歌ってみせて」と言われた私は、嬉々として「うんどうかい」(作詞 三越左千夫、作曲 木原靖)を歌った。

まってた まってた うんどうかい
ワーイ ワーイ あかぐみだ
つなひきだって まけないぞ
グエッ グエッ グエッ 
グエッ グエッ グエッ

子どもらしい歌声をにこやかに聴いていた両親は、ラストフレーズに仰天したらしい。
グエッ グエッ グエッ」はまるで、道路に痰を吐く親父のような声だったと母は述懐する。

……何かの間違いかもしれない。
そう信じようとした両親は、その後も度々「運動会のお歌を歌って」と私に頼み、その度に私は「グエッ グエッ グエッ」と全力でがなり立てた。

「るるる、本当にその歌詞で合っているのかい?」
両親は不安そうに問うたが、私は自信満々に「みんなこう歌ってる!」と一歩も引かなかったそうだ。

その不思議な歌詞の謎は、参観日に解けた。
園児たちの披露する「うんどうかい」を頬を緩めて聴く親たちに混じって、母はひとり膝を叩いたらしい。
ラストフレーズは「フレー フレー フレー」だったのだ。
全力をあげて園児たちが叫び立てる「フレー フレー フレー」は、たしかに「グエッ グエッ グエッ」に聴こえなくもなかったと母は爆笑し、親戚中に触れ回った。

もう20年以上前の話なのに、いまだに両親は嬉々としてこの話を持ち出して「あの頃のるるるは、とにかく頑固にグエッグエッと歌っていた」と笑う。
私が一ミリも覚えていないにもかかわらず、彼らはさも愉快そうに何度もこの話を蒸し返す。
もういい加減にしてよ!と、私が恥ずかしがったり不機嫌そうに言うと彼らはますます調子づく。

なんだかなぁ、と先日ある人にこの話を愚痴った。すると「僕も、幼児のころ異様にハイハイが早くて一人でハイハイで階段の上まで到達した話をいまだに家族からされることがあります。もちろん自分ではまったく覚えていないけれど、みんながそう言うから自分でもついそんな気になってしまって」とのこと。
その人は、御年50歳である。

「20年以上前の話を繰り返しやがって」なんてレベルではない。
約50年前の話をいまだにイキイキ話しやがって、である。ハイハイで階段上がれるのはなんだか格好いい気もするけれど。
きっと私も、これからもずっと「グエッ グエッ グエッ」のことは言われ続けるんだろうな。
ひそかに腹をくくりながらふと、私自身も人の過去の恥でいまだに盛り上がっていることにふと気づいて、ひゅっと息が詰まった。

私の4つ下の弟が3歳だった頃のことだ。
年が明けた1月2日、私たちは手に手にお年玉を握りしめて少し大きめのデパートに行き、ゲームフロアで豪遊した。
普段は2~300円しか使えないけれど、親戚中から500円玉や1000円札をせしめた今の私たちは無敵だ。
いつもお金が足りなくて泣く泣く中途半端な状態で諦めていたメダルゲームやUFOキャッチャー、普段はやらないホッケーやキティちゃんの綿菓子などあらゆるゲームを堪能して1000円ほど使ったあと、私は弟や従姉たちを探しに行った。

ほどなくして小さなUFOキャッチャーに目をギラつかせて張り付いている弟を見つけた。
完全にギャンブラーの目だった。しかし目だけは立派なギャンブラーでも、技術と頭脳は3歳児。
見ていて歯がゆくなるほどに、同じ過ちを繰り返していた。
でもここで口を出すのは悪いよなと思い、メダルゲームに興じていた従姉を呼んだ。
目を血走らせ口を半開きにしてガラスに張り付く弟の姿にしばらく爆笑した彼女は突然、「この子、いくら持ってきてたっけ?」と私に聞いた。
途端に私も我にかえった。
たしか、もらったお年玉全額……3000円!
たった一日でお年玉全額を使い込んだなんて、ばぁばにバレたら大目玉だ。
大慌てで弟をガラスから引き剥がしたけれど、もう後の祭りだった。

私と従姉には「あんたたちが付いていながら何やってんの!」と特大の雷が落ちた。当然だ。
けれど私たちは、弟のギラギラした3歳とは思えない目つきがどうにもおかしくて、ずっとクスクス笑っていた。

そして私たちは、この話をいまだに何度もしてしまう。
弟はもうすぐ23歳になるというのに。

あの頃あなたは、3歳にしてギャンブラーだった。

弟は「グエッ」を笑われた時の私のように、そこそこに迷惑そうに「一切記憶にございません」と言う。
まあ、そうだよね。
これはきっと、年少者に対する年長者の特権なのだろう。それについては申し訳ないと思うけれど、でも。

あの時のあなた、めっちゃおもしろかったよ。

それはどうしたって、何度だって、話したくなってしまうのだ。
あなたは覚えていなくても。
私たちの記憶も正直あいまいだけど。
この思い出は、家庭内で永久に語り継いでいきたい思い出。
この恥ずかしさから生まれる熱は、家族が元気であるかぎり、これからもずっと燃え続ける。

やっぱり恥ずかしくて「またそんな昔の話をして!」と怒りたくもなるけれど。
こんな話で盛り上がれるのはきっと、平和である証拠。
存分に恥ずかしがって、あたたかく冬を乗り越えてみようと思う。

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