【徹底批評】 今こそ、『ダークナイト』の大罪を裁こう
2008年夏、ある一本の作品が、映画史にあまりにも大きな傷跡を残してしまった。
『ダークナイト』。
今もなお、僕たち、いや、この世界が負ったその傷は、まだ癒えてはいない。むしろ、その傷口はよりいっそう広がっていると言えるかもしれない。
今回は、今作が犯した「大罪」について、「バットマン」「ジョーカー」、それぞれの観点から考察を深めていく。
トータル8,000文字の長文ではあるが、ぜひ最後までお読み頂けたら嬉しい。
《第一部》
『ダークナイト』の"正しい選択"。その意義を問い直す10の言葉たち。
今作で、クリストファー・ノーラン監督は、バットマンとジョーカーの永遠なる共依存関係を通して、僕たちに「正義」の在り方を問うた。
そして、本編ラストのある「選択」を通して、既存の善悪論への渾身の批評を突き刺してしまった。
あの夏から10年以上が経つが、その鋭さ、その強度、そして、その正しさは、今もなお全く衰えてはいない。
今回は、劇中で各登場人物が語る言葉を通して、『ダークナイト』が下してしまった「正しい選択」の意義を問い直していく。
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《第二部》
混沌の案内人・ジョーカーとは何者だったのか?
『ダークナイト』は、クリストファー・ノーラン監督による2作目の「バットマン映画」である。しかし、今作の真髄と魔力を一身に体現していたのは、言うまでもなく、ジョーカーである。
純粋なる悪。
混沌の案内人。
その狂気の存在が暴いてしまった「真実」は、そう、誰しもが目を逸らそうとしていた「現実」そのものだったのだ。
あまりにも底深く痛切な批評を、彼はスクリーンを超えて、僕たちが生きるこの世界に突き刺してしまったのである。
そして、それまでの世界を支配していた旧来的な価値観は、「不可逆」的に変わってしまった。
今回は、『ダークナイト』の劇中で各キャラクターが語る言葉を通して、ジョーカーの実存に迫っていく。
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