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1998年 7月11日うまれ

「産まれて2ヶ月くらいがいいらしい」
という会話を聞いた1998年夏、ウィーンにて。

母と、その姉、義妹たちがわたしの留学先に来ていた。
今年の敬老の日におじいちゃん、おばあちゃん宅に
犬をプレゼントしよう。という会話。

その頃我が家にはシェルティと柴のミックスが
叔母の家にはシーズーが
義叔母の家にはイングリッシュコッカーがいた。

みんなが集まるお正月やお盆のおじいちゃんちは
3匹の犬にごった返される。毛だらけ。
そんな集まりをおばあちゃんはとても嫌がった笑。

「だったら犬をプレゼントしよう!
好きになるに決まってる!」逆転の発想。
とんでもない娘たちである。相手はもう70オーバーだよ。

義妹が手配し、一匹のダックスフンドを手に入れた。
小型犬なら飼いやすいし、気に入るに違いない。
検討違いも甚だしい。相手は片足突っ込んでるんだよ。

我が家のミックス犬は親の血もありとても大らか。
(その話はまたのちほど)
新参者が来たところでびくともしない寛大な子。
「この子に躾けてもらおう!」と
産まれて2ヶ月のダックスフンドを
敬老の日まで我が家で預かることにしたらしい。

私も会いたかったけど、その頃はウィーン。

そして敬老の日当日。
三姉妹はダックスを連れて実家へ。
一触即発。おことわり。

「そんなん、いらん。」

状況が目に浮かぶ。
プレゼントするまで4.5日あずかって
愛着の湧いていた父がすかさず言った

「俺にくれ。」

交渉成立。一同沈黙。

そして我が家に出戻って来たダックスフンドは
その後19年も我が家を明るく楽しく
愛に満ちた生活にしてくれた。

おばあちゃんがつけた名前は「らん」
「要らん!の、らん。」とよく言っていたけど
本当はお花が大好きなおばあちゃんは
花の名前がつけたかったのよね
男の子だったけど。

ウチに来てくれて本当にありがとう。
かわいくて、やんちゃで、いたずらっ子で
ワガママで、甘えん坊で、俺さま!

「結局あの時話していたダックスフンドは
 うちの子になりました、養子です」と
母がウィーンに送ってくれた葉書をみて
私はそのまま
日本行きのチケットを買いに行ったのでした。

来てすぐは私の大事な大事なグランドピアノの
脚に目がけてオシッコしてたのよね
「脚が折れてもピアノは弾ける!」
ピアノを買ってくれた父が言うなら怒れない。

元からいたミックスのシェリーは
それはそれは、母に言わせるとオール⑤ってやつ。
らんが外でオシッコすると必ず後からマーキングするのに
家の中だと見てるだけなの、かしこいわぁ。って。

話ばっかりで想像がふくらむだけ膨らんで
「らん」に会えたその日。
わたしは帰っていきなり指がちぎれそうになるまで
がっつり噛まれた。

痛っ!

らんにとって、わたしは新参者だった。

この家のみんなを守ろうとして
挨拶もなく急に家に入ったわたしを
やっつけたのだ。
猟犬の牙は鋭かった〜痛かった。
父も母も、らんを褒めていた…。

がっつり噛まれたその瞬間に
シェリーがらんの頭に噛みついた。
「らんがやられてしまう!」と、もの凄くびっくりした。

でもシェリーは賢いから。オール⑤だから。
大丈夫、家の掟をちゃんと教えてくれただけ。
らんがわたしの指から口を離した。

けんかもしたけどそれでもこの2人はいつも一緒で
それはそれは仲良しだったなぁ。

怒るひと、怒られるひと、理由がまっとうなら
ちゃんと得があって素直に聞きいれられる。
口がきけるとかきけないとかの問題ではない。
動物は人間なんかより、ずっとずっと利口なのだと
一生をかけて教えてくれたふたり。

らんが来てくれて賑やかになった
らんがいない今でも家に帰ると呼んだりしてみる
隠れててなかなか出て来てくれないけど
ずーっと近くで見ててくれてるはず

らんのことをたくさん書こう
シェリーのことをたくさん書こう

今日は、ひとりっ子のわたしの大切な兄弟の
お誕生日だ、偶然にもお父さんの1週間あとだから
いつも一緒にお祝い出来たよねー。

らん、お誕生日おめでとう♡
らんは2017.9.7に眠りにつきました。
でも私たち家族の心の中に一生いきていて
家族を豊かにしてくれ、幸せをたくさんくれました。

母から?らんからウィーンに届いた自己紹介のはがき。

シェリーといつもボール遊び。貸してあげないけどね。

特等席は陽の当たる座布団の上。

大好きだったシェリーは先に。
いつも写真をながめていたね。

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