見出し画像

ファンタジー短歌の方法②魔法的レトリック


前回のおさらいと今回のテーマ

前回の記事は、ファンタジー短歌を作る際には、語彙レベル、レトリック(修辞)レベル、一首の情報レベルで考慮すべきという内容でした。

今回はファンタジー短歌で使えるレトリックを検討します。前回の記事が未読の方は以下のリンクからご一読ください。

魔法的レトリック

SNSでは生活を詠んだ短歌が目に付きやすいので、短歌は現実世界(私たちが活動する生活世界)についての描写が得意な印象があるかもしれません。

しかし、短歌では魔法を使っているかのような表現も可能です。これを「魔法的レトリック」と呼んでみましょう。魔法的レトリックを用いれば、ファンタジージャンルの語が入っていなくても、一首に幻想的な雰囲気をもたらすことができます。

例としてこんな歌はいかがでしょうか。

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ/藤原定家

『新古今和歌集』

これは国語の教科書にも載っている藤原定家の歌です。言葉を補ってわかりやすく現代の口語で解釈すると以下になります。

周囲を見渡すと花も紅葉もないなあ。見えるのは海辺に粗末な小屋がある、秋の夕暮れの景色だ。

テクストの「花も紅葉も」の部分で、読者の頭の中には花と紅葉のイメージが発生します。そこを「なかりけり」とすることでイメージを消してしまいます。読者が見たイメージは幻となって粗末な小屋のイメージが残ります。秋の夕暮れの寂しげな雰囲気を伝える歌ですね。

この、見せて消す技術は「見せ消ち」と呼ばれます。あるイメージを引き出し、否定または消去することで、強い印象を生みます。読者の頭の中のイメージを魔法のように展開できるのが魔法的レトリックの面白さです。

魔法の現象について

魔法の現象はおおよそ以下の組合せとバリエーションと言えるでしょう。これらを短歌のレトリックで再現できれば、魔法を使えたことになるわけです。

①出現:何かを発生させる
②変化:何かの状態を変化させる
③消失:何かを消滅させる
④操作:何かを操作する
⑤認識:予言など、新たな認識を得る

基本は①②③ですが、例外があるため④⑤を足しています。これは現象についての分類なので、道具や儀式が必要といった、過程を含めた魔法の分類ではありません。もっと詳細に考えたい方は、物理的、非物理的な現象で分けたり、ゲームでよくある属性等も検討してみてください。

魔法的レトリックの例

ここでは追加で3つだけ魔法的レトリックをご紹介します。

(1)比喩→イメージとイメージを重ねる

比喩は、あるものについて理解しやすくするために、他のよく知られたものと比較する表現手法です。

たとえば、「太陽のように輝くほほえみ」という表現では「ほほえみ」を「太陽のように輝く」と形容して、その明るさや暖かさを強調しています。比喩にはイメージを連れてくる効果があります。

巧みな比喩を使った短歌は多数存在しますが、以下の歌はどうでしょうか。

ふいに雨 そう、運命はつまずいて、翡翠のようにかみさまはひとり

井上法子『永遠でないほうの火』

「翡翠のように」は直喩(比喩の一種で「〜のように」といった形で比較を行う)となっています。翡翠かわせみの特徴がくるはずのところで「ひとり」をもってきています。直観的にはぎりぎりわかりますが、説明する気がなくてとてもよいですね。

ここでは翡翠と神が比較され、なおかつ擬人化されています。翡翠の鮮やかな青のイメージが一瞬現れ、詳細を省略した表現により雨の向こうにぼんやりとした神的なイメージが現れます。

「つまずいて」や「ひとり」など、孤独感を伝える言葉は、語り手が淡々と自省しているような雰囲気を醸し出します。

語りかけるような声の表現でありながら、抽象画のようなイメージが発生していて面白いです。基本的に好きな歌しか紹介しませんが、『永遠でないほうの火』は特に好きな歌集なのでぜひ買って読んでください。

(2)時間操作

短歌では表現を調整することで作品の時間感覚を操作できます。大きく分けて、意味的な操作と、リズム的な操作の二つの操作があります。

意味的な操作では、描写の密度や表現に含まれる時間が影響します。例えば、意図的に細かい描写をすることで読者にゆっくりと認識させる表現が可能です。逆に、描写を大雑把にすることで、主観的な経過時間を短くすることも可能です。

リズム的な操作では、短歌が一定のリズムで読まれる特性を利用しています。例えば、文字間にスペースを開けることで休符を挿入する方法や、文字を大幅に破調することで、読者に自然と早口で読ませるといったテクニックがあります。

次に挙げる例は、意味的にもリズム的にもゆっくりとした時間の流れを表現しています。

カーテンがふくらむ二次性徴みたい あ 願えば春は永遠なのか

初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』

前半部分では、風でカーテンがふくらむ様子を、読者が共感できる範囲でありつつ、意外性のある比喩を使って描写しています。「ふくらむ」動作自体にゆっくりさが含まれるだけでなく、読者が比喩のイメージを連れてきてカーテンに重ねるまでの解釈の時間も必要です。ここに含まれる時間は体感10秒ぐらいでしょうか。

「 あ 」では声の表現の「あ」の前後にスペースを入れて、主体のひらめきと、無言の時間を表現しています。この間も風はゆっくり流れます。ここでは5~10秒ぐらい。

最後の「願えば春は永遠なのか」は主体の気付きを表現する独白のパートになります。「願えば」と仮定しているので、主体自身も常識的には春が永遠に続くとは理解していると思いますが、一瞬の時間を永遠にしたい、それができてしまうのではないかという気分や感覚をこの歌では共有してくれます。永遠へ思いを飛ばすことでまた5秒以上の余韻が発生しそうです。一首全体を通じて現在の時間を確かめるような歌になっています。

(3)幻視→別の視覚的イメージを追加し異化する

幻視はイメージを追加する点で比喩と似ていますが、見ることを強調し、主体の視界を異化する点が特徴です。具体例を挙げると理解しやすいでしょう。

晝しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつをり

葛原妙子『朱靈』 

ひる」は「昼」の旧字。書いてある内容は、昼にケーキがおいてある景色です。外側に広がる穏やかな昼のイメージと、ケーキの表面をミクロな視点から見た、砂漠のようなイメージが対比されています。

「ケーキの表面のイメージ」と書きましたが、「見えざるほどに」吹かれている状況なので、主体の目にはこれが小さすぎて見えておらず、イメージは主体の想像力から生まれています。これが幻視です。主体の視覚に主観的なイメージが付け加えられ、読者に新たな驚きを提供します。

読者は、テクストとしては主体が見たと主張するものを想像せざるを得ないので、読者がその描写を信じてしまうような幻のイメージを作り出せるかが重要なポイントとなります。

参考:幻覚について

幻視について述べましたが、魔法と類似した現象を発生させる「幻覚」についても触れておきましょう。幻覚は体験者にとっては現実の体験と同じくらい確かな現象であり、事実として受け入れられます。しかし科学的には認知機能の誤りとされます。

魔法的レトリックを使用しても、作品の世界観から読者には幻覚の表現として解釈され、魔法として受け取られないことがあります。幻覚として表現すること自体に問題はありませんが、作品の雰囲気や感覚の質に違いが出てしまうので気をつけてください。

まとめ

ここに書いたレトリックは、作歌の過程で自然に思い出したら使うようにしてください。レトリックを試すために作られた歌は意図が透けて見えるので控えましょう。推敲の段階以外では、作意を緩めることで表現の陳腐化を避けることができます。

今回はよく知られている範囲のレトリックしか取り上げていません。ぜひご自身で表現を探したり、新しく作っていただき、歌に活かしてみてください。

今回の参考文献

・井上法子『永遠でないほうの火』(書肆侃侃房)2016
・葛原妙子『朱靈』 (白玉書房) 1970
 ┗以下が手に入りやすいのでおすすめ。
  川野里子編『葛原妙子歌集』(書肆侃侃房)2021
・初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』(書肆侃侃房)2018

次に読んでほしい記事

次回は「異世界」を表現する際の方向性とその意味について検討します。


この記事が参加している募集

スキしてみて

最後までお読みくださりありがとうございます!スキ❤️はnote未登録でも押せます!よろしければお願いします!