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こころの春休み/あっという間に妊娠後期

先日、デザイナーの秋田道夫さんがTwitter(まだTwitterって呼ぶ)でこんなふうに呟かれていた。

「明日から2週間『こころの春休み』としました。いつも通り事務所に行きますし、いつも通り対応しますが「こころの中では春休み」です。」

秋田道夫

「こころの春休み」って良いワードだなぁと思う。

社会人2,3年目くらいから、ずっとこの3月~5月くらいの時期がけっこう精神的にしんどかった。年度末で忙しい時期ということもあったし、部署としての繁忙期ということもあったし、それにプラスして異動に伴うストレスだったり何だったりで5月の終わりくらいに繁忙期が落ち着くと、毎年「1か月くらい休みたい….」と思うようになってしまっていた。

ようやく3月31日を心穏やかに迎えることができるようになったのは、去年が初めてだったかもしれない。今思い出しても、昨年の3月31日はとても幸せだった。仕事終わりにふらりと訪れた夜の東京国立近代美術館、そして人の少ない夜桜、ゆっくりと流れる時間。

まあ、もちろん現実的には会社員をしている以上、なかなかそんなに長期で休むことなんてできないし、1日有給を取るのだって上司に稟議を回さないといけないので(もちろん取らせてはくれるけど)、せめて心の中だけでも「春休み」っていうことにしてしまえば良かったんだろうなぁと思う。そういう心の持ちようを自分でコントロールするって大事なんだろうな。

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最近、繰り返し読んでいる青木さやかさんと鈴木秀子さんの対談本、「話せば、うまくいく。」という本の中でこんな一文があった。

「人の幸不幸は外で起こった出来事によっては決まりません。全ては自分の心をどう保つかの訓練にかかっているわけですよ。」

「話せば、うまくいく。」

この文章にはすごくぐっとくるものがあった。私はよく、「こんな日は自分の調子がいいな」とか「こんな日は調子が悪いな」という自分の心身のアンテナみたいなものを張るようにしていた。例えば、天気がいいぽかぽかした陽気の日、仕事が割と落ち着いていた日、早起きできた日、ゆっくり本が読めた日、ゆっくりと時間をかけて朝の準備ができた日なんかはもちろん「あ~幸せだな~」と思うことが多かったし、反対に仕事でトラブルがあったり、取引先に電話で嫌な対応をされたり、天気が悪かったりする日は「ああ、今日はダメだ...」となったり。

でもこれって結局、「外で起こった出来事によって自分の幸不幸を決めてしまっている」ということになるのだなぁとハッとしたんである。仕事でトラブルがあろうと、誰かに嫌な対応をされようと、台風の日であろうと、幸せを感じてはいけないわけがないし、きちんと訓練すれば自分の心を保つことはできたはずだった。

天気や他人の行動なんて自分でコントロールできない。例えば偶然電車で乗り合わせた隣の人が嫌な態度を取ってきたからってそれでその日1日嫌な気分で過ごさなければならないなんて、何だかもったいないなあ、と思う。

鈴木さんによれば、『何か言われて落ち込んだときは、「あの人が嫌なこと言ったから落ち込んだ」と思うのではなく、そういう気持ちは、自分自身の中にあるものだと気付くことが大切』「自分の気持ちと、外側で起きた出来事とを分けて捉える」ことが大事なんだそう。

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さて、何でこんな話をしているかというと、ようやく明日から産休前の有給消化期間だ!という最終出勤日、切迫早産の症状で会社から帰宅した数時間後には病院のベッドに横たわっており、「帰らせられませーん!」と言われてしまったからである。

なんだかちょっと今日はお腹が張っているし、いつもの張りとは違うなぁ、とりあえず念のため病院に電話するか~、と思い電話をし、病院に向かって、夫には駅近くのファミレスで仕事しつつ待っていてもらい(付き添い不可なのです)、帰るときは一緒に何を食べようかなぁ、お腹すいたなぁ、なんて呑気に考えていたので、「え、入院ですか?」と心底驚いた。ちなみに夫は結局ハンバーグを食べたらしい。私も食べたかった。

だって、もう何か月前から楽しみにしていた予定がたくさんあったのだ。村上春樹さんと川上未映子さんの朗読会(これはほんとに楽しみにしていた、お二人とも大好き)、育休中の友達とのランチ(お店もケーキも決めていた)、友達との人形町食べ歩き、夫とカフェに行く、印象派展とマティス展に行く、、、。「早ければ数日で退院できるけど、良くならなかったら36週まで入院ですねぇ」と言われてしまい、「え、、、」となってしまった。最終出勤日の日に職場の人たちから頂いたメッセージカードやプレゼントも未開封のまましばらくそのままになってしまった。

そういえば、川上未映子さんもご自身の出産について語ったエッセイの中で、出産予定日まで毎日何を食べるか楽しみな予定を組んでいたのに、予想外の破水で入院になってしまってモスバーガーも焼き肉も食べることができなかった、なんて書いていたなぁと思い出した。

慌てて夫に荷物をまとめて持ってきてもらい、面会も付き添いも禁止なので夫に会うこともできず、まさかこんなことになるなんてなぁと思いながら病室で夫に買ってきてもらったコンビニのおにぎりを一人で食べた。(夜遅かったので、病院のご飯はもうなかった)

それにしても、妊娠・出産って本当に予想外なことばかり起こる。だってずっと健診での数値も問題なく、安定期に入ってから毎日元気に仕事していたんである。(初期は悪阻が酷かったけど)まさか、しかも有給消化1日目を病院で迎えることになるとは全く予想していなかった。

びっくりしたけれど、本当に有り難いことに投薬で症状もだいぶ良くなり、病院は本当に綺麗で、スタッフさんたちも本当にみんな優しく、そして何より本当にご飯がとても美味しくて(これが楽しみだった)、病院でこんなに美味しいご飯が食べられるなんて、、、って感動しながらゆっくり休むことができた。そして何だか気持ちは現実に追い付かないふわふわしたまま、入院生活を送っていた。

それにしても、スマホってとても便利で、夫とはいつでもテレビ電話で話すことができたし、一緒に動画を見ることもできたし、いつでも友人たちともメッセージでやりとりができたし、友人がkindleのギフト券を送ってくれたりして突然の入院で不安だったけれどとてもほっこりした。スマホだったらベッドで横になりつつ調べ物や読み物ができるし、普段はついスマホの良くない面ばかり考えてしまうけれど、こういう状況に追い込まれると本当に便利だなぁと感動したり。

たしか小学校低学年の頃に1度だけ入院したことがあるのだけれど(原因は忘れてしまった)、その頃はスマホなんてなかったから、一人で病院のベッドにいるのが寂しくてナースコールをして「お母さんが来ない」と言って看護師さんを困らせていた記憶がある。

結局、本当に運の良いことに、私は数日で退院することができたのだけれど、自宅安静になってしまったので、基本的にずっと家の中で1日を過ごしているここ数日。ちょっと天気が悪かったり、寒かったりした日もあったせいなのか、起きたときから「何だか気持ちが落ちているなぁ」という日もあった。

けれど、よくよく考えてみると今回のこの入院の件で、楽しみもなくなってしまい、ただちょっとネガティブになってしまっているだけだったりして、外で起きている出来事に心が影響されていただけなのかぁと気が付いたり。

思えば、この先の人生でここまでのんびりと過ごすことができる期間なんてめったにないだろうから「こころの春休み」ということで、とことん好きな本を読み、映画を観て、ドラマを観て、こころゆくまでのんびりすることにした。家事を肩代わりしてくれる夫や入院中の私を気遣ってメッセージをくれた家族、友人たちに感謝しつつ、もう残りわずかな日々をお腹の中の子どもとゆっくり過ごそう。

妊娠・出産ってやっぱりもうすでに自分以外のひとつの命が自分に大きく影響を与えてきているんだなぁと思う。自分の身体だけど、自分の思うように動かなくなるし、自分で様々なことがコントロールできなくなる。まだまだ慣れないけれど、これも「ちょっと休んだら?」という子どもからのメッセージだと思うことにしよう。

育児が始まったらもっとたくさん自分の予定通りにいかないことが山ほどあるだろうなぁ。でも、そんなときでも自分の心の持ちようだけは自分で決めることができるので、うまく自分の心を休ませつつ、心穏やかに過ごしたいなぁなんて思っている。


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