見出し画像

「私は差別主義者ではない」が免罪符にならない理由(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第33回
"How to Be an Antiracist"(アンチレイシストになる方法)
by Ibram X. Kendi(イブラム・X・ケンディ)2019年8月発売

連邦議会議事堂の襲撃事件など、最近のアメリカをめぐるニュースを見ていると、よく言われる「分断」状態よりも、さらに重苦しい「緊張」状態にあるような印象を受ける。

人種をめぐる対立もその緊張(tension)のひとつだろう。本書"How to Be an Antiracist"(アンチレイシストになる方法)は、歴史学者でありボストン大学反人種差別主義研究センターの所長も務めるイブラム・X・ケンディによる一冊だ。自身の自伝的な回想を交えながら、ケンディは人種差別という「社会のガン」をどうやって治療するかを考える。

「人種差別主義者ではない」と「反・人種差別主義者」との違い

本書が繰り返し糾弾するのは、「自分は人種差別主義者ではない」という立場による“ごまかし”である。ケンディは「レイシストではないこと(being not racist)」と、「アンチレイシスト(antiracist)」を明確に区別せよと主張する。

二つの立場の違いは何だろうか。分かりやすい例としてケンディが挙げるのはドナルド・トランプ前大統領だ。トランプはヒスパニック系の移民をはじめとして特定の人種グループを蔑視する発言を繰り返して差別的な政策を指示したが、ケンディによれば、彼は何度も「自分はレイシストではない」と語っていたという。

こうした「中立的な立場を装って、実際には差別的な政策を指示する立場」を認めるべきではない、と本書は主張する。「レイシスト」の反対語は、「レイシストでないこと」ではなくて、「アンチレイシスト(反・人種差別主義者)」だ。それは人種的なヒエラルキーを認める立場と認めない立場との違いであり、問題の原因が「人」にあると考える立場と「制度」にあると考える立場との違いである。そして、「レイシストではない」という安全地帯をその合間に認めるべきではない、とケンディは語る。中立性は、差別を隠すマスクである、と。

積み上がったゴミの山

人種差別に関するニュートラルな姿勢を彼が認めないのは、問題の根深さを自覚しているからかもしれない。

歴史家として、現代のアメリカにおける黒人差別の起源を奴隷貿易市場の時代までさかのぼってケンディは解説する。そして、1960年代の公民権運動から、もちろん近年の警察による黒人への暴力を起点とする「Black Lives Matter」についても言及する。

「黒人の身体(black body)」や「黒人の人生(black life)」といった直接的な表現を多用して、ケンディは強いメッセージを出す。歴史をひもといて数多くの人種差別的な考えを研究したとき、それはまるで埋立地のゴミ山のように自分の前に積み上がっていた、と彼は語る。

アンチレイシストとは「自分を変えて、目指すもの」

ただし、ケンディは「自分自身もレイシストであった」と本書で述懐する。白人が黒人を差別するだけでなく、「黒人にはできないことがある」と黒人自身が考えるのも、本書の定義ではレイシストの考えなのだ。

そして、レイシストかアンチレイシストであるかは、固定的な人格を意味しない。つまり、ある時にはレイシスト的なふるまいをしてしまった人が、別の場合にはアンチレイシストになることも有り得る。そのために必要なのは「自分はレイシストではない」という否定(denial)ではなく、差別的な考えを自分がしてしまうと認めて、アンチレイシストを目指して自分を変えていくことなのだ、と本書は主張する。

イブラム・X・ケンディ著"How to Be an Antiracist"は2019年に発売された一冊。入り口は人種差別の問題ではあるが、もっと広く、「自分はどんな人間を目指したいか」「社会はどんな社会であるべきか」を考えるための本でもある。

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら

よろしければサポートをお願いいたします!世界の良書をひきつづき、みなさまにご紹介できるよう、執筆や編集、権利料などに大切に使わせていただきます。