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「ないことにされてしまっている」を可視化したいと思った①

 好きな台湾映画監督のホウ・チーラン(侯季然)が2014年に撮った台湾の歌姫ジョリン・ツァイの(蔡依林)の「不一樣又怎樣」という曲のMVがあるのだけど、この映像を初めて見た時の衝撃はいまだに忘れられない。

 30年連れ添ったカップル。ひとりが病院に運び込まれ、緊急手術を受けなければならない。だが家族とみなされないパートナーは手術の同意書にサインすること認められず…という切ない内容で、何度見ても涙が出てくる。

 どうして6年も前のMVを今更取り上げているのかというと、9月23日の東京新聞に掲載された記事「「家族」に集計されない私たち 早い法整備願う<かぞくのカタチ㊤>」に、このMVを思い出させるようなことが書かれていたからだ。

 パートナーシップ制度のある自治体に引っ越し「パートナーシップ宣誓」を行い、「社会観念上の婚姻に相当する関係」との契約を書いた公正証書を作成し、「結婚」したある同性カップルについての記事にはこうあった。

…日本では現状、同性カップルは婚姻できない。自治体が関係を認める制度では法的な効力は乏しいと思い、補うために数万円をかけて公正証書を作った。
 「今は直面していないけれど、緊急の時に配偶者と同じように病院で面会や手術同意ができないかもしれない。法定相続も税金の配偶者控除も受けられないので心配」…
…今月から始まった国勢調査では、同性カップルは集計されず、いとこやめいと同居しているとして把握される。“見えない家族”となることに、2人は「夫婦と変わらない生活をしているのに。正確じゃない」。…

 この記事に書かれていた「家族として法的に認められない」ことが、彼女たちの心配事がどういうことか、6年前に「不一樣又怎樣」のMVに出会っていなければ、世情に疎い私は記事を読んでもピンとこなかったと思う。記事にもあるが、法整備されないと、万が一のときにパートナーを支えてあげることができなかったりするのだ。

 ところでいま、台湾で2017年に出版された『我和我的T媽媽(同性愛母と私の記録・仮)』という本を日本語翻訳出版するために、クラウドファンディングを行っている。

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 この本の著者は映画監督で、2016年の『日常対話』(日本未公開)という作品の中で自分のお母さんと家族のことを映像に収めた。本は出版社からのオファーを受けて、映像に収めきれなかった部分も補足するような内容だ。

 映画には監督の姪っ子ふたりが登場する。まだ幼いふたりが監督に、「おばあちゃんは男なの?女なの?」と問う。そして高校生くらいになった彼女たちにその当時の映像を見せながら、今度は監督がふたりに、同性愛についてどう思うかをたずねる。

 姪っ子ふたりは、それぞれが考えていることを素直に話す。そしてそのどちらをも「あり」とする姿勢が、この作品の面白いところであり、素晴らしいところだと思う。

 冒頭のMVと新聞記事に話を戻すと、いろんなことが「ないことにされてしまっている」という現状。そしてこういうことを私たちはなかなか知ることができないというのが今の世の中だ。

 『我和我的T媽媽(同性愛母と私の記録・仮)』にはいろんな「ないことにされてしまっている」が含まれている。家族についての伝統的な価値観とセクシュアリティ、貧困スパイラルや暴力の連鎖といった、ある種の社会的価値観の問題や病理だ。

 どうして『我和我的T媽媽(同性愛母と私の記録・仮)』を翻訳出版したいと思ったか。それは、まず「ないことにされてしまっている」ものを可視化したいから。そしてそれをどうとらえるかは、当然ながら読み手に委ねたいと思っている。

 作品にご興味を持っていただけましたら、こちら↓↓↓をぜひご覧ください。

 本の購入予約を募り、目標額に達したら出版につながるという、とてもシンプルな仕組みのクラウドファンディングです。

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